ライ。
大事にできなかったもののことをふと思い出した。
子供の頃飼っていた、犬のことである。
どうしても飼いたいとわがままを言って、親がどこかから貰ってきた柴のような雑種。
自分なりに可愛がっていたつもりだったが、散歩は結局母親の仕事になったし、実際のところめんどうをみたということはなかったように思う。
あるあるなのかな?今思い返せば、胸が痛い。
ウチには気に入らないことがある度にわめきながら暴れるタイプの激情型の姉がいて、それはおそらく発達障害のようなものだったのだが誰も気づくことなく、扱いづらく手に負えない人間として腫れ物を扱うように暮らしてたのだけどそれでも家の中はケンカが絶えずその度に犬は震えながら怯えた。
震えながらケンカを止めに入ったり慰めに来たりした。その姿に何度も救われた。
大事だったけど、だいじにできていたか、自信が無い。
飼ってる時には、犬が死んでしまうことを想像して何度も泣いた。無駄な涙だった気がする。
大人になって、母親が亡くなって、私は家を出た。
激情型の姉と、うまく接する方法がわからなかった父親との、3人の暮らしに自信がなかったからだ。
出たあとはほとんど家には帰らなかった。
だから犬の晩年を私は知らない。
家族は大事にしてくれただろうか。犬はしあわせだっただろうか。
亡くなったと、メールで知った。もう10年近く前のことだ。
今は1人で、猫と暮らしている。
寝てる猫を見ていたらふと犬のことを思い出した。
そして泣いた。
ただそれだけ。
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