今日のラブリー!これは初めての体験なのだ。
月が満ちてきた。
愛鳥ばなちゃん(ばなな・オカメインコ♀)の二七日、二週間が過ぎた。
新月が命日なので、月をみながらその時間の経過を感じている。
少しずつ涙の量も減ってきて、朝、目覚めて泣くこともほとんどない。
それでも、周期的に涙が溢れることがある。
それは、しばし「いないこと」を忘れて過ごしたあとに、それを思い出すその瞬間だ。
帰宅して、家の鍵を指した瞬間。
鍵を指す音を聞いただけで、ばなちゃんは「おかえり~」と鳴いてくれたことを思い出す。
それが、どれほどうれしかったか。
テレビを観ていて、ふと、ばなちゃんを撫でたくなった瞬間。
いつも膝の上で毛づくろいをしていたばなちゃんを思い出す。
その温もりに、どれほど癒されていたか。
テーブルに腰かけて食事を始めた瞬間。
カゴの中のばなちゃんもわたし達に合わせて一緒に食べ始めることを思い出したり。
その姿が、どれほど愛おしかったか。
過去に大切な存在を喪失した体験がないわけではないけれど…
考えてみたら、父の時ですら、わたしはすでに実家を出ていた。
同じ屋根の下で暮らす家族の存在を亡くしたのは、これが初めての体験なのだ。
だから今、日常の暮らしの中で、小さな場面のあちこちで、当たり前にそこにいて息づいていたその「存在」がどれほど大きかったのかを感じている。
それに気づいた時、これまでに、その体験をしてきた友人たちの顔が思い浮かんだ。
あの時、その気持ちに寄り添っているつもりだったけれど、わたしは全然わかっていなかったんだね。
たぶん、そういうことがたくさんあるのだろう。
わかっているつもりで全然わかっていないこと。
今も、これからも。
せめて、それに気づいていよう。
きっとこの喪失感は、ただ当たり前の日常を繰り返し、暮らしていく中で「時間」という薬を飲みながら、癒えていくのだろう。
友人たちがそうだったように。
わたしは今、人生に起こった初めての体験を味わっている。
初めてはいつだって、なんだってジューシーなのだ。
まだまだこれから、どれくらいの「初めて」があるのかな。