閑話(13) 医師と私 ①

私は、ある医師の一言がなければ、この世に生まれることはありませんでした。
そう。
私と医師の間には、生まれる前から、とても深い因縁が…(違う 笑)

母が私を妊娠した時、諸事情により、家族は中絶することに決めたそうです。
中絶手術の当日。
普通なら、粛々と中絶手術が行われ、私はアッサリ死んでいたはずなのですが。
なぜか、担当医師が母を説得するという珍事件が発生。
それは、医師の単なる気まぐれによるものだったのか。
それとも、お腹の中にいる私が目の前の医師に、念を送って言わせたのか。
(もう、SFの世界 笑)

「次に妊娠した子を生むつもりなら。
 今、お腹にいるこの子を産んであげたらいいんじゃないの?」

男性のお医者さんに優しく諭された母は、手術をやめて、泣く泣く家に帰ったそうです。

正直、生まれてきて良かったと思えたことはないので、
「あの先生が余計なことを言わなければ……」
と、何とも罰当たりなことを思ったこともありましたが 笑

かくして、この医師の一言により、この世に生まれることを許された私は、約8カ月後、その医師に取り上げてもらったのでした。

そんな話を子供の頃に聞かされた私は、
昔から
「生きている」
という感覚はなく。
「生かされている」
という感覚の方が強いです。

もしも、あの先生が、当日担当していなかったら……。
もしも、あの先生が、いつも通り手術をしていたらー……。
そんな不思議な巡り合わせで生まれてきた私は、その後も、なかなか奇妙な体験をしました。
「普通なら死んでるな」と思えるような場面でも、誰かが助けてくれて、命拾いをしたり。
「普通だったら即死だな」と思えるような事故に遭っても、肋骨に少しヒビが入る程度で済んだり。
他にも何度も何度も、死んでもおかしくない状況を、毎回、難なく乗り切ることが出来ました。
(怪我は大なり小なりありましたが 笑)

毎回、見えない力に守られているような、不思議な感覚―…。
その度に「あ。私、また生かされてる。まだ死ねないんだな」と思いました。

だから、幸運にもALK融合遺伝子だと分かったときも、
「あ。また生かされた。なんとかなるかも」
と、どこか楽観視していました。

普通だったら「あの先生のおかげで、今がある! 感謝して生きよう」となるのかもしれませんが。

何がなんでも「生きたい」と切望することも。
「命ある限り、一生懸命に生きよう!」
と、がむしゃらに頑張って生きるわけでもなく。

ただただ、惰性的に日常を過ごして、無駄に年だけ取ってしまいました。
それは、癌だと告知された後も変わりませんでした。
今思うと、なんて勿体ないことしたんだろう、と思いますが。
癌になったからといって、突然「生きる!!」と○○○ワールド全開の生き方に変われるワケもなく。

告知されて早6か月…。
せっかくアレセンサのおかげで、告知前と変わらず元気に過ごせているのに。
貴重な6か月間を、無駄に過ごしてしまいました。

T大病院の先生達は、
私がぼけーっと生きてきた間に、ものすごく勉強して努力されて、多くの人を助けてこられたんだなー、と思うと。
そこは尊敬しかありません。
血液内科や呼吸器内科なんて、毎年のように新薬が登場してそうだし。
都度、治療方法もアップデートして。
医師である間は、研鑽し続ける必要があるわけで。
私には絶対出来ないことをやってらっしゃるので、そこは凄いなぁと思います。

昔、占い師に「長生きする」と言われたので「老衰で死ぬんだろうな」と漠然と思ってきましたが、病気になって「あ。病死もありうるのか」と、今更ながら気付きました 笑

(そう言えば、気をつけるべき病気に「呼吸器」「肺」「婦人科」
 「腰」と指摘した占い師さんもいたなぁ。当たってる 笑)

生まれるきっかけになったのが、医師だったので。
私の人生にピリオドを打つのも、医師になるんだろうな。

でも、それは、もっとずっとずーっと先のこと。
なんてね 笑

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