さらに今更欅坂~欅坂46への僕なりの考察~
僕が欅坂46に興味持ったのは、2018年10月だと思う。
元々僕は2013年からあるアイドルグループをきっかけにアイドルグループにハマリ、2014年に行きついたあるグループである意味アイドルヲタとしては完結しているんだけど、その頃はマイノリティ志向で、メジャーどころはハナから敬遠していた。元々父の影響でアンチ巨人だったし、これ(マイノリティ)は生まれながらの気質だったと思う。
そんな僕が、乃木坂46に興味を持ったのは単純なことで、売れるものを生み出すためには売れていることから学ぶことが大切だ、と知ったからだった。詳しいことはここに書いているから説明は省くが
僕は勉強を兼ねて、それまでいわば毛嫌いしていたメジャー系の乃木坂46のBDを買い、「乃木坂46物語」を読み、一度ライブを見てみないことには、と、2018年のバスラを見に当時住んでいた札幌から神宮に駆け付けた。
乃木坂という坂道を上るなら、もう一つある欅坂という坂道もせっかくなら登ろうか。そんな軽い気持ちで僕は2018年10月に、「欅共和国2017」のBDを手に入れた。でも、見たのはしばらく後だったと思う。乃木坂という坂道を上っているのに精いっぱい(と言っても別に特典会とか行っていたわけでもないんだけど)で他の坂道を上る余裕などなかったのだろう。
しかし、気づけばいつの間にか僕は乃木坂から欅坂に傾倒していた。よくよく考えてもどのタイミングで乃木坂<欅坂、になったのかがわからない。ただ、なんとなくなんだけれど、スマホに取り込んだ曲を聴いているうちに、欅坂の世界の方が合っていると気づいたからかもしれない。
───何がどう「合って」いるのか。
簡単に言えば、なんだけれど、戦っている人の心に火をつけてくれる存在、なのかもしれない。僕がもうすぐ46になるおっさんだということもあるけれど、異動で仕事がハードになる中で、気づけば彼女たちの曲が支えになっていた部分はあったと思う。
僕はアイドルグループというのは学校の部活動に例えられると思っている。モーニング娘。やAKBは体育会のサークルで、乃木坂は図書館にいるような文学系。じゃあ欅坂はというと、応援団。衣装もどことなく応援団っぽいし、人の心を鼓舞する楽曲が多かったから、聞いているうちに自然と勇気づけられることが多くて、欅坂を聞くことが増えていったのかもしれない。
ちなみに元々乃木坂だと「制服のマネキン」が一番好きだったと言えばわかってもらえるだろうか。
あと、欅坂の曲を聴いていて思ったのは、高校生くらいの子たちにはたまらないだろうな、ということ。僕自身の経験で言うと、この頃はいわゆる思春期という言葉になるのだろうが。精神的に揺れ動きやすい時期だ。僕自身、高校時代は突然村上春樹の小説にのめりこんだ。独特の世界、プラス、どこか読者を置いてけぼりにするような突っ走り感がよかった。
当時欅坂がいたら絶対のめりこんでいたと思う。そんな思い(郷愁とでもいおうか)も僕に抱かせた。
そんな、僕の中で芽生えていた欅坂への傾倒、が決定的になったのは恐らくなんだけれど、「欅共和国2018」のBDを見たときではないかと思う。後に書くけれど、欅坂のBDは非常に完成度が高いのだ。特に印象に残ったのは真俯瞰(真上からのアングル)だ。「欅共和国2018」の要所要所で入る真俯瞰に僕はうなってしまった。
僕は乃木坂も結局2018年のバスラしか行ってないし(特典会には興味がなかった)、欅坂もむしろBDで完全に満足していてライブを見に行くつもりすらなかったんだけど、東京ドーム公演の一般発売は結局外出先からスマホにかじりついて、なんとかチケットを手に入れた。手に入りやすいだろうということで初日一択だった。
初めて生で見る欅坂。一般発売ということで席は東京ドームのバックネット裏の5階席のほとんど最後列だったんだけど、全体が俯瞰できる位置(ライブBDとかでも開演前の引きのアングルがあるがまさにそんな感じだ)だったのはむしろラッキーだったし、僕はこの日は傍観者として声も出さずにじっと見ていようと思っていた(サイリウムも持っていなかった)。
当然メンバーたちも小さいし、ドーム公演だとたいていはモニター(にアップで映し出されるメンバー)に目が行くんだけれど、僕はむしろステージ上のメンバーたちに釘づけだった。フォーメーションダンスがあまりに美しかったからだ(Perfumeのときもそうだった)。
特に「二人セゾン」───僕は欅坂の中でそんなに好きな曲ではなかったのだが───での、東京ドームならではの長い花道を使ったフォーメーションは、見ていてなぜか涙が出そうになった。
他にも「もう森へ帰ろうか」など、僕が普段接して気に入っていた欅坂の曲の「世界」が目の前で繰り広げられている光景はなんとも言えないものだった。だから僕は声も出さずにずっと見入っていた。
それほど欅坂に詳しいわけではないので、アンコールのときに「不協和音」のイントロが流れたときに隣に座っていた若い男の子が、驚きと言うか悲鳴と言うか、「うおおおお」とも何とも言えない声を上げていたのが印象的だった。彼のその声のその意味がわかるのはしばらく後になってだった。
その後は東京ドームのBDを手に入れ、YouTubeでの配信ライブ(「欅共和国2017」鑑賞会)も見て、「欅共和国2019」のBDを手に入れ、映画「僕たちの嘘と真実」を見て今に至る(7月の無観客配信ライブは仕事で見られなかった)。
───さっと、僕の欅坂の歴史を話すとこんなところだろうか。なので、というか、僕は漢字欅とひらがなけやきも知らない。ひらがなけやきは欅坂のアンダーだと思っていた。それが日向坂になったということはさすがに知っていたけれど。
そして僕は特典会にも行っていないし、いわゆる推しもいなかった。
ここからはこれを踏まえた僕なりの考察だ。ちなみに大上段に欅坂を論ずるつもりはなくて、というのも論ずるというのはどこか崇めたりといった、僕たちの日常から遠いものとして切り離す(極端に言えば神格化)行為でもあると思っているし、そもそも僕は論ずるほど欅坂を知っているわけでもないし。ただ、「へえ、こういう見方もあるんだな」という風に捉えてもらえればと思って、考察としている。
欅坂という「作品」の完成度
思えば欅坂ほど「うなる」アーティストは僕の中にはいなかった気がする。特に大きかったのは、ライブBDの完成度だった。先に述べた真俯瞰もそうだった。真俯瞰を用意するライブBDってあまりないと思うし(乃木坂にはなかった気がする)、しかもその「ここぞ」という使い方も個人的にツボだった。
東京ドームのライブBDもそうで、「二人セゾン」で、平手さんと他のメンバーとピントを交互にするところとか、しかもメンバーたちの花道を歩き方のアングルとそのカットの切り替え方も本当によかった。こういうのを見ると、欅坂はライブに行かなくてもBDだけで十分という感じだった。
あと、YouTubeでの「欅共和国2017」鑑賞会の最後の映像───メンバーたちが出した手が輪になっている様子───が、途中から同じ画が映し出されたスマホの画面になり、それを手にしたメンバーが笑いながら去る、という演出もうならされた。そう来るか、と。
僕は乃木坂のYouTube配信も見たけれどそういう演出はなかったので、なおさら驚いた。
ライブBDなど一連の欅坂の映像作品をトータルでプロデュースしている人はいるはずで、僕はその人にもっと注目が集まってもいいと思うけれど、あまり表に出ている人ではなさそうだ。
そういう、欅坂として生み出すものがどれも「作品」になっている印象を僕は受けた。その点では映画「僕たちの嘘と真実」もまさに作品なんだけど、それはまた別のブログに書きます。
依存という不安定さ
欅坂が、平手友梨奈という一人のメンバーに大きく依存していたことは事実だ。それが、運営サイドによってなのか、メディアによってなのか、ファンによってなのか、はわからない。ただ、それほどどっぷりとハマっていない僕にとっても、欅坂が平手友梨奈とその他のメンバー、という構図になっていたなとは思う。
僕自身、最近まで顔と名前が一致していたメンバーは、平手さんと、いなくなっちゃったけれど長濱ねるさん、そしてどことなく覚えやすい土生瑞穂さんくらいだった。
平手友梨奈という一人の強烈な存在が際立っていたのか、際立たせていたのか、いずれにしてもどうしても平手友梨奈あっての欅坂という側面はあったと僕は思う。
ライブをBDでしか見ていない僕でも、例えばテレビで平手さんがいない欅坂を見ても「この人誰だろう」と思いながら見ていたし、どうしても欅坂ではなく平手さんのいない欅坂、という目で見たのはそれほどファンではない人なら誰でも感じていたことじゃないだろうか。
しかもその平手さんが万全じゃないというか、休業したりという状態を繰り返すようになっていたので、そんな突出した、でも不安定なメンバーに依存しているという不安定さもどこか欅坂の魅力になっていた気はする。この例えが正しいのかはわからないけれど、いつケガが再発してもおかしくないエースに依存しているスポーツチームという感じだろうか。
歓声のあるOverture
同じ坂道グループの乃木坂との違いはいくつもあるけれど、僕の中で大きいなと思うのがこれだ。元々乃木坂のOvertureは炭酸飲料のような、さわやかではじける感じなんだけれど、欅坂はもう少しアゲていて、しかも歓声が入るのがツボだ。つまり観客参加型なのだ。応援歌だったりチャントに近い。
声が入るという点では「太陽は見上げる人を選ばない」もサビ前に「オイ!」みたいな声が入るし、このあたりの使い方はとてもうまいなあと思う。
引くくらいの不気味さ
僕が乃木坂という坂道を登り始めた頃、欅坂にも興味を持ち始めたんだけど、すぐに欅坂に移らなかったのはこれが大きな理由だ。
たまたま店頭で見かけたBUBKAの2018年の8月号。「KEYAKI MOVES AGAIN」と書かれた表紙は、本当にあのBUBKAなのかという鮮烈なもので、それで興味本位で手に取ってみたのだが、そこにあったのは、白い服を着たメンバーたちが階段でバタバタと倒れている見開き写真で、正直気持ち悪いと思った。新興宗教みたいな、といえばわかってもらえるだろうか。
その後に歌番組でこのMVの収録風景だった「アンビバレント」を見たんだけど、OPとEDでメンバーたちが下を向いてスカートを左右に動かしてだんだん集まってくる様子はめちゃくちゃ不気味だった。あれ、子供が見たら泣き出すんじゃないだろうか。
今となってはそういう世界観として捉えられるんだけれど、この不気味さはきっとファン以外の人なら抱いたことはある印象なのではと思う。
若者への救い
既に書いたけれど、欅坂の世界の一つが、若者を救う存在ということだと思う。精神的に揺れ動く時期に、このような力強い、そして圧倒的な存在というのは何より若い人たちの力だけでなく柱にもなると思う。
その点ではデビュー曲が「サイレントマジョリティー」というのが欅坂を欅坂たらしめたのかなあと思う。「自分の夢の方に歩けばいい」「未来は君たちのためにある」───この曲こそ若者に寄り添う曲だからだ。
ちなみになんだけれど、僕はこの曲のサビで腕を回した後に飛び跳ねる振りが大好きだ。あそこだけ女の子になっているし、しかもどこか窮屈な踊りから一瞬だけ自由になって伸び伸びしている感じだから。
ただ、個人的にMVの世界も含めた欅坂とはという曲、マイベストな曲は、「エキセントリック」だ。
「変り者でいい」「僕は普通だと思ってる みんなこそ変り者だ」───とかくアイデンティティ(自我)の確立に悩む世代にこれほど響く曲はないと思う。靴を脱いで振り回す振りや、どこかだらんと気力なさそうにしてフラフラと踊る振りもすごく好きだ。先に述べた不気味さにもあふれている。
9月に映画館に「僕たちの嘘と真実」を見に行って、終演後館内を見たら半分近くは若い女子だったし、男性も若い人ばかりで、マジで僕が最年長だったと思う。つまりそれだけ若い人に支持されているのも当然だと思う(乃木坂よりもう少し低い印象がある)。
その「僕たちの嘘と真実」の話はこの後、別のブログに書きます。欅坂に対するスタンスがこういう感じだった僕が映画を見てどう思ったのか。それを書きます。