小説 #27 Being resolved/epilogue
雨の夜。
僕は《Chatsubo》を訪れた。
アルジズが先に来て、文庫本を読んでいる。
紀伊国屋書店のカバーがかかっている。
「やあ」
アルジズが本から顔を上げる。
「分厚い本だね。誰の本?」
「『細雪』よ。着物を着たくなるわ、これを読んでると」
僕は僕は飲み物と軽く食べる物を頼んだ。腹がへっていた。
「僕も、あの阪神間の雰囲気はすきだな、のんびりしてて」
・・・かちん。
飲み物がそろうと、僕らはグラスを合わせた。
「お疲れ様」アルジズがにっこりして言う。
「稀有な体験をさせてもらったよ」今日は酒もキリリと冷えている。
「報酬は、もう支払われているから」
「助かった。今月は特にかつかつなんだ」僕はレモンパスタに載ったバジルの葉っぱを手でつまんで口へ放り込む。
「おいしそうね、そのパスタ」
「君も食べる?」
「一口ちょうだい」
アルジズはナッツの皿を回してくれ、僕はパスタの皿を押しやる。
アルジズは行儀よくカトラリーを遣い、料理を必要以上に崩さない。
「あぁ、おいしいわねぇ!」
「よかったね」
僕はFHの話を切り出した。
「フェイはあれからどうしているのかな?」
「ん・・・。先だってベルリンへ住まいを移したのよ」アルジズは口元をそっと拭いてから言う。
「何でまたそんな遠くへ?」
「彼女は以前にベルリンに住んでいたのよ。元ご主人が向こうで美術家をしているとは聞いているけれど。また一緒に暮らすことになったのかどうかは、わからないわ」
「おぉ、そうなんだ」
「ともかく、フェイは小説を書き始めた。よかった。あなたのおかげよ」
「僕が何の役に立ったのか、本当のところ、少しもわからないんだ」
「フェイはよろこんでいたわ。あなたにありがとうって伝えてと」
僕らはグラスの結露を何とはなしになぞる。
「じゃあ、遠からず彼女の書いた小説を読むことができるんだね」
アルジズがにっこりうなずく。
「わたしも、楽しみにしてる。とても新鮮な小説になりそうな気がするわ」
「君も書いているんだろう?」
「こわいわね、書くって。出てくる人たちの欲を突き止めるわけだから」
僕はそれへは返事をせずに、食べる。パスタは半分に減っている。
アルジズはぼりぼりとナッツをかむ。
「『細雪』もね、人々の欲がひしめきあってるのがわかる。しゅうしゅうと蒸気が立っているかのようなの」
「そんなふうに君は幻視する」
「そう。見えると、楽しい。もっと目を凝らしたくなる。これも欲」
「よかったね」
彼女も元気そうでよかった。
じゃあ、僕も書き始めよう。
誰かにどこかで言われたよな?いつかゴーストライターではなくなるって。
「僕が小説を書きあげたら、君が出版社を探してくれる?」
「いいわよ」アルジズが微笑む。
「原稿は一番に読ませてね。楽しみ。来月くらいとか?」
「うーん、シェアラウンジに通わないとな・・・」
「ふふふ。いいわね、一緒に通おうか?」
どうやら、僕のまわりで作家が増えてきたようだ。