日記3(心の中では世界の終わりを待望してる)
明日のために早く寝ようと9時過ぎに読みかけの本を持って布団に入った。僕は場所によって、それぞれ異なる本を読むが、寝る前に読むのは大抵長編小説だ。今抱えているのは『海辺のカフカ』で僕が中学生くらい(多分ちょうど15歳)の時に途中まで読んで投げ出した本だった。主人公は15歳で、その頃は親近感から手を出したのを覚えている。一度読んだ小説を読むことで、僕はもう一度その頃を体験する。関連して、実際どうなのか気になるところだが、もし自分に子供ができたら、その子に付着してもう一度人生を繰り返すことになるのではとも考えてしまう。僕の父親にそんな素振りは一切感じられないのだが。(僕が親の立場になったら父親についても何か分かるのかもしれないと思っている。)
オレンジ色の読書灯を灯し、寝転びながら本を開く。ページを繰り、部屋の静寂が気にならなくなるくらいの時間が経つ。時間が均一に過ぎるのが嘘なのではないかと思うほどの時間が経っていた。腰が痛くなり、体位を変えたところで、下腹部に鈍い痛みが走った。膝立ちになり、それが気のせいではないことを確認する。僕がこの世で最も恐怖し、嫌悪するのは腹痛である。僕にとって腹痛は世界の終わりのようなものであり、一瞬で僕を受け入れざるを得ない立場に無理矢理立たせる。気まぐれで理不尽だ。腹痛は外傷と違い原因の場所を目で見ることが出来ない。この痛みが実際に腹の中で起こっている現実なのか、そうでない別の何かが僕に痛みを与えているのか分からず、納得するのは難しい。納得できないものに対して人が出来ることは何もなく、それによる痛みは、鈍いが、致命的で2、3度で治ることはなく断続的に私の気力を奪う。小腸の表面積を何百倍へ押し上げている微絨毛の詳細について、大学で学んだが、急な腹痛への対処法のヒントになるわけでもなく、そんなことを思い浮かべても無力感が増していくだけだった。
ぬかるみの上を歩くように地面を踏み締め、トイレに行く。ギュルギュルと体が内側から絞られているような音とともに、痛みが広がり、反射的に祈るように両手を思い切り握る。
体を構成するすべての成分が、自分の輪郭だけを残してすべて出ていく感覚が長く続き、口の中が粘着質になる。アルツハイマー病おける記憶喪失が刹那に起こるとしたら、似た感覚を味わうのかもしれないと余計なことを考えていた。
世界の終末を見届けた後に、僕は台所に行き、水を大量に飲む。寝床に戻り、目を瞑った。