2024/7/5 デカローグ7・デカローグ8
連続公演で上演されているデカローグのプログラムDの感想Noteです。
プログラムA、B、Cそれぞれの感想Noteは、別で書いているのでお時間あればぜひ読んでみてください。(文字数が多いのでお気をつけて…)
プログラムA(デカローグ1・デカローグ3)
プログラムB(デカローグ2・デカローグ4)
プログラムC(デカローグ5・デカローグ6)
これまでは、各物語ごとに3つに分けて感想を書いていたんですが、これだとあまりにも時間がかかりすぎてしまうのと、なるべくしっかりしたものを書こうとするあまりになかなか筆が進まず、、、といった感じなので少し感想Noteの構成を変えて今回から作成してみようと思います。
1.デカローグ7-ある告白に関する物語
(0)前書き
両親と同居している22歳のマイカは、最終学期中に大学を退学。彼女は6歳の妹アニャを連れてカナダに逃れたいと考えていた。実はアニャはマイカが16歳の時に生んだ娘で、父親はマイカが通っていた学校の国語教師ヴォイテクであった。校長であったマイカの母エヴァは、その事実が醜聞になることを恐れ、アニャを自分の娘としていたのだった・・・・・。
(デカローグ公式プログラムより引用)
(1)全体を通しての感想
物語のスタートから、マイカとエヴァの関係性が見て取れる。
家の中で泣き叫んでいるアニャを必死になだめようとするもうまくいかないマイカ。それを見かねてエヴァが「どきなさい!」と声を荒げてマイカの元へ駆け寄り、アニャを落ち着かせる。実の娘でありながら、世話をすることすらできないマイカ。一方で、アニャを自分のもう一人の娘として育てきたエヴァ。実の娘であるアニャを満足に扱うことすらできないマイカと、自分のもう一人の娘として育ててきたエヴァ。血の繋がった親子とそうではない親子という対比が、物語の導入としてきれいに表現されていた。
アニャの誕生日を境に物語の序盤は大きく動き出す。マイカは、アニャとエヴァが一緒に人形劇を見に行くことを利用して、言葉巧みにアニャを連れ出すことに成功する。マイカはとりあえず遠くに移動することを第一にして、どんどん移動していく。最終的には実の夫であり、アニャを産んでからしばらく連絡すら取っていなかったヴォイテクの家に駆け込む。
ヴォイテクの家に到着しているまでの道中では、こう描かれている。
まずは、幼いアニャの賢さの部分について。
とある駅で降りた時に、アニャはマイカに対して「アニャを誘拐したんでしょ?」と唐突に問いかける。マイカはあまりに唐突なアニャの問いかけに動揺しつつも、そうではないよと優しくアニャに語りかける。
次に、健気なアニャについて。
移動の途中で立ち止まり、マイカはアニャにこう問いかける「私をお母さんと呼びなさい」と。しかし、齢6歳のアニャにとってマイカは歳の離れた大きなお姉ちゃんという認識でありまた、6歳の小さな少女にとって目の前のお姉ちゃんが自分の本当の母親であることなど到底理解できないのである。マイカの願いは儚くも届かず、愛娘から返ってくる返事は元気な「マイカ!」の一言であった。
中盤以降になると物語はアニャではなく、マイカを中心に進んでいく。しばらく連絡すら取っていなかったヴォイテクの現在や、マイカがヴォイテクの元へ駆け込んできた理由、どうして今の慌ただしい状況になっているかなどが描かれていく。そんな中、用事のために外出していたマイカのカバンの中をヴォイテクが確認する。そこで初めてヴォイテクはマイカがアニャを連れて自分のもとへ突然現れたのかを理解する。マイカのカバンの中から見つけ出したのは、2人のパスポートであった。さらに行き先がカナダであることを同時に理解し、ヴォイテク自身は自分が想像した状況よりも複雑なものであることに気がつく。
アニャとマイカの間では、血の繋がった本当の親子でありながらもそのことが整理しきれない様子が描かれているが、匿っているアニャとヴォイテクの間ではリアルな親子のような描写が数多く存在していた。ぬいぐるみを作ることを職にしていたヴォイテクは、アニャに自分の仕事を見せてあげたり、アニャが眠ってしまったときには昔の詩の朗読をしたりと久々の実娘の時間を楽しく過ごしていた。
ヴォイテクのもとに転がり込んだアニャとマイカ。一方で、人形劇の観劇から急に姿を消したアニャを探すべくエヴァは警察に被害届を提出し、街中を捜索していた。警察の捜索と合わせて、エヴァたちは自分たちでもあちこちに声をかけて情報収集をしていた。
アニャを連れて時間が経過し、被害届を出して自分たちを捜索しているであろうと予測していたマイカはエヴァに電話するために電話を貸して欲しいとヴォイテクに相談する。しかし、ヴォイテクは自分の家に電話はないと嘘をつき、マイカは仕方なく駅前の公衆電話に向かい、そこでエヴァに対してこれまでの自分の思いとこれからを告げる。
マイカが公衆電話で電話をしているタイミングと時を同じくして、ヴォイテクはことの次第をマイカの父であるステファンに電話で報告していた。
マイカはエヴァに対して、アニャは自分の元にいて無事であること。アニャとともに自分がカナダへ向かおうとしていること、アニャを産んでから今までの6年間で受けた自分の様々な想いをエヴァに対してぶつける。真実を聞き困惑するエヴァ。一方で、これまでの偽り、取り繕い、つぎはぎだらけの関係を全て打ち壊し、自分が考える幸せに向けて進もうとするマイカ。この複雑な家族の未来がどうなるかの大事な部分になるのが、アニャのパスポート取得であった。
実はアニャのパスポートは正式には発行されておらず、6歳のアニャがパスポートを取得するには母親の同意書が必要であった。どうしてこうなるのか。それは、マイカが若くして産んだアニャの母親として役所に登録したのは、マイカの母であるエヴァだった。当時のマイカの年齢や、アニャの父がエヴァが校長である学校の教師であるヴォイテクであることは、エヴァにとっては大きな痴態の一つとなるため、それを隠すべくマイカとエヴァの間では合意のもとアニャの母親はエヴァであることを真実として役所に届け出を提出していたのであった。
だからこそマイカは一世一代の大勝負に出たのだ。アニャを取り戻したいと切に願うエヴァに対して、同意書を持ってこないと二度と会わせないと交換条件を要求するマイカ。マイカの並々ならぬ決意と意思を電話越しに受け取った。
警察への被害届が出ていること、ヴォイテクがステファンに真実を伝えたことを考え、マイカはいよいよアニャを連れてヴォイテクの家を飛び出す。列車が発車する駅に着くも、その日の列車はすでに全て出発しており、次の日の始発列車を待つしかなかった。小さなアニャを連れ、しきりに始発電車の時間を聞くマイカを見て駅員はマイカが旦那から逃げてきたのだと察する。
僻地で周りに何もない駅の近くで野宿させるわけにはいかないと考えた駅員は、駅の事務室で2人を休ませることを提案する。
翌朝、始発列車が到着する少し前にマイカとアニャは目を覚ます。列車に乗り込むために慌てて身支度をするマイカ。一方でまだ眠たそうなアニャ。幸か不幸か、そこに決死の思いでアニャを探していたエヴァたちが到着する。駅員を見つけるやいなや、「若い2人の親子を見なかったか?」と聞くエヴァ。察しの良い駅員はこう答える「いや、見なかった」と。しかし、素直な子どもは騙せないのである。エヴァの声を聞き、アニャがエヴァのところへ飛び出してしまった。嬉しそうに抱き合うアニャとエヴァ。一方であと一息のところで自分の計画が成功しなかったマイカ。歓喜と絶望が家族という不安定なまとまりの中で渦巻く中、マイカはホームに到着した始発列車に飛び乗り、舞台の幕が降りる。
2.デカローグ8-ある過去に関する物語
(0)前書き
スポーツ好きの女性大学教授ゾフィアは、隣人の切手コレクターと親しくしている。勤務先の大学に、ある日ゾフィアの著作の英訳者である女性大学教員エルジュビェタが来訪する。ゾフィアの倫理学講義を聴講した彼女は、議論する為の倫理的問題提起の題材として第二次世界大戦中にユダヤ人の少女に起こった実話を語り始めるが、その内容は二人の過去に言及したものであった・・・・・。
(デカローグ公式プログラムより引用)
(1)全体を通しての感想
まずは、演出の部分から。
これまでの物語とは異なり、OPの音楽が最後まで流れず、また台詞もないまま舞台の演出のみでお話がスタートする。
「SIN」と書かれた壁に男が右手の拳を壁に当てながら、ゆっくりと崩れ落ちる。真ん中の「I」の文字は不完全で、男が崩れ落ちた後その部分は、男の影へと変化する。そこから舞台は一気に場面転換し、この物語の主人公であるエルジュビェタが登場するシーンに切り替わる。
(最初のこの演出は最後まで何を意図しているかわからなかった…)
切り替わった最初のシーンは、エルジュビェタが飛行機でアメリカからはるばるポーランドへやってくる場面だった。
彼女は、教授であるゾフィアの本を翻訳している人物であり、そのまま教授の授業に参加する。ゾフィアの授業は、あるテーマに対して議論する倫理学の講義であった。ゾフィアに会いにきたエルジュビェタだが、彼女は倫理学の講義に参加したいとゾフィアに申し出る。少し驚きながらも、ゾフィアはエルジュビェタの申し出を承諾する。
生徒の一人が、授業の議題としてテーマを発表する。
そのテーマがなんと、デカローグ2「ある選択に関する物語」のエピソードがそのままこの倫理学の講義のテーマとして引用されていた。
このテーマに対して、講義に参加する生徒たちの意見・質問が飛び交い、内容は徐々に白熱していく。
私も観劇していた際に、いろいろな考えが浮かんだがそれは感想パートで。白熱する議論の中、ゾフィアは守られるべきは新たな命であるという結論を一つ出し、残りは自分たちで考えてくるようにと生徒たちに伝え講義を閉じようとする。
ここで待ったがかかる。エルジュビェタが手を挙げ、もう一つのある話をしたいを申し出る。それは昔のポーランドで、ホロコーストがまだ残っている時代のこと。ナチスがユダヤ人を迫害し、ポーランドを侵攻、ユダヤ人の虐殺、収容所移送、、、といった歴史の背景が色濃く映る世界観の話だった。
エルジュビェタは淡々と話を続ける。これまでの講義と同様に、生徒からは質問が飛んでくる。そんな中でも、彼女の話はどこか具体的なように感じていた。それもそのはず、この話はエルジュビェタ自身が6歳のころに体験した話だったからである。
妙にリアルなエルジュビェタの話、彼女自身の実話に基づく話の中で登場する当初の家族のうちの一人がゾフィアだったのである。
翻訳活動を続けていくうちにゾフィアが自分の過去に直結する人物であると気づいたエルジュビェタ。
そして、金のネックレスを触るという仕草をみて、過去に犯した自分の過ちに関係するあの時の少女ではないかと気づいていたゾフィア。
長い時を経て、ここでお互いの再会が果たされる。
大学での講義が終わり、ゾフィアはエルジュビェタを過去のアパートへと案内する。
ここから、2人の間で止まっていた時が一気に流れ込んでくる。
2人のかけ合いと描写は、時間軸が現在でありながらも、アパートでエルジュビェタを探し回るゾフィアはどこか昔の時間軸に生きているように感じた。
ここでのゾフィアの焦りは、自身が置かれた過去の過ちと現在のクロスオーバーだったようにも思う。必死でエルジュビェタを探すゾフィアだったが、エルジュビェタはゾフィアに「私はここにいるよ」と伝える。
場所をゾフィアの家に移し、過去の話の続きが行われる。
過去から現在までの深く、そして長い時間を一つずつ丁寧にゆっくりと2人の中で闇から光へと解いていく。そんな時間のように感じた。
あの大学の授業内で話したエルジュビェタの話を思い返しながら、ゾフィアが真実を語る。あのとき、昔の若いゾフィア夫妻が後見人になるのを拒否したのは宗教的理由からではなく、エルジュビェタを匿うことになっていた地下活動の仲間が密通者だという情報があったから。
もしあの時匿っていたら、エルジュビェタは早晩ゲシュタポの手に落ちるだけでなく、国への破壊者として活動していたゾフィアの夫が所属する組織の存亡まで危うくなるところだった。そのため、組織の安全のためにも当時のエルジュビェタに真相を語るわけにはいかなかった。
これこそが当時の真実だったのである。
その後、当時出回っていた密通者だという情報はまったくの嘘であったため、ゾフィアも善意を持って行動してくれた人々に申し訳ないことをしたとも語っていた。
ゾフィアの家で一晩を過ごした後、エルジュビェタは本来匿ってくれるはずだった男の元に向かう。その男は現在仕立て屋を営んでいた。
エルジュビェタは、仕立て屋を尋ねその男に自分のことを覚えているかを必死に聞き出そうとするが、男の答えは仕立てに関することしか返ってこない。男にとって、昔の事実はもう触れたくないものであり、その男自身も今を生きようとそして前に向かって進んでいこうとしている考えの現れだったのかもしれない。
エルジュビェタと男の会話は最後まで噛み合うことなく終わり、エルジュビェタはゾフィアのもとへ戻る。
そんな2人の姿を上から見た男に対して、仕立て屋の弟子が誰かと尋ねる。
男は「遠い昔の知り合いだよ。生きていたんだ。」と言葉を残し、エルジュビェタとゾフィアが照らされ舞台の幕が降りる。
3.デカローグ7と8の緩やかなつながり
今回のデカローグ7と8でも、それぞれの物語の間で直接的なつながりは描かれていなかった。ただ、デカローグ7と他の物語の直接的なつながりはなく、デカローグ8では運動好きなゾフィアが、朝のランニングを終えて家に帰るときなどに挨拶をする切手コレクターの男性は、デカローグ10に登場する兄弟の父親であるというつながりがある。しかし、一番わかりやすいのは倫理学の授業の中でまるまるデカローグ2のエピソードが語られる部分であると思う。
4.感想
デカローグ7と8を鑑賞した感想は、人と人とのつながりが描かれた作品だったように感じた。
・デカローグ7
この物語は、自分・個人・人といった単位の次に小さな、そして基本的に誰にとっても身近な「家族」という単位の中で人と人がどうやって関係していくかが描かれているように感じた。
この物語が複雑なのは、単なる他者との関係ではなく「家族」という切っても切り離せない関係の物語であること。また、どうやって自分にとっての本当の幸せを掴み取るかを必死に考え、もがくマイカのことを家族に反抗する悪者というよりも、マイカに同情するような視点で観劇することができた。
どこまでも無邪気なアニャが、より一層マイカの境遇を際立てる存在でありつつ、この物語の中心として輝いていた。
最終的に、マイカの思い描いた結末にはならなかったものの個人的には良い決別だったように感じた。自分の理想の将来に向かって、必死に生きてもがいたマイカにとって、早朝の誰もいない始発駅で列車越しに無言で母エヴァと別れるシーンは、一見最悪なシーンのように見えた。しかし、生きるために必死なマイカにとってはこの別れによって区切りをつけ、新たな彼女の人生を歩むための大事な場面だったように思う。
「家族」は誰しもの人生にとってかけがえのないものである。しかし、それらは時間が経つことで自然と亡くなる摂理を持つ一方で、ほんの些細なきっかけによって別れなくてはならない場面が訪れるものであるのかもしれないとこの物語を通じて感じた。
・デカローグ8
この物語は、デカローグ7のような血縁関係がなくとも人と人とのつながりは存在するということを表現した物語だと感じた。
物語の主題の部分はもちろん、それを際立たせる演出と役者の方々の演技が本当に素晴らしかった。
まずは、ゾフィアが講義の議題として1つのテーマを挙げたシーン。物語の感想でも書いたが、この内容がなんとデカローグ2「ある選択に関する物語」のエピソードがそのまま引用されているのである。
しかも、ここまで全てのデカローグ作品で重要な役として登場しつつもセリフなく演技を続けていた亀田さんが、このデカローグ2のエピソードを発表する生徒役に代わり、物語内の一コマの臨場感、ひいては舞台上で最も輝くそんな時間になっていた。
あの亀田さんの力強い声による演技と、倫理学の講義という状況をより一層際立てるデカローグ2のエピソード。そこへ授業に参加する生徒たちの質問が飛び交い、内容は徐々に白熱していく。
デカローグ2はもちろん先に上演された物語なので、自分も様々なことを考えたり感じたが、改めてこのエピソードを引用して何がキーになってくるのかを考えさせられた。私が感じたのは、やはり軸となる女性視点の気持ちや考え方の部分が伝えたい部分だったと思っていたこと。
ただし、視点を変えると「職業人としての選択」をとるのか「生命の選択」をとるのかの二択であった。
前者であれば、医長の視点に立ったものであり、職業人としての選択すなわち「女性の夫が死ぬかどうかを伝えない」ことを宣告すると女性の中にある新たな命を見殺しにすることなり、後者である生命の選択をすると「新たな命を守ることはできる」が、目の前の人間は死ぬことになるという究極の選択を医長は迫られているという状況なのである。
これは、自分が鑑賞した際には気づくことができなかった視点だったので、改めてこの論を聞いてみると妙に納得感がありつつ、新鮮な気持ちになった。
物語の中盤でゾフィアとエルジュビェタが会話するシーンでも、印象的なセリフがエルジュビェタから発せられる。
「どうして人は助ける側と助けられる側に分かれてしまうのか」エルジュビェタがゾフィアに対してこの問いかけをし、それに対してゾフィアがエルジュビェタの肩にそっと手をかけて微笑むシーンも印象的だった。
人としてしっかりとした軸を持ちつつも、やはりどこか過去に囚われているようなエルジュビェタ。繊細な人物を演じる岡本玲さんの演技は非常に良かった。ゾフィアの家でお世話になっている時に、傾いたカレンダーをそっと直そうとする背中越しの演技や、ゾフィアに抱きしめられる時に見せる表情の演技も、時間とともに少しずつ心の変化が起きていくエルジュビェタをしっかり表現されていたように感じた。ゾフィアとの久々の再会から親睦が深まり、徐々に緊張がほぐれてきた後に垣間見える笑顔のシーンなどは、やはり岡本玲さんらしいかわいい演技だった。やはり一番好きな女優さんの演技を直接見れるのは偉大だ。