小さな願いはやがて大きな希望へと繋がっていくno2.
最初に。 uminnaka さんのお写真ありがとうございます。
今回の記事にぴったりなので嬉しいです。
さて、鉄は熱いうちに打て!の通り、記事を書いていきます。
前回の続きです。
6月に行われた「縄文遺産写真展」から7月の「縄文夜語り」
私は初めて行く場所でした。
安曇野市豊科にある『農村ゲストハウスともさんち』
という一軒家の宿泊施設でした。前回の写真覚えてますか?山が少し遠くに見え、まわりは田畑が広がっています。電気が無いと真っ暗です。
国道からは直ぐなのですが、一歩入ると静寂な田舎の環境です。
誘った友人はすでに知っていて、かなり有名な宿のようです。
約二人の知り合いと先生。あとは知らない方々。
縄文のファンが集まってる感じでした。
長い机にずらっと並んで座り、主催の方が作ってくださった南インドカレー
をいただきました。写真撮れば良かったなあ・・・・💦
辛いのは苦手な私ですが、後からひくほど美味しかったのです♪
(おかわりしてしまいました^^)
食べながら、長机の端にいた私ですが、反対側の向かいに座ってる女性が、知ってるような?どこかでお会いしたかな?と思っていたら、
主催の方が教えてくれました。
「あの方ね、ちいばあさんと言って人形劇をずっとしている方で・・」
説明を聞いてるうちに段々記憶がよみがえってきました。
「して、名前は?名前は?」と二度も聞いてしまいました。
「木島知草さん」
「がらくた座」という人形劇を40年続けてきたパワフルな方です。
端から端まで遠かったけれど、大声をだして呼びました!
「知草さーん!!私、私!!久しぶりです!!」
知草さんもすぐに思い出してくれました。いやー!!嬉しかった!!
なんと、20年振りの再会となったのです。
40年、続けてきた手作りのカレンダー。
今年は2年間カレンダーだそうです。
40年続けるって、凄いことですよね。
軸もぶれずにやってきた証拠でもあります。
実は、私は次男を病気で亡くしているのですが。
その前からのご縁です。約30年。
子供たちがまだ小さい頃から人形劇を観たり、私の方でお呼びしたり、
度たびお世話になっていました。その頃から毎年カレンダーをいただいたりしてましたが、次男が亡くなってからは母子家庭で寂しくしている私に寄り添うように心温まるはがきやお手紙を送ってくださいました。
なかなか出かけていくことができずにいて、お金も無かったし子育てだけで一日が終わるような毎日でした。
私が返信をせずとも毎年送ってくれてた通信やお手紙。
忙しさにかまけて返信する機会をのがして、気にはなっていましたが、段々こちらからも途絶えてしまってました。その内、私も仕事を始めるようになり、すっかりご無沙汰に・・・・
でも、いま、こうして繋がったということは。
天からのお計らいと感じて。行きなさい!行きなさい!って、小さな声に従った直感が再会の縁を結んでくれたのだなあと思いました。
これはどういうことかな?と頂いた通信を読んでピン!ときちゃいました。
なに?芸術館で?ミュージカル?
実行委員会?あ!6日にもうやるって?!直ぐじゃないのー!!
予定を確認して、夕方からなら行ける!(行きなさい・・行きなさい・・)
これは、これをお手伝いするってことかな?と思ったのです。昔お世話になったちいおばさん、こと木島知草さんに恩返しのつもりでやってみようと思いました。
この流れに乗って、するすると、その日の夜に予定されてたオンラインも
曜日変更になり、時間が出来ました。うまくいくってこういうこと💗
なんてありがたいことなのでしょう。
この日は8月6日㈮ 広島原爆の日。朝の空はこんな感じでした。
今朝の空。
何かが広がり行く
「未来」を思わせる。
バー・アスティエ協会のオンライン発表会では、皆とつながって「AVENIR未来」
を踊ります💗
未来。
創造していきましょう‼️』
朝、仕事前で時間が無くて、原爆の日だと知ったのは午後になってから(;'∀')でも、この空を見ながら希望の未来を感じたのでした。
誰がいるかわからないし、どうなるかわからないけど、
実行委員会に入って、皆さんのお手伝いをする。良し!と決心し。
行く道すがら考えたこと。
思えば、私も来年は劇団エルの舞台をやりたい夢もあり、お手伝いさせていただくことによって、いろんな勉強をさせていただけるなあ。
だいたい、私は劇団立ち上げたは良いけれど、何をどうするのか、そのへんはど素人なわけで。いま、大先生について色々学ばせていただいてますが、実践は出来てないのです。現場経験が無いわけです。
出演者としては経験があっても、裏の苦労を知らないと、それは本物ではないでしょう。作る側の体験をたくさんしたいと願っていたので、このご縁は凄い宝物です。なんて素敵な!なんて素晴らしい!
なんてありがたい!(#^^#) お手伝いできるのも嬉しいし、役に立てれば尚嬉しいし。学ばせていただけるなんてなんて幸運なのでしょうか!
ちいおばさんの側にいた少女が、もう大きく立派に成長し(うちの長男とほぼ同じ歳)素敵なレディーになっていました。感激しました💗
そして、実行委員会、自分宣言の日。ついていきなり、荷物を別室に運ぶという任務を遂行。
二階から三階にこまごました物を運んだだけですが、何度か階段を使って往復しました。実際、午前中に仕事をこなして、帰宅して家族の夕飯のしたくをして来た私は、体力が持つか不安ではありましたが💦
こういう地味な作業をするってことに喜びを感じ^^ああ、スタッフって大変だなあと体感し(ほんの小手先なことですが・・・)、でも何か役立ってる自分に酔い(笑)生きてる実感がしました。ほんと、ここは自分中心の世界ですみません。
部屋にあったボードのポスターや字を見て、これは、、、かない重い話題だ
と思った私。ひろしま。原爆。戦争。日本。歴史。過去。未来。
色々なワードやフレーズが頭の中を飛び交いました。
「ひろしま」の映画は今回時間が取れず観ていません。
観たいけど、観たくない気持ちもあります。
昔、東京の中野区に住んでいた時。地域の夏暑りで野外スクリーンで写された「黒い雨」を思い出しました。悲惨で、怖くて、子供心にもう観たくない映画の一つになっています。現実は時に恐ろしく、目をそむけたくなることもあります。まだ幼かったので(小学校1年生くらいだった)戦争も知らない私にとって衝撃の映像でした。
今回のミッションは、ミュージカルはだしのゲンを実現させるべくプロジェクト。戦争に目を背けたら実行できません。
知らないふりはもう出来ないし、これを後世に伝えていく使命があります。
次は観なきゃ、、と思っています。まずは心の準備も必要。
三階の視聴覚室から観た景色。
この日は一日、何かをメッセージさせる空でした。全国の意識高い人々が心の中で繋がった日でもありますね。オリンピックに来ていた団体。この日を挟んで開催されたオリンピック、世界の選手団は何を思ったことでしょう。
信毎の記者さんも会場にきていましたので、信州のかたは新聞に掲載された記事が読めると思います。
この他に実行委員会である応援者は10数名いらっしゃるそうで、知草さんの情熱が人を引き付けるのだと思いました。本当にパッションです。
地道に、40年、機材を持って全国をまわり。
平和を願って来た方。
熟年になり、私も目を背けられない世代となりました。
子どもたちに、孫に、輝く未来を約束してあげたい。
だからこそ、いま自分たちに出来ることで伝えていけるものを
発信していきたい。
少しづつ、基金活動を進めながら舞台を成功へとつなげていきたいなと
思います。
次の日。NHKカルチャー松本でのバー・アスティエclassがありました。
通信のチラシを置かせていただいてます。
長野県の方はNHKカルチャー松本にお寄りの際は手に取ってみてください。無くなったらまた補充します。
舞台は来年。2022年7月3日です。
ワークショップやチラシ作り、宣伝、協賛など、これからやることは沢山あると思います。私も仕事をしながら、じぶんの劇団を運営しながら、出来ることで応援していこうと思います。
私の脚本も、『愛』がテーマです。
いよいよ、役者が揃ってきました。
盆明けから動きが出てきます。
こちらも応援いただけると嬉しいです。
7日。NHKカルチャー松本に向かう時。
真っ白な鳩が前を飛んでいきました。吉兆のしるし。
そして着いた時に出た雲。
ハートのようであり、天使の羽のようでもありました。
もう、何かが始まっています。私の中で。
これを読んでるあなたの中で。
長い記事を読んでくださり、本当に感謝です。
なにかしらが皆さんの心に響いたら嬉しいです。
ここから、何かのインスピレーションにつながっていけますように。
それが、皆さんの魂の糧となりますように。
はだしのゲン基金に興味のある方、応援したいと思われる方は
アップした写真から木島知草さんへ電話、もしくはショートメールにてお問い合わせください。よろしくお願いします。
また、実行委員になってもいいなと思う方も、ぜひご一緒にやってみませんか?次回は10月が委員会のミーティングです。
愛と感謝をこめて
Lisa Love💗