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フロイトの名言にスキ❤️

『子供が遊ぶ動機は大人になりたいである。この感情は子供を教育する上で重要になってくる』


私たちは子供の頃、お父さんや先生やお兄さん、お姉さんに憧れたのは、子供にはできない様々な技能や能力を見せられたからではないでしょうか。

男の子なら、キャッチボールをしてお父さんが投げる球のスピードに驚いたり、サッカーのリフティングで、足の甲でボールを空中で一回転させる技であるアラウンドザワールドなどを見せられて感心したと思います。

女の子なら、お母さんの作る料理に感心を持ったり、ピアノをひけたり、絵が上手かったりなどの技能に、目を開かれた思いをしたと思います。

要は、大人になると何でもできるスーパーマンになれるという観念を子供時分に抱いていたと思います。

ところが、大人になってどうでしょう。子供の時に抱いた大人の抽象的概念に困惑された方が多いのではないでしょうか。

大人になると、子供の時にできなかったことが、たいていの人ができるようになり、それが普通となると、別に大したことではない。

そもそも、大人とは何なのかという疑問を大人になってからでも抱いてしまいます。

私は両親から『他人に迷惑のかかることさえしなければいい』とだけ、教えられましたが、この言葉にしても、あまりにも抽象的すぎて、よく理解できていませんでした。

実際、生きていると、少なからず他人に迷惑をかけることはあるものです。

例えば、会社でも自分が担当している仕事がありますが、病欠で休みをとることがあります。

自分の変わりに担当する人は当然不馴れな方がする場合があります。業務内容が単純であれば差ほど問題はありませんが、正社員の仕事内容はほとんどが、その人しか効率よくできないものばかりです。

当然、変わりに入れこまれた人は、
『いくら病欠だから仕方ないといっても、嫌な仕事がまわってきた』と思うはずです。

人間、生きていると確実に他人に迷惑をかけているものです。

なので、私の両親の家訓とも言える上記の言葉は、抽象的ではあるものの、考える機会を与えてくれるものと、解釈しています。

しかし、単純に一口で『大人になる』と言っても、成人したから大人ではありません。

今は18歳から成人ということになっていますが、善悪の判断がわかる年頃で、刑事事件を起こした場合に責任能力があることを問いやすくするために、国家が決めたのです。

子供ができたから、『はい、僕は大人になりました』というわけにはいきません。

仕事でもそうですか、入社して2、3年の人と、20年、30年の人との業務能力は当然、比較になりません。

経験と知識の量に雲泥の差があるからです。

私も人にどうのこうのと、語れるほど経験豊富ではありません。しかし、常に
『学びの精神』だけは大事にしています。

特にご年配の方の意見には注意かく耳を傾けます。

年数を多く生きておられる方は、私が見たことのない景色や、場面を見ているし、失敗の経験も当然多くしているから、これからの未来に起こるであろう難題に身構える判断基準や推測力を教えてくれます。

主題のフロイトの名言の、
『大人になりたいという感情は、子供を教育する上で重要になってくる』

これは、子供の時分だけにとどまらず、人間が終生、抱き続けなければならないものと解釈しています。

『能力が向上したい』とか『人として立派な人格になりたい』と抱き続ければ、
当然、我が子にも、その感情を力説して、親子ともども、さらなる高みを目指していけます。

このフロイトの名言は、私が初めて自費出版した自叙伝『大人になりたい』の本の帯に引用させてもらいました。

あなたは、自分が大人になったと自覚していますか?



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