「どうせ」という思いは、どう消化したらいいんだろう

「何かやってみようかな」と思っても
「どうせ死ぬんだし」
という思いが、ふと湧き上がってしまう。

「人間誰しも必ず死ぬんだから」
とは思うけれど。

「どうせ死ぬのに」
「どうせ治らないのに」
という思いが、根底にあり。
蔓延っていて、消せないでいる。

もしも
「治りません」という断言ではなく。

例えば
「治るのは難しいかもしれません」
みたいな婉曲的な言い方だったら。


「延命治療となります」ではなく。

例えば
「今までと同じような日常生活を、一日でも長く送れるように治療しましょう」
みたいに
死ぬこと前提ではない、死を連想させないような説明だったら。

少しは違っただろうか。

治らないことも
長くは生きられないことも
充分、理解している。

決して、病気が治るとか、奇跡が起こるとか、そんな偽りの希望が欲しいわけではないけれど。

「治りません」
「延命治療です」

と言われて、生への気力が削がれない患者さんは、どれくらいいるのだろう。

皆さん、自分の心とどう折り合いをつけてるんだろう。

とはいえ、死を意識して、毎日過ごしているわけではないし。
24時間、病気のことが頭から離れないわけではない。
病気のことを考えていないことの方が多い。

それでも、ふとした瞬間に
「どうせ死ぬのに」
と、過ってしまう。


せっかく、アレセンサが効いてくれてるのに。

せっかく、アレセンサが人生のボーナスステージをくれたのに。

存分に楽しんで、充実したものにして、もっと有効活用したらいいのに。

割り切ることも出来ず。
行動にも移せないでいる。

それは、
「どうせ死ぬんだし」
と思う一方で

「なんとかなるかも」
「死ぬ前提で、予定立てて生活しておいて。
うっかり生きながらえたら、どうしよう」
と、思ってしまうからかもしれない。

そんな浅はかで、愚かな考えで、残りの人生を無駄にさせないために。

先生達は、
「治りません」
「延命治療です」
と、一刀両断するのだろうか。

まぁ、医療従事者の本音は、訴訟を避けるためだろうけれど。

アレセンサのボーナスステージは、あとどれくらいだろう。
いつかは消えちゃうボーナスステージ。


「どうせ」
なんて考えが消せたら。
もっと生きやすくなるだろう。

しかしながら、消し去るのは、なかなかに難しい。

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