いい子のフリは疲れたんです
人から見た「いい子は」、私にとっての「悪い子」。
私の首に手をかけ、
「今までいい子で通っていたのに、レッテルが剥がれるよ? それでもいいの?」と脅しをかける。
人の顔色、人からの評価、自分が他人からどう見られたいか、どう見られたら良い子でいられるのか。
そんなことが脳裏をよぎり、「やはり私は変わらないのだ。」と、半ば諦めながらいい子を演じる。
私は昔からそうだった。
幼稚園生の頃から、私は「長女だったらこうすべき、両親の負担にならないようにすべき」と思っていた。潜在意識でそうあらねばならないと思っていたんだろう。
だから家事の手伝いも率先してやった。両親から頼まれたことは最優先に行った。
地元ではそこそこ有名な大学にも進学した。
そんな期待に応えてくれる私に両親は喜んでくれた。
そこで私は自分の存在価値が認められることの喜びや快楽を覚え、味を占めてしまったんだろう。
そう、片足を沼につっこみ、自分で溺れても這い上がれない。
そんな悪循環な状況を自分で作っていた。それがそもそもの過ちである。
そんな人生をふと振り返ったとき、
自分の意思決定で行動したり、努力して奮闘して成果を出したりする経験が浅いことに気づいた。
一概には言えないけど、おそらく人の意見に流されて、人にいい顔をし続けた結果がこれなんだ。
結局「人にいい顔をする、いい子のふりをする」ことをしても、継続的な得にはならない。
さらに自分らしさが消えてしまい、しまいには自分でもわからなくなってしまうのがオチだ。
いい子のレッテルを貼ったが最後、それを貫き通すか、その場から去るしかない。
そんな難しい選択をする勇気が私にはあるのだろうか。