【限定公開】あとがき
このエッセイと呼べるのか分からない文章を書くきっかけは、私があまりにもネガティブになって、悪いことが立て続けに起きたときです。あまりにもアレだったので、無料で精神科医の先生と相談できる事を知り、勇気を出して相談した日のことでした。
「今の貴女には、他人の意見や価値観という、新しい風が必要だと思います。」
精神科医の先生にそう言われました。
どうやったら他人とコミュニケーション取ればいいんだろう。しかも条件が対面で・・・と悩んでいた時。浮かんだのが「エッセイ書こう」でした。前々から興味があって、構想は立てていたのですが、書いたことが無くて。でも、えいやとやってみました。そして出来たのがこの同人誌です。
このエッセイのタイトル「砂を握る、わたしは生きていると錯覚する」にしたのは、いろんな経験から得た感情や気づきを余すことなくつかみ取りたいのに、どうしても取りこぼしてしまう悔しさを砂を握るように思えたからです。海の砂のように流れてしまう、水を含むと鳴るような質感が今回書いたイメージでした。経験と実感を掴み取るような、それでいて全て掴めない感覚が頭の中にあったのです。
書きたいように書いて自分で読んでみたら、知らない人にとって分かりにくい内容になってしまったかもしれません。でも、この文章は、今まで信頼していた人にしか話せていませんでした(耳にタコができていると思います)。自分の不安に思っていることは何だろう、この先私はどうしたらいいんだろうと、丁度次に進もうと悩んでるときでした。時期的に書かないと、自分の清算ができなかったと思います。気にしすぎ、真面目過ぎ、受け止めすぎ、そういわれても構わない。こんな葛藤を毎日繰り返していたと、誰かに伝えたかったんです。そして共感してほしかった。上から目線のありきたりなアドバイスじゃなくて、抱える辛さを話したかった。このエッセイの書ける範囲で出し切りました。後はあなたがどう思ったか、ぜひ教えてください。
最後にこの文章を書くきっかけをくれた先生、保健師さん、原稿を読んでくれた友達、見守ってくれたフォロワーさんに感謝申し上げます。そして、私を支えてくれた家族と仲間にも数えくれないくらいに感謝を(あとお父さん、悪く言うようなこと書いてごめんね。見せる予定はないけど)。本当にありがとうございました。この先、心境がどう変化して成長しているかわかりません。でもどこかで、自分を騙しながら、時々信じながら進んでいこうと思います。
今度はもうちょっと歩いた先の、明るいお話の中で会いましょうね。
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