京都は質量を憧憬している。あるいは〈新蒸気波〉という潮流。
Vehicle社の壺井です。
京都は質量を憧憬しているという、落合陽一氏のnoteがおもしろいので紹介します。
京都は質量への憧憬に満ち溢れている。
確かにそうだ。
京都は形を持たないものの総本山的な場所だ。真言とか、曼荼羅とか、風とか、祈りとか。侘び寂びとか。
そんな非質量的空間である京都にあって、質量への憧憬を一手に引き受けるイコンは、あのギトっと罪深いラーメン、および禍々しく異彩を放つ店の看板!
ご存じの通り、京都には質量のない豊饒さがたっぷりある一方で、人々はどうしたってやはり質量を愛し、質量を持つ重いラーメンを愛し、蹲る。その京都人の愛らしさを愛でよ。
落合は京都贔屓だな。
で、この京都人の〈デジタルネイチャー〉的資質、つまり、目に見えないものと、質量を伴って目に見えるものが往還する様というのは、僕ら《Chatsubo》にも見出すことができると思う。
で、そういうバロック的とも言える質感と、〈Vaporwave/ ヴェイパーウェイヴ/ 新蒸気波〉との親和性について記しておく。(←やっと本論にたどり着いた)
vapor とか、evaporate とか、volatile という単語が昔からすきだ。
揮発していく・・・というイメージを持つ単語群。
で、話が長くなって非常に恐縮なのだが、僕がこの、Vaporwaveという潮流を知ったのは、昨日か一昨日のこと。確か、早川書房の #闇のSF読書会 のいずれかの回で言及されていたんだったと思う。
で、早速関連の本を買ってみた。
Vaporwave(長いのでV.と略す)世界に溢れるこの質量感!
カセットテープやヴィデオテープの質量感を言祝ごう!
V.には質量への憧憬の念を隠さない京都人と同じ気質がじゃぶじゃぶと溢れている。
じゃあ、V.に秘められている、目に見えない方のコト、質量のないコトってのは、一体何だろう?
おそらくだが、侘び寂びを背負わされつつも、しれっと質量化をキメる京都の両義性と、V.は似ている。そんな気がする。
もうちょっとちゃんと『要点ガイド』を読んでからまたnote書きます。