2024/1/13 あずかりやさん
あっという間に1月も終わりですね。私は年末年始に仕事があったので、2年連続で年末年始に帰省ができずに1人で年越しと新年を過ごしました。また、1月の中旬にじいやが急逝したので、慌ただしく東から西に大移動してお別れをしてきました。仕事は相変わらず忙しく、1月末には落ち着くやろ〜とか思っていたのですが、そんなこともなくまさに今このNoteを書いている日は深夜2時〜朝6時まで働いて、その後9時〜18時まで仕事をして帰ってきました。夜ごはんを食べてコーヒーを飲みながらこのNoteを書いています(笑)
私のことを知っている方は大丈夫なんですが、程よくインターネットに愚痴を吐いたりしているんで、精神的には問題ないです(笑)こうやって仕事以外の自分時間を取れているうちはまあなんとか大丈夫です。
またまた前語りが長くなってしまいましたが、ここからは本題の舞台【あずかりやさん】について感想を書いていきます。お付き合いください。
1.あずかりやさんについて
あずかりやさんは、2013年5月に発売された単行本。
作者は大山淳子さんで、他には『猫弁 天才百瀬とやっかいな依頼人たち』などの他にも名作を執筆している作家である。
あずかりやさんの表紙は、どこか昔のタッチのような絵でパッと見絵本なのかな?とも思えるが、意外にも対象年齢は高校生・一般という区分に該当するのが意外だった。ページ数も200ページちょっとあるので、割としっかりとした文庫本である。
と、ここまででまずあずかりやさんの概要を書いたが、今回なぜこの舞台を見にいくことになったのか?そのきっかけについて少し触れていく。去年の年末に、「今年も年末年始はどうせ帰省できへんし、1月の舞台何を観に行くかそういや決めてへんかったなぁ〜」と思っていた時にふと目に飛び込んできたのがこの写真だった。
「めっちゃシンプル!!」それが第一印象でした。そして、右側にそっと書かれたこの一言に惹かれました。至ってシンプルな文言そして、これを「ます」と読める今の中高生はいるのだろうかというこの文末。ちょうど1月の上旬に公開の舞台だったのでタイミングも良く迷わずこれを観にいこう!と決めました。
2.芝居小屋について
今回は少し味変のような感じで。舞台はもちろん脚本家・俳優・音響・照明など様々な要素に分解ができるが、やはりメインステージになる舞台は最も重要であると思う。舞台も人と同じように十人十色様々な顔を持っているように思う。そもそもの観客をどれだけ収容できるかの箱の大きさや、その芝居小屋が持つ歴史、そこから紡がれる独特の匂いなど、多種多様である。今回のあずかりやさんが行われた舞台は久々の小さな芝居小屋だった。芝居小屋というよりも古いアパートの一階を間借りして、それを芝居小屋に改造しているような場所だった。お客さんもおよそ40人ぐらいがかなりぎゅうぎゅうになるぐらいの密度で、その分舞台との距離もかなり近かった。舞台上のセットもかなりシンプルなもので、基本的にはあずかりやさんを象徴する「さとう」の暖簾、ガラスのショーケース、上がり框、主人公が作業をするための小さな番台と小さな舞台ながらもしっかり奥行きも使いながら世界観を表現していた。特にガラスのショーケースの使い方が秀逸で、時には取調室の仕切り、時には病室にと小さい芝居小屋ならではの工夫がたくさん詰まった舞台セットの使い方がされていた。作品との縁もあるが、今後はこの芝居小屋の雰囲気味わいたいから観に行く!みたいな楽しみ方もやっていきたい。
3.観劇した感想
(0)全体
舞台の演出としては、最初から最後まで、舞台の一番最後に種明かし的な形でのれん役としてこの物語を支えた益海さんの演技は見事だった。
決して本筋の物語の演者として出てきているわけではないが、テレビでいうナレーションの役割をこなしつつ随所で入れる愛嬌たっぷりの合いの手が非常に見ていて心地よかった。
個人的には、ねずみ爺さんが話す江戸言葉について「ひつじ?しつじ?」と、どこかワンシーンの中に溶け込みつつ観客の「疑問符」を代弁してくれる部分は思わず笑ってしまった。
(1)第1話「あずかりやさん」
まずは、物語の出だしが印象的だった。
多くの舞台では、演目が始まる前に舞台上のセットを観客に見せつつ時間になると自然に俳優さんたちが舞台上に出てきてストーリーが始まるのが多い。
しかし、この演目ではいきなり芝居小屋全体が真っ暗になり、舞台上を駆け巡る鈴の音と、預かり屋さんとお客とのやり取り「何日預けますか?代金は700円です。いってらっしゃい」と女の子の声「いってきまーす!」のみが響き渡る演出となっていた。
最初はなぜこんな演出なのかわからなかったが、預かり屋さんの店主である桐島透は、幼い頃に失明しているためあずかりやさんに来る客がどういった人なのか視覚的に理解することができない。(このことはこの第1話の途中で描かれている)
それを踏まえると、この演出は観客に対して盲目の桐島透の世界を疑似体験してもらうための演出だったのかもしれない。(個人的には、鈴の音も女の子の声もクリアに聞こえるような音響の響かせ方だったように感じた)
この『あずかりやさん』のルールは、至ってシンプルで、
①預かり物は1日100円で何でも預かる
②預かる期限を過ぎた預かり物は、自動的にお店のものとなる
③預かる期限よりも前に預かり物を受け取りに来ても、差額の返金はない
この3つだけである。しかし、この「預かる」という行為に関係する様々な要素から、登場人物の人となりや人間同士のコミュニケーションとは何かということが綺麗に表現されている。
冒頭の暗闇を活かした演出で、大枠のあずかりやさんについて示しつつここから主人公の桐島透についての紹介パートに入っていく。
時間軸は今の状態からスタートしつつ、あずかりやさんに本を持ち込む女性と主人公のやり取りのシーンから始まる。
この女性は度々このあずかりやさんへ立ち寄るが、これまで一度も荷物を預けたことがないという一風変わった女性であった。
後の物語の展開で明らかになるが、この女性は盲目の主人公に対して様々な本を点字本として翻訳し主人公に読んでもらうために来店していた。
ここからあずかりやさんの原点となる10年前の時間軸へと一気に巻き戻る。
感想としての詳細はここでは割愛しつつ、ストーリーとしては主人公がなぜあずかりやさんになったのかについてが描かれていく。
ものすごい天気が悪い中一人の男があずかりやさんに駆け込んでくる。状況としては見るからに逼迫しているようだった。
その男は、桐島が目が見えないことを確認しつつおもむろに上着の懐から包み紙に包まれた預かり物を取り出す。桐島は自分の状況を理解できないまま預かり物を受け取る。
包み紙の中身を見るとそれは拳銃であった。預けにきた真田幸太郎は「必ず取りに帰ってくる」と言い残し去ってしまう。
時が経ち、主人公がラジオでニュースを聞いていると聞き覚えのある名前が耳に飛び込んでくる。それはまさかの真田幸太郎であった。
その時彼が預けたものは、事件で実際に使用された拳銃であったことがここでつながってくる。
時はまた今に戻り、いつも点訳本を持ってくる女性と主人公のやり取りに戻ってくる。
今まであずかりやさんに荷物を預けたことがなかった彼女が点訳で使用するタイプライターを持って、店にやってくる。
ここから彼女の過去とこれからそして本心が主人公に対して明らかにされていく。作品中で彼女は自身の名前を相沢幸子と自己紹介をしていたが、彼女の本名は真田幸子であった。すなわち彼女と真田幸太郎は実の兄妹だったのだ。主人公がラジオで耳にしたニュースと同一の内容を彼女自身もテレビで見ていたのである。
真田家は昔から決して裕福な家庭ではなく、兄も妹も小さい頃から貧しい生活を強いられていた。そんな中兄は、自分にとって唯一の妹のためにとがむしゃらに働いていた。そんな世間知らずの兄が妹の幸子に対してことあるごとにお金を渡しにいったり、彼が人生を賭けて妹に花嫁道具を準備してあげるといった部分から妹の幸子も何か良くないことでお金を稼いでいるのではないかと薄々は感じていたようであった。
そこに飛び込んできた実の兄が逮捕されたというニュース。もちろん実刑を受けることになるわけだが、一度だけ刑務所で面会した兄のどこかスッキリした顔を見ることでこのあずかりやさんの存在を知った彼女は、兄が預けたという預かり物をあずかりやさんから取り戻すために、盲目の店主に近づき、あわよくば盗み出すということが当初の目的であった。
しかし、主人公を油断させるためにやった点訳本の作業や自分が点訳した本を読んでまっすぐな感想を述べてくる主人公。また、獄中の面会で会った兄がこぼした「初めて人生で信頼できる人間に会えた」という言葉が重なり、
最初の邪な考えが自然に消え去り、自然に主人公と向き合うことを選ぶようになっていた。
もちろん彼女の実の兄の言葉もあるものの、盲目の主人公がただ「預かる」という行為を一生懸命に行うこと。また見えていないながらも対面している人に対して実直に向きあう主人公の姿と言葉が大きく人を動かしたように感じた。
(2)第2話「トロイメライ」
第2話では、頭からつま先まで全身ねずみ色のおじいさんが店へやってくるお話。
もう本当に帽子・髪の毛・服・靴何から何までねずみ色なのである。このおじいさんは江戸訛りの言葉を喋り、どういうわけか封筒を2週間ごとに預ける変わった人物である。
最初は、預けてさっさと帰るような人だったがあずかりやさんに通い詰めるうちに徐々に主人公と打ち解けるようになっていき、最後には世間話や家族の話、そしてなぜここを見つけたのかを話すようになっていった。
そんな中おじいさんの息子を名乗る人物が店に訪れる。老人は有名な会社の社長であったらしい。息子は父が遺書を預けたという噂を聞きつけてあずかりやさんに訪れ、父が預けたものを見せてくれと懇願する。主人公は頑なにお店のルールを守り、見せることはできないと突っぱねる。ここで主人公から息子にクリティカルな問いが提示される。「それって本当に遺書なのでしょうか?もし、あなたがお父さんの死後どうなるかを気にするのであれば、直接話をしてみてはどうでしょうか?」と。
自分が生まれてからずっと見てきた父親は、ずっと仕事に一筋の人間だったためなかなか目と目を合わせて話をしたことがなかった。
いい歳になった自分が果たしてきちんと親と会話することができるのか。自分の気持ちを父親はきちんと聞いて・受け入れてくれることはできるのだろうか。様々な不安と葛藤の中、息子は自分の意志で父親と面と向かって会話することを決意する。
この前段を踏まえて、時間軸的にはおよそ2ヶ月か3ヶ月が経過した時に、社長の秘書をしていたという女性があずかりやさんに訪れる。彼女は、主人公に対して社長の名前を伝えと後彼が亡くなったことを伝える。
その後、亡くなった社長からの伝言でとあるアンティークのオルゴールを預かっているので預けにきたという。そのオルゴールは昔ながらのネジで巻いてから使うタイプのオルゴールであり、それは亡くなった社長が新婚旅行で行った海外で買った非常に珍しい一品であった。
主人公はもちろん自身のルールにのっとり、名前・期限・預かり料を受け取ろうとするが亡くなった先代の社長は遺言として「預かる期間は50年。しかし、店にいるときは1日1回必ずこのオルゴールをかけてその音色を店内に響かせるように」ということを残していた。
その後、亡くなった社長がどうゆう人であったか晩年の社長の生活やなぜこのあずかりやさんに辿り着いたかや、自分と家族・息子との関係についてを教えてくれた。
父と息子の最初で最後の会話の際には、あんなに仕事一筋だった父親がどこかスッキリした晴れやかな顔をしていたことも合わせて伝えられた。これを聞いた主人公はどこかホッとしたような顔をしていた。ここでも彼の人柄が半ば凍え切っていた親子の関係を暖かく照らし、雪解けに導いたのかもしれない。
(3)第3話「星と王子さま」
最後は、この舞台の冒頭で暗闇の演出で登場していた奈美と自転車を預けるために毎日通っていたつよしが登場してくる。冒頭と途中で出てきた2人大人になって再登場することにより、舞台の中での明確な時の流れを表現していた。
大人になった奈美は自身の子ども時代を懐かしみながら、自分の同級生が結婚した話や懐かしのコロッケ屋さんの話をしていた。そんな中昔足繁く通っていたあずかりやさんの存在を思い出し、再びそこを訪れようと決心する
あずかりやさんを訪れた奈美だったがそこにいたのは、店主である主人公ではなくよくわからない一人の男だった。(その人物がつよしである)
男は自分も昔あずかりやさんに通っていたこと。また、今は店主である主人公がいないから代わりに自分が店番をやっているということを言う。
半信半疑ながらも奈美は預けたいものをどうすべきか悩んでいた。そこにつよしから自分はこの店の店主ではないから預かることはできない。その代わりに自分の大切なものを預けるから持っていてほしいと言う。
その大切なものが「星と王子さま」であった。お互いに自分の大切なものを預けることで逃げ道をなくしつつもお互いに預けたものが必要になった時には取りにこようという約束だった。
ここから主に奈美の実情についてストーリーが展開されながら進んでいく。お互いの預かり物を交換したものの、なんとつよしは奈美が預けた封筒の中身を見てしまったのである。奈美は「どうして封筒の中身を見たの?」と困惑するものの、つよしは中身を見るつもりはなかったとしつつ、中身を見た今この封筒は奈美の手元にあるべきものだと考えて、返しにきたと言った。
つよしの行動は、奈美からしたら約束破りの行動ではあったがそれ後押しとなり彼女自身の次のステップへと繋がっていく。
その後、彼女は再びあずかりやさんを訪れる。そこには見慣れた主人公の姿があった。もちろん主人公は小さい頃の奈美のことを覚えており、声を聞いただけで彼女が奈美であることを理解していた。
奈美は先日自分が訪れた時のこと(つよしとのやり取り)を主人公に話すが、主人公が法事で店を空けていたことは事実である一方で店番なんて誰にもお願いしておらず、出かける時は戸締りを全てしてから出ていったから誰も入る余地はないと言う。奈美は自分が目の当たりにした光景がもしかして嘘であったのかと考えるも、久々の主人公との再会にどこか声が嬉しそうであった。久々の再会と一連のやり取りを終えて、奈美はあずかりやさんから立ち去ろうとする。店主は昔小さい頃の奈美を送り出す時と同じように「いってらっしゃい」と優しい声をかける。
その刹那、昔の自分を思い出した奈美はあの時と変わらないはっきりと元気な声で「行ってきます!」と返事をした。
その彼女の声は昔と変わらないあの時の声でありつつも、今回はどこか自分自身に何か決意を持った「行ってきます!」のように聞こえた。
4.考察
今回はこの舞台で伝えたかったことはこの2点ではないかと感じた。
・一生懸命生きること
・人はきっかけひとつで大きく変化できるということ
・一生懸命生きること
一生懸命生きることは、意外にできているようでできていないことなのかもしれない。
朝起きる、ご飯を食べる、仕事をする、自分のために時間を使う、友人に会うetc…
どこかルーティン化されたような日々の生活、ひいてはそれらが積み重なって一番最後に引き延ばした時に目の前に広がる自身の人生を見たときに、自分は一生懸命に生きた!と言えることができるだろうか。
少なくとも私は今、この時点では納得した人生として受け入れることはできないと思う。まだまだ後悔することや失敗してしまった!と思うことの方が圧倒的に多い。もちろん現状や今の環境に満足しきって、何もしないことはある意味幸せかもしれない。安定択を取ることも時には大事ではある。しかし、その現状維持の中に一生懸命さはあるのか?
一生懸命生きるの尺度はもちろん個々人によって全然違うが、それぞれにとっての一生懸命生きるということは、分かりやすくも難しい一つの命題なのかもしれないと思った。それと同時に、自分が今置かれている環境や人間関係に深く感謝しないといけないと思った
・人はきっかけひとつで大きく変化できるということ
人はほんの少しのきっかけで前に進むことができるのではないか。
勉強・恋愛・仕事など、自分の中で決断を迫られるタイミングは非常に多い。
その時に迷いなく決断できる人と、そうではない人がいる。揺るがない自信があれば決断することは簡単であるが、往々にしてそういう場面の方が少ないのではないだろうか。
私も自分自身の少ない人生経験の中振り返ってみると、なかなか自信を持って決断をしたというシーンを思い起こすことができない。
不安・悩み、時には一種の賭けのような形で決断をして何かやってみる。その結果、成功した時には後付けであの決断は良かったと決めることのほうが多いような気がする。
しかし、無惨にも決断の時に時間や周りは待ってくれない。決断までに時間がある場合もあれば、たった今目の前で決断を迫られる時もある。
もちろん最終的には自分が決めることだが、そんな時に助けてくれるのは自分の周囲の環境(家族・友達・恋人)ではないだろうか。
そう言った人たちの何気ない一言は、自分にとって踏み出すには勇気のいる、そして重たい一歩であっても必ず強い力になってくれるように思う。
私もこういった人たちの言葉による後押しや支え、また言葉に出さなくても周囲の行動や環境によって自分自身で前に進もうと決断してきたことを考えると、自分自身の今の環境が本当に素晴らしいものであること、自分に刺激を与えてくれるたくさんの人を見ながら、前に進まないといけないなと思う。