あざらし、インプロ始めるまでは芝居は1人で頑張るものだと思っていたんですよっていう話。


私は芸歴というには言い過ぎなんですが、習い事として演劇を始めたのは2歳の頃でした。台本のお芝居で、英語と日本語のセリフがあるちょっと面白い場所でした。始めは英語学習のための習い事でしたが、演劇的な側面を楽しめるようになったのは10歳の頃からでした。
セリフを覚えて、ミザンスを付けてもらって、300人規模くらいのホールで年1で発表をする地域発表会的な環境が当たり前にありました。この習い事の教室は全国にあって私の地域の発表会とは別に私のいた教室のインナー発表会とでも言えばいいのでしょうか。そういったチャレンジの場もあって、平均年に3回、人前で演技する機会がありました。今思えばマジで有難い環境ですね。

色んな役をやりましたよ。ピーターパンのフック船長とか、ロミジュリのマキューシオも、ティボルトもやらせてもらいましたね。ギルガメッシュ物語とか国生みのイザナミとか。ハムレットのレアーティーズくんもやったし、大学4年の卒業のタイミングはハムレットくんやりました。もちろん英語と日本語を使ってやるのでセリフ数が尋常じゃなかった時もありますがそれも含めて楽しかったですね。ハムくんやった時は150行とかあった気がする。みんなが知ってるお話をたくさんやってきたからか、意外と物語は沢山知っていてそれもまた今となっては有難いなぁと思います。

あとね、お歌もやるんですよ。声楽とかじゃなくて、英語のお歌。マザーグースとかクリスマスソングとかフォークソングとか。英語歌詞しか知らないお歌とかもあったりなかったりします。信仰はまた別として、キリスト教的な知識もミジンコほどですが知っていたりもします。クリスマスソングってそういうことやん??結局。

まぁ、そんな環境で演劇してたんだよっていう事が少しだけ分かっていただけたかなという所で本題に参りましょうか。

なぜ、1人で頑張るものだと思っちゃったのかというところです。
私は自分のチーム(厳密には違うけど便宜上こう表現しておきましょかね)のリーダーを5,6年やってきました。先輩がある日急に辞めた。最年長がほぼ私だけで、一番歳が近い子は3歳下という状態。大人になれば年齢差など大きく関係はなくなりますが、当時はまだ学生。3年は学校ひとつ分違いますからね。だからまとめあげないとマズイとなったわけです。教室なので先生はいたのですが、主体は子どもたちという方針だったので子どもながらに組織をまとめるとはということを考えていました。それに加えて当時は高校の演劇部にも所属していました。副部長として予定管理しながら脚本考えたり、裏方の仕事を一手に引き受けていたりと大変な時期だったこともあってダブルで孤軍奮闘していました。

リーダーの仕事の話に戻りましょうか。年代事に日々のやる時間が違うので私と同年代と毎週稽古したり、話し合いしたりしていました。リーダーとしてやっていたこととしては稽古日程を組んだり、稽古内容の概要を決めたり、発表会のコメント考えたり...。所属している子どもたちの年齢も様々なのでミザンス付けも気がついたら担当していましたね。揉め事があったら介入したり、生きにくいタイプの子どもの面倒も見たり、稽古の進捗に頭を抱えたり。細かいことはたーくさんあったけどその積み重ねが大変だったなと思います。
そしてそれを積み重ねてしまうに至ったわけは良くも悪くもみんなを信頼していなかったからですかね。稽古日程組む時とかにみんなにはこの進捗で行こうね、と言いながらも私の中ではここまでは進まないから敢えて2週間早い日程を伝えてハッパかけて、上手くいったらその余分の2週間は通したくさんしよ!!と隠し事をしながら稽古していました。そしてその隠し事の負担は私自身にも降りかかります。なぜなら最初に私がセリフなりナレーションなりを全部入れなければ相手に求めることは出来ないからです。役が決まってから2週間くらいでかなりの量のセリフを入れるみたいな時も多くてピエーとなっていました。自分には出来る、と騙し騙し続けてきました。芝居にはエネルギーが必要だから、その熱量を持っていることを嘘でも見せていかなければ下は着いてこないのである意味理想のリーダー像を続けてきました。まぁ、私自身も先輩がいた時は先輩が覚えてないとかやる気がないとか言われると萎えてたからそれはしたくなかったということもあったりしたんですよね。結構頑張ってたつもりなんですけど、それでもこうして欲しい、ああしてほしいと要望は出るもので。それもまたね、組織〜〜!!と悶える理由でした。隠し事しなければ良かったんだけどね、私そもそも人間信じられない期が長かったから頼り方も何もかも分からなくて。人から頼られている、信頼されているという実感だけはありました。それには応えたかったんだよね。

何かあったらこの子を助けなければいけないなとかみんなは出来てるかしらとか。そう思いながら演技していたタイミングもあったから演劇好きだけど演じることが楽しいと思える時間は多分人より少なかったんじゃないかなと思います。台本でセリフが決まっているからか感情が出さなくても上っ面でやってる時間も長くて。舞台上の位置関係とか、ボリュームとかで演技する方法だけはどんどん上手くなっていって。目の前の人とやるから絶対上手くいくという確信の持ち方は知らないまま22年が過ぎていきました。

けどまったく信頼していないわけじゃなくて。この子ならこの役出来そうだなとか期待したいとか。そういった気持ちはあったんよ。でも心のどこかで私がなんとかしなきゃいけないみたいな、安心して演劇を楽しむことは出来ないままで。リスクを背負うというより余計な緊張がずっと体に張り付いたまんまで。お客さんの目線も必要以上に気になるしね。本番が始まったら信じるしかないっちゃない。有難いことにみんな本番強い子達だったから何とかなったけど。失敗したら私の落ち度だよねとか幕で思っていたから

多分一番期待してなかったのは自分自身に対してなんだろうな。他の誰かにじゃない。自分自身ができないって思ってるからその色眼鏡をみんなに向けていたんだ。

運営していかなきゃ、みんなを上からも下からも支えなきゃが演じる楽しさを上回り続けていたのです。トライアンドエラーの連続で反省しては次に繋げて。楽しかったけど苦しかったなぁ。

インプロ始めてすぐは人に頼る方法が分からなくてめっちゃ大変だったなぁ。頼れる部分とそうじゃない部分を上手くわけられなかったり。どう見られたいかみたいな主軸で演劇してたからさ、やってきたものが180度変わった感じ。感情出すのも本当に苦手でインサイドアウトとかレペとかほんとに苦手だった。今はレペ重視のインサイドアウトし続けるインプロスタイルなんだけどね。当時は怒りも悲しみも特になくて全て楽しいという一言に纏めて逃げていたようにも思う。楽しいは嘘じゃない、嘘じゃないんだ。でも奥底の感情に目を背けるにはいい言葉だったんだよ。それでも続けたかったのは変わりたいって思えたから。それに演劇が楽しいと思った感情は昔から少なくともあったし、好きだったし。それ以上に一緒にインプロしてくれるみんなが優しくて、愛情を持って接してくれたからこの人たちとならインプロでどこまでも行けるって思えたのが一番の理由なんだよね。

そして話はみくワークに進んでいきます。今回はゆうすけと2人でシーンをたくさんさせていただきました。稽古中は頭抱えたりしながらも挑戦させて貰える環境が本当にありがたかったです。みんなも見守ってくれててありがとう。
ゆうすけに対するFB、2週とも感情を見せてくれると嬉しいと何度か伝えていた記憶です。これ私が言うの本当に笑っちゃうくらい変なことだと思ってた。今思えば、感情なんてない演技をしていた人がインプロでは感情を求めるのホンマにどの口が言ってるんだと。でも目の前のあなたとインプロをしていきたい、体面的な何かをするんじゃなくてあなたとシーンをしたいのと思っていたからこそ出た言葉。昔の私に聞かせてあげたいな。

2週ともに楽しくて、終わらないで欲しくて。褒めてもらったり期待してもらったりがこんなに嬉しくて、幸せで。認め合える仲間がこの一瞬だけでもいる。応援し合えるからね。18日の私のシーン、本番中に幕の中でさとるがガッツポーズしているのが見えた。お客さんからの期待は感じ取れなかったけどそのポーズはやってやれという期待だって分かった。これから言葉を紡ぐ私はアズミと一緒にいても1人かもって思ってたけど、1人じゃないってその時気づいた。期待してもらったことはエネルギーとして私の中を通過していった。エネルギーの焦点をハヤテにあてたら怒りの感情が湧いてきた。うわー!!楽しいー!!となりながらシーンを終えました。応援は力になる、とは良く言ったものでね。それを体験できて良かった。気づけてよかった。

もっと早く気づいていれば後輩達に還元できたかもしれないな。いや、今からでも遅くないよね。


ねぇ、私。演劇が楽しくてしょうがない今。みんなといれることが幸せで、会う度にインプロする度にもっとやりたいという気持ちが強くなって。

もっと自分を信じて進もう、進もう。進めるから。目の前のみんな達とならどこへだって行けるから。1人だったかもしれないけど、もうひとりじゃないよ。

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