私は小学生から変わらぬ少女思考。創作においても。それを自分で否定してたのは父の価値観が残ってたからだと気づいた
昔、中学生に上がった頃でも母に買ってもらい続けた少女漫画雑誌。
付録も豪華、漫画も面白くて好きだった。
しかしある日父に
「小学生が読むような漫画を中学生になっても読むんじゃない!」と怒られてしまった。
確かすべて捨てるように言われた気もするがそこまで覚えていない。
その頃から、ずっと見ていたプリキュアも見るのを我慢した。
大学になってから、プリキュアを見続けている友達ができてひどく驚いたものだ。
「なぜ私は好きなものを捨てなければならなかったの?」
見続けなければ好きなようにすればよかったのだと思う。
しかし反抗期を迎えても、大学に入っても「親の存在」は私にとって大きいものだった。
大学に入ってからも服も満足に一人で選べず友人を苛つかせたものである。
今はだいぶ気づいては今までの考えから脱してを繰り返している。
今回は私の少女思考が抜けられない原因はあのときの父の言動が強く残ってるからじゃないかと思ったので、自分に対しての許し👌も含めて記録に残そうと思う。
私がもにゃもにゃと文を書く時、大抵「こうされたい」がある。
恥ずかしながら言おう。
今どき小学生でも書かないようなスイート文である。
ちゃちな話だ百均で売るような本のがまだマシだいつの時代だと自分でかなぐり捨てたような覚えもあるし、長年の付き合いの友人から「ピュアだね」と微笑まれたことがきっかけか。
「中学生になっても読むな」が「大人のくせに」にすり替わって気づかないうちに擦り込んで書くたび「こんなもの」としていた気がする。
背伸びして性的な行為が伴わない文などと頑張っていたが元より
「間接キッッス!!!」「ウホッ!!!」
「手ェ繋いでも良いですかッ!!」「イイニキマッテンダロ!!!」
「ヒッェェェェェェギャップ萌えでしぬ」
「新たな魅力で私の世界が文明開化(?)」
など浅瀬でチャプチャプやってるくらいのノリなのである。
源氏物語から性を抜いたくらい味気ないものでも満足できる人間。
なんだろう、頑張りすぎてたなあ。
こんな人間も、作品も、許してはくれまいか
オッケー😊👌(もう古いか)
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