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桃の花 / 終わらせたい病 / 人に頼ること
桃の花の枝木を買った。
昨年は啓翁桜の枝木を買って、部屋で夜桜見物をした。
お布団に包まりながらうっすらとした明かりの中で見える薄いピンク色の花びらがとても綺麗で、あまりにも特別だった。
桃は、桜と比べると開花させるのが難しいそう。蕾のまま終えてしまうものも多々ある。
乾燥にとても弱いので霧吹きでの水やりが必須だと、お花屋さんに言われた。
桜よりもピンクの強い桃の花が、わたしの部屋で咲いてくれることを心から望んで、なるべく大事に育ててみよう。
あまりに遠い未来を想像してうわぁ〜となったりする。
でも今のわたしにはわからないことばかりで、
そんなに世の中知っているわけじゃないのに、どうにか答えを出そうとしているなと思う。
それが正解かはわからなくても、いったんとりあえず「答え」みたいな何かに行き着くとそれが正解だと、妙に腑に落ちて終わったものとして処理できるのかもしれない。
本当は解決はしていなくて、それが正解かどうかもわからないのに。
とりあえず横に置いておく、ということが大事だと頭では理解していても、未解決の事件が胃の辺りにあると気持ち悪くて仕方ないのも事実で。
なんというか、頭と心が別のことを言ってくるのでほとほと困っている。
終わらせたい病という感じかもしれない。
人に頼ることを覚えないといけない。
結局のところ、一人で全てをやり切ってうまく回せると周りの手は空くので「うまくやったぞ」という気分になるし、それを求められているんじゃないかと思っていたんだけど。
わたしの急な体調不良とか、トラブルで「実は今日なんか調子悪いんだよね・・・」と言ったときのほうが周りはちゃきちゃき動いたりしっかりしてくれたりして(え、わたしいなくても出来るんじゃん)と思ったりもしたのだけど。
今日の朝も、介護を受けている側の母に「なんだかすごく眠くてだるいんだよね」と言ったらいつもよりなんだかしっかりしていたというか…
なんと例えたらいいのか難しいのだけど。
喜んでいた、とはまた違うんだけど、娘のお世話をしなきゃみたいな何かが発動したのかもしれない。
相談をされるとか頼ってもらう、って案外その人は喜んでくれることもあるのかな?と思ったんですよね。
良かれと思ってこれまで調子が悪くてもいつも通り動いていたのだけど。
ワクワクじゃないけど。笑
なんかわたしが困っているときのほうが、みんな生き生きしてるのでは??と思ったよ、という話です。
「助けて」って言えないタイプで。
それって甘えじゃないかなって思ってしまうし。その、甘えとの境界線が難しかったりするし。
最近はスタエフやここで「つらいです」ってようやく言えるようになってきた。
「助けて」って誰かに頼れるようになったら、もうちょっとだけ苦しくなく生きられるようになるのでしょうか。
自分の問題は自分で解決しなきゃって思っていたし、実際いまも思っている。
だけど、結局人と生きるってこういうことなんだろうな。
これこそ頭と心は別モノ、って感じがするな〜
ではでは〜