野生の感性を今に
ずっとずっと声のことを考えている。
歌のことを考えている。
表現のことを考えてる。
なぜ、私は歌いたくなるのか?
なぜ、人は歌いたくなるのか?
表現てなんなのか?
子供の頃から人前に立つのが好きで、歌が好きで
美大に通い始めてバンドというものを始めた。
私は歌をバンドで歌い始めてから
足掛け25年くらい経った。
(子供の頃から考えるともう何十年と歌は日常にある)
人生の中で私が長い時間関わってきたことは
声や潜在意識、心、脳、性のこと、
身体と私。
それらを通して
人間や人間が生きるということ
そして、この世界がどうなってるの?
なんてことを当たり前に、
どうしても考えてしまう人生を送ってきた。
大好きだから。
いろんなことは
おいおい書いていくけれど、
今日は自分が持っている野生の感覚を声にのせ
そしてその野生の感覚からくる表現したいことを
音楽にすることで、人に変性意識をもたらすことはできないかなぁなんて
考えていた。
そもそも、声も、歌も、音楽も
そんな役割だからできるのは間違いないけれど、
今ある、全ての声や歌や音楽がそうだとは言えない。
そういう声、
そういう歌、
そういう音楽って
どうもイメージ的に民族音楽的な感じで、
私はその曲調も、声の出し方も
あんまり好みではない。
自分が歌いたいわけではない。
だから、なんかそういうんじゃなくて、って思ってた。
それで、
変性意識と音楽って検索したら
私の好きな宮台氏の記事が。
宮台真司+小林武史が語る、音楽と変性意識「60年代の音楽はエモーションを丸ごと録ろうとした」
https://realsound.jp/2014/06/post-753_2.html
そう。エモーションね。
珍獣学園の珍獣性開花コーチングでは
衝動を大事にねって言ってるんだけど
その感覚だよね。
私は現代人はみんなもっと野生の感覚を思い出したらいいと思ってる。
衝動とか、内側からのエモーションとか
それは野蛮なものではなく、
どっちかというと私の中では魂と繋がるようなもので純粋なものだと思ってる。
その感覚で生きると、
全てのものが調和するような生き方ができると思ってる。
だからそう思う。
過去にはヒントがすごくあるので、
芸能について過去を遡ってみたり、
そしたら民俗学や古典芸能につながっていったんだけど、
古典芸能ではそれは当たり前であり、
むしろそれは目的でさえあった。
とはいえ、昔はよかったから昔に戻ろうというような
考えの持ち主ではないので、
その感性を今や未来に使いたいなって思っている。
小難しいことは抜きにして。
そうそう、藤井風は
その感覚を本当に現代に違和感なくフィットさせて
変性意識に誘ってるように思う。
軽く、ポップに。
そんな音楽がいい