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「食って寝る」=生きる

かつて上下巻揃って所有していたが、上巻を知人に貸した後、その知人の転勤が決まったりしたこともありバタバタして忙しかったのだろう、戻って来なかった本があった。高価な本ではないし、まぁまたそのうち購入すればいいかと思ったものの、既に一度読み終えた本を再度購入することに抵抗を感じたり(単に吝嗇)、いや、でもあの本はやっぱり買わないと…なんて気持ちを繰り返しているうちに、なんと20年近く経過してしまった。20年があっという間すぎるのか、私がグダグダしすぎたか。後者に違いない。
何度となくその上巻に書かれていた言葉を思い出したりしていたけど、やっぱりもう一度ちゃんと読みたいと思ったら絶版になっていた。古本屋でようやく手に入れることができたので、ほっと安心、良かった。

その本は、田川建三著「宗教とは何か 上 宗教批判をめぐる」(洋泉社MC新書)。
田川建三氏は聖書学者であり、タイトルの通りこの本は宗教について書かれている。宗教的なこととなると、見識のない私にはあまり良く理解できていない。そもそも宗教について理解できる日が、いったい私に来るのだろうかと思ったりもする。
しかしこの本の冒頭には「人は何のために生きるか」とあり、「食って寝るため」と明快な答えが書かれていた。これがとても強く印象に残っていて、「いったい何のために私は・・・」なんてもやもやと思ったりするときには、「そうだ、食って寝るためだったよ」という感じで反芻したりしていた。
食って寝ることが生きるうえでの、基本中の基本。その基本が維持できない状況に、精神的であれ物理的であれ追い込まれてしまうことが人間にはあるわけで(仕事や人間関係のストレス、あるいは災害や戦争なども)。だからこそ著者が言うように、食って寝ることは最重要であり、誰にも軽んじることはできないだろう。

人は何によって生きるか、なんぞとたずねられたら、我々は食って寝ることによって生きる、と答える。人間は食って寝ることによって生きる活力を獲得し、さらに無事に食って寝ることができるように働く。

「宗教とは何か 上巻」20ページ

このように言うと、時たま、いとも情けない反論がもどってくる。人間とは、食って寝るだけの、たったそれだけのつまらぬ存在ではなく、もっと大切なものがあるはずだ、というのである。いわく、愛、生きがい、精神、正義、あるいはまた、進歩だの、革命だの・・・・・。革命について一言いっておけば、我々は食って寝るために革命を欲するのであって、革命のために食ったり寝たりしているわけではない。

同書24〜25ページ

ただしその「食って寝る」は、自分や家族や友人たちがそれを維持できさえすれば良いということには、もちろんならない。社会は、世界は、自分の周辺だけで成り立っていないから。全ての人間が十分にお腹を満たして、安心して横になれる空間と時間を確保できるようになるまで、どれだけの努力が必要になるだろうかと本の中で問うてくる。そうした言葉に著者の怒りが感じられる。更に言えばその中に愛が見える気がする。私はこの著者のこういう眼差しに、心惹かれるのだ。

現在、飢えて死ぬ危険に直接さらされている者、あるいはその危険に紙一重の近さで生きる者は、世界の人口の過半数をしめる。すべての人間が必要にして十分に食えるという状態は、人類が文明をつくり出して以来今までかかって、ついに実現できていない。

同書25ページ

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