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しあわせはいつもじぶんのこころがきめる
しあわせはいつもじぶんのこころがきめる
聞いた事がある方もいると思うけれど、相田みつをさん の言葉だ。
風見婆はこの言葉が大好きで、この言葉が刻まれたガラスの置物を20年くらい前から玄関に飾っていた。
今はどこかに行ってしまったけど。
この言葉はエイブラハムが教える「引き寄せの法則」や「意図的な現実創造」を
短かな文章で表している味わい深い言葉だと、最近になって気づいたんだ。
心で何を見る?
苦しい時、何にフォーカスするか
20年くらい前の風見婆はシングルマザーになったころだった。
自分がそういう周波数だったから引き寄せた結果だと今は思えるけれど、
離婚当時、格下になったような扱いをされることが多かった。
既定コースを外れた落伍者みたいな^ ^
役所関係、学校関係、ママ友、良く知らない人にまで・・・
そんなわけで落ち込むことも多々あった時、相田さんの言葉に出会った。
しあわせはいつもじぶんのこころがきめる
この言葉がじわっと心にしみて、本当にそうだなって思えた。
引き寄せの法則は全く知らなかったけれど、同じ状況でも何を見るかによって全然違うんじゃないかと思ったんだ。
保護者としての責任、生活していくうえでやらなければならない事の数々をすべて一人でやるのは大変だった。
でも、気持ちの中に自由があった。
笑って楽しく過ごせる時間が多くなった。
ちょっと大変な事や嫌なことがあっても、すぐに転換して楽しいことに目を向けられるようになった。
その転換は子ども達の方が上手だったから、ずいぶんと助けられた。
こうしなければならない、ああしなければならない
今までの経験からくる思い込みや信念を完全に手放していたわけではないけれど、楽しい事、幸せなことにフォーカスしようとしていた。
同時に少し後悔もある。
子ども達が成長していくと、周囲からの圧(こうしろ、ああしろ)が増えていった。
もっと自由でいいと風見婆は内心では思っていたけれど、ほとんど何もできなかった。
自分自身の思い込みや信念もまだまだあった。
子どもたちに何でも創造できる、自由なんだと自身の行動と態度で示してあげることができたら良かったな~と思う。
過去は変えられないから、今からでもそれをやろうと思っている
話を戻そう。
何にフォーカスするかで引き寄せるものが変わってくるんだ。
つまり引き寄せポイントが変わる。
例えば、風見婆が当時、元夫の悪口や周囲の事柄にネガティブに反応し、そこに留まり続けると、その現実は繰り返されただろう。
夫と同じようなタイプの人と出会って、さらにスったもんだしたかもしれない。
フォーカスするものを変えて楽しい事、笑えるものにフォーカスしたら、望む方向へと引き寄せが始まっていく。
ピュアでポジティブな宇宙エネルギーと調和することで,望むものと周波数が近くなっていく。
辛い現実があったとしても、どこかホッとするところを見つけていく。
今の場所にある幸せを見つけてみる。
空が青いし、風が気持ち良い。
家に屋根があって、枕やお布団ある。
冷蔵庫、掃除機、洗濯機 動いてくれてありがとう~
コンビニさん、いつも開いててくれてありがとう(*^_^*)
当たり前と思えるような些細な事の中に幸せや感謝を見つけてみる。
反応と意図的創造の違い
周囲の人に心無い言葉をぶつけられたとする。
(離婚なんてして)
「旦那さんがかわいそうなんじゃない」
こちらの状況もよく知ろうともしない人がそんな言葉をいう。
聞いた時はえっと思い、何も言えない。
後から、何も知らないのに・・・と怒りがこみ上げてくる。
一瞬のことなのに後からの怒りは長く、場合によっては延々と繰り返してしまう。
ネガティブスパイラルにはまると、他の嫌なことも思い出してネガティブな思考にフォーカスし続けてどんどん活性化してしまう。
この一連は 「反応」の連続なんだ。
誰かの言動に自分の感情と思考が即時に反応している。
反応が反応を呼び、さらに反応し、活性化させる。
でもここでちょっと待って、落ち着いて。
お茶でも飲んでゆっくりリラックス
やらなければと思っている事も横において
ほんの少し自分に優しくしてみよう。
どこかほっと安心できる場所を探してみよう。
もしかすると、発言した人も結婚界隈に何か悩みを抱えていて「離婚」という言葉を聞いた途端にネガティブな反応をしてしまったのかもしれない。
他の人間関係に何か悩みや問題を抱えているのかもしれない・・・・
自分には自分の事情があるけれど、相手にも相手の事情が何かあるのかもしれない。
単純に疲れていて機嫌が悪いこともあるよね。
相手のネガティブな反応に自分もネガティブに反応するのではなく、
自分のソース、内なる自分、無条件の愛の場所にいる自分と調和しながら捉えてみる。
広い視野からより大きな背景や全体をみてみる。
この方法が 人間関係における意図的な創造をはじめるところ なんだ。
ネガティブに陥っている人がネガティブな状況に陥っていることをただ無条件に認める
ゆるすとか無視とか反撃とかあれやこれ
あれやこれや複雑に考えて繰り返さなくていいんだ。
ただただ、その人のその状況をそのまま
自分も自分の状況をありのままに認める
もしかしたら互いの苦しい周波数が似ていて引き寄せ合っていたのかもしれない?
一時的にネガティブに反応してしまうこともあると思う。
けれど、そこにとどまり続けるのをなるべく止めて
内なる自分と一致するところをゆっくりでも少しずつでも探していこう。
複雑に何度もネガティブに繰り返された人間関係の場合は時間がかかるかもしれない。
うまくいかない時は他のうまくいくところ、楽しい事にフォーカスして気分転換して自分の周波数を少しでも上昇させるように調整することろから始めよう。
付け加えると、ポジティブな反応というものもある。
誰かの言動が嬉しい、ハッピーな気持ちになる。
良いことがあったら単純に嬉しい。
誰かの褒め言葉が純粋に無条件の愛なら心が喜ぶ。
社交辞令、忖度、褒めころし的なら、ポジティブでもネガティブでもない、ミックスバイブレーションになってしまう。
反応そのものに良い悪いはないし、誰でも反応はする。
反応した時の自分の感情、心の動きに気づいて、そこからどうしていくかが大事なんだ。
他者の評価は気にしなくてOK
反応と意図的な創造の違いが何となく感じてもらえただろうか
*反応は相手の言動にに自分がネガティブorポジティブににほぼ自動的に感じること。
人によってはその反応をすぐに外に出してしまう。
言い争いなんかはネガティブな反応の応酬だね。
*意図的創造は まず、内なる自分はどう感じているか どう思うか 無条件の愛の場所から考えてみる 思考してみる。
ネガティブな人にはいろいろな理由があってそうなっているじゃないかな?
超ポジティブな人に嫉妬や羨望を感じる時、内なる自分はその人が素晴らしい、いいな~自分もあんなふうになりたいと思っているのかな・・・
周囲の人の在り方や言動は、自分が本当に何を創造したいか を知る指標やキッカケにもなる。
周囲の自分への評価はネガティブなものもポジティブなものもある。
反応からくる言葉かけもあれば、無条件の愛の場所からかけてくれる言葉かけもある。
その人自身の思い込みや信念にとらわれて発する言葉もあれば、ソースと一致する場所から愛の言葉をくれることもある。
だから人の言葉や態度に一喜一憂≒反応しなくていいんだ。
誰かに評価されなくちゃという条件付きの愛の世界は苦しい。
人に褒められよう、評価されようと思う努力より、
内なる自分、ソース 無条件の愛の場所にいる自分と調和する努力をしよう。
良い気分の場所を探して、そこにいる時間を増やそう。
その場所にいる時間が長くなってくると、内なる自分と一致してくる。
無条件の愛の場所からくる愛の言葉をもらえるかもしれない。
誰か人から直接に言葉をもらえなくても周囲から感じることが増えると思う。
無条件の愛と無条件の愛の周波数が引き寄せ合うから。
自分自身にたくさん無条件の愛を向け続ければ、それは自然に活性化される。
他人の承認は必要ない
風見婆の母は、自分が優しい言葉をかけるより、人から優しい言葉をかけてもらいたい人だった。
愛に飢えていたのかな。
そこに至るまでの過程はいろいろあったのだろう。
優しい言葉をかけてもらうためなら、お世話になっている他人、家族、誰でも構わず悪口を本人のいない場所で言う。そしてかわいそうな被害者の自分を演じる。
自分の立場が悪くなりそうなら、嘘をついてでも誰かのせいにする。
風見婆は世話をしているのに悪く言われるのは悔しいし、理不尽だと感じていたから、なんとか周囲に理解してもらいたいと願っていた。
結果、介護面など仕事として関わってくれる方達にはご理解していただけた。
けれど周囲の人の全ては無理だった。
でもね、よく考えたら、母は母の引き寄せをしている。
母はとにかく事実や自分の現状がどうであれ、同情と肯定がほしい。
本当に何が必要かと助言してくれる人は欲しておらず、余計なお世話で
自分の言うこと全てを肯定してくれる人が欲しかったんだ。
そういう人たちに世話している立場の状況を理解してもらおうなんて無理な話しだよね。
だってそういう人達は、母の本当のあり方や生活や困りごとを本気で考えているわけではないもの。
ただ母の言う事(愚痴や悪口)に調子を合わせて盛り上がっているだけだもの。
愚痴や悪口を繰り返し言う事はネガティヴな事柄にフォーカスして,活性化させ、ネガティヴな現実を創造し続けること
というのはもう前半で書いた事だね。
実の親がそうしているのを見るのは悲しいけど、人の行動はコントロールして変える事はできない。
母のありのまま、ネガティヴな引き寄せもそのまま、貴方はそうなのねと受け入れるしかない。
親子であろうと、知人、友人だろうと周波数が違えば、お互いに見えてはいるけれど別世界にいるようなもの。
周波数の違いが大きくなり、思い込みや信念による執着(引き寄せポイント)が外れていけば、互いの物理的距離は自然と離れていく。
自分の現実は自分自身が創造している。
そこに他人の承認は必要ないんだ。
自分が自分らしく生きる事に誰かの許可はいらないんだ。
自分が自分に許可すればいいだけなんだ。
自分の心がやりたいと思うことをやればいいんだ。
自分の心が幸せを感じる場所を探していけばいい。
しあわせはいつもじぶんのこころがきめる
改めて、この言葉をどう感じるだろうか?
その感じ方も皆同じでなくていいんだ。
そう、じぶんのこころがきめればいい事なんだ。
読んでくれてありがとね。
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