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父のこと

次世代ファミリーコーチのベアちゃん(50代女性)です。
実家に戻って住んでいるベアちゃん、13年前に他界した父の部屋にまだ残されていた父の机の引き出しをただいま片付け途中です。
今日は父の日なので、父の机の引き出しの中に残っていたもののレクリエムをかねて、父との思い出を少し書いてみたいと思います。


1.こどもが小さい時の父

 ベアちゃんの両親は 医学部時代の知り合い同志で結婚したカップルで、二人で米国留学し 姉は2歳まで米国で育てられました。ゆえに、父は「Dady」とよばれていました。二女のベアちゃんは日本で育っていますが、姉が「Dady」と呼ぶ名残で、我が家では父のことを「パパ」ではなく、「ダジ」と呼んでいました。(Dadyじゃなくて、、ダジでしたね笑)

 ベアちゃんの両親は留学を終えて日本に帰国後は勤務医として働き、超多忙でしたので、ベアちゃんファミリーは母方の家で3世代同居。ベアちゃんと姉はずっと祖父母に育てられました。夕食も祖母がつくり、母は19時頃帰宅。父の帰宅はたいてい23時頃で、風呂入ってすぐ寝てしまい、夕食はほとんど家で食べない感じでした。

 姉は日本に帰った後は 米国に居た時ほど父に遊んでもらえなくなったので寂しかったのかもしれません。サムネの画像は、父の机の引き出しから出てきた、 姉から父への手紙です。
「私は、妹のベアちゃんと毎日遊んでいます、クリスマスパーティには早く帰ってきますか?」とのこと。「早く帰ってきてね」、と書けず、質問形でしか書けなかった姉に、ちょっとウルっときます。ベアちゃんは姉にも遊んでもらえて、祖父母にも可愛がられ、父が毎日帰宅が遅いことをなんとも感じませんでした。良いことなのかなんなのか、ですね。笑。
 父は、早く家に帰りたかったのに帰れない状態で辛かったのか、どうなのか、今となってはわかりませんが 姉の手紙がずっと机にしまわれていたということは、父ももしかしたら、「うん、クリスマスパーティーには早く帰ってくるよ」と約束したかったのかもしれません。
 昨今、医師の働き方改革も進んでいますね。医師の働き方改革の壁のひとつに、患者が主治医に頼りすぎること、主治医が帰宅したと聞くと、冷たい人だ、と言ったりする ということがあるらしいです。主治医も人間・・家庭があるかもしれない、、そう考えていける社会になってほしいものです。

2.2人の娘たちにとっての父

 

 父は大学医学部教授をつとめあげ、大きな病院の病院長をまかされました。70代になっても再就職した私大の医学部で教鞭をとっていましたが、72歳の時、仕事の会議中に大動脈解離で突然ばったり倒れて他界しました。医学部内での出来事でしたので、最善の救急医療がなされたことは間違いなさそうでした。父は人間ドッグや予防医療を、自分より若い部下にされることが嫌だったようで拒否していたので、ベアちゃんは72歳はちょっと早かったなと残念ではありますが、父の死は受け入れられています。

 他方、姉は 父の死後、父の死をなかなか受け入れられないようでした。ベアちゃんには子どもが居て、孫とおじいちゃんの関係で多数の時間を過ごしていましたが、姉には子どもがなく、父と姉の関係は、父と娘の関係のまま時間がとまっていたようで、 姉からみると、「いつも仕事で忙しく、自分と対話してくれない父」のままに逝ってしまった、ということだったようでした。

父の死からもすでに13年がたちました。
ここ2年間は 姉は仕事を辞め、母の介護の名目で 実家に毎日通い、合間をみつけて、父の遺品もいろいろと整理してくれました。

 父は 現役中に亡くなったので、父の仕事の資料が膨大に我が家には残されていました。それらは、ベアちゃんにとっては 単なる書類の山でしかありませんでしたが、姉は1点づつ読んだりして、父の仕事の意義・意味を理解してから処分していました。

 そんなわけで、父の部屋は死後13年たってもまだ父の机が引き出しにモノ残存の状態で残されていましたが、姉も2年かけて父の仕事の遺品と向き合ったのでそろそろよさそうな感じなので、ベアちゃんがついに父の机を処分し、父の部屋をリフォームする決断に至りました。

3.父が大切にしてきたもの 

 父が 父の机の引き出しにしまっていたものは、おそらく父が大切にしてきたものだと思われます。
冒頭の 姉からの手紙も 父の引き出しに入っていました。

その他、こんなものがしまわれていて、いろいろと考えさせられました。

・裁判所からの 自動車事故加害者 出頭命令書
父は 米国から帰国直後、娘たちがまだ3歳と1歳・・というような時に、自動車事故をおこしていたようです。ケガはなく、相手の方とは示談したようでしたが、この資料を父はずっと机の引き出しにしまっていたこと、事故を戒めにしていたのかな、と思いました。
ベアちゃんが物心ついた後は、父は一度も自動車事故を起こしていません。70歳を超えて娘たちが運転を心配しだした段階で急逝したので、今時の高齢ドライバー問題とも無縁で、良かったなと思います。

・仕事の辞令

 昔はどこの職場も「辞令」というものは紙でもらったのかと思いますが、なんとなんと、父は若かりし頃から、大病院の院長への任命に至るまで、
仕事の辞令書を後生大事にとってありました。すごい束!

 会社員のベアちゃんは、若かりし頃は やはり辞令を紙でもらっており、はじめの頃は 同期といっしょに職能給が1つ上がるだけでもとても嬉しかったことを思い出しますが、最近の辞令はネット上掲示なので、辞令を非常に軽く考えるようになってしまっていました。父が、ひとつひとつの「辞令」を拝命としてしっかり受け、大切に仕事をしてきたということ、なんだかあらためて心に染み入りました。世間的に社会的地位が高く見えるようなところにまでいくためには、やはり 与えられた仕事も拝命としてきちんと大事にしっかり向かう姿勢も大切なのかな、と思ったりしました。

4.ベアちゃんの父の思い出

父はベアちゃんが高校生の頃 大学医学部の教授になりました。
母もたいそう喜んでいましたし、ベアちゃんも、「親が大学医学部の教授だってよ~」と校内で噂になっても、「まあ悪くないね」的な状態でした。
華の女子高生JKから見た父は 実は家では薄毛を気にしている、カワイイお父さん で ベアちゃんと夏目漱石についていろいろ話をしたりしてくれました。(太宰治にハマっていたJKベアちゃんでしたが、父の影響で夏目漱石も相当読みました。)
大学生になったベアちゃんには父は 「クラシック音楽を聴きなさい!」と多数のCDをプレゼントしてくれました。20歳をすぎてからはフレンチレストランに連れていってくれて、ワインを解説してくれました。
 父は オペラやワインに詳しかったのですが、母は多忙すぎて、父のその高尚な趣味につきあうことが全くできていなかった。姉も 男女対等にこだわっていたようで、父に奢ってもらってフレンチレストランにはいかず、ベアちゃんは 屈託なく父のオペラやワインの話を、(たとえマンスプレイだったとしても)真摯に聞いたので、たぶん、父も楽しかったのではないかと今では思います。オペラはとっても高いのでなかなか見にいくことはできないけれども、いろいろ解説してもらったこと、とても良い思い出です。

父はベアちゃんの結婚・就職に関してはこんな感じで、ちょっと笑い話です。(読者の中で、えー?異議あり!な方もいるかもしれませんが。)

・結婚関連
ベアちゃんが大学院修士になった頃には、父は 医師仲間の息子と見合いをさせようとしました。
まあ、見合いといっても堅苦しいものではなく、大学院生のベアちゃんが 実家に帰るタイミングで、「〇〇先生とその息子が家に遊びに来るので、一緒に!」というような会が設定された、という感じでした。ベアちゃんはツワモノなので、お医者さまの卵とは楽しく交流させていただきながら、あっけらかんと自分の選んだ彼氏と自分でお話進め結婚しました。父は私の選んだ彼氏を紹介したときも、即決OKで、結婚後も仲良くしてくれたので本当に良かったです。こんな経緯があるので、ベアちゃんは、「お医者様と結婚するのが勝ち組」というような価値観の女性とはあまり話があいません。

・就職関連
 就職に関して、父のアドバイスはまったくもって 混迷していました。
・公務員だ!国家公務員だ!と連呼するので 父の弁を尊重し、国家公務員試験第1種を受験しましたが、ベアちゃんには歯が立ちませんでした。
周りで受験する人もおらず、学校的に支援制度もなく、正しい準備ができなかったこともあるかと思います。

・次に、「アナウンサー試験、受けてみなさい!」でした。リケジョで修士課程に進んでいるというのに、私が立派な研究者になれると思えなかったのでしょうね。ベアちゃんも混迷していたので、リケジョであるにも関わらず、政治経済勉強してみたりして、いちおう受けてみましたが、これまた、書類試験の過程で歯がたちませんでした。大学受験で歴史やっていないのだし、「親に言われたから受けてみた」なんていう動機では到底手が届くハズもないですね。アナウンサーの方々に申し訳ないです。もっと 迷いなくリケジョらしく頑張れば良かったのに、父のアドバイスも混迷していて、まったくもって混迷の時期でした。

そんなわけで、父はベアちゃんの結婚や就職には有効なアドバイスは全くできませんでしたが、一緒に混迷したこと含め、父とは楽しい思い出がいっぱいです。ベアちゃんは自分の力で結婚も就職も勝ち取っているので、そのベアちゃんの選択を受け入れて肯定してくれているだけで、とても良い父です。

以上 父の思い出はこのくらいにしましょう。

ベアちゃんは今、大学生の子どもに「父にされて嬉しかったこと」を思い出しながらいろんんあことをしてあげています。
親との楽しい思い出を世代感連鎖させていくのはきっと素敵なことですね。

母は父他界後 寡婦になっていますが、娘二人で支えて穏やかに暮らしています。

皆さまもどうぞ素敵なファミリーが世代間連鎖しますように。

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