小説 #25 アルジズの深層の欲望。
アルジズは〈ベルカナ〉と呼ばれる特殊なDNAパターンを持つ。同じく〈ベルカナ質〉である壺井を巻き込んで、〈ベルカナ〉にしかできない大事、自らを大義に奉じるような貢献、巻き返し・・・を目論んでいる。(See also #16 & #20)
アルジズの計画は、自らのDNAを利用して、〈ニードファイア〉という希望の灯を灯すことである。アルジズは〈ニードファイア〉を手に世界を照らす救世主となりたいのだ。
しかし、彼女の本当の願いは何だろうか・・・。彼女自身もまだ知りえぬ、彼女自身の深層の〈ニード〉があるのかもしれない。
わたしは、壺井と《Chatsubo》で隣り合って座る。雨が降っている。客は少ない。
《Chatsubo》は文学サロン的バーで、私のような文芸エージェントや作家や編集者がよく訪れる。サロン文化というのは古くからあるものだと思うけど、わたしにとっては、滋養を与えてくれる場所、チャージしにくる場所として貴重な空間。電磁的にチャージされるというイメージがぴったり。
それはともかく、ついに壺井と胸襟を開くことにする。
・・・
「あなたは、僕を解剖したがっているんでしたよね?」壺井がその形のいい頭をちょっと傾けて笑いながら言う。
「どうかな。開けてみなくてもいいんだけど・・・」わたしはグラスの結露をぬぐう。「実のところ、あなたの持っている技術に頼ることになると思う。DNAを掛け合わせるなんて・・・。途方もない仕業・・・」
「僕も〈ニードファイア〉の研究については文献を読んだことがあります。興味を惹かれました。僕の特殊な性質が世界の役に立つかもしれないと」
わたしはうなずく。
「でも結局、僕は自分だけで仕事を作った。自分の〈ベルカナ〉だけで十分だった・・・。僕は記憶のアーカイヴ屋なんです」
「知ってる。わたしたち、共通のクライアントがいるわ。もちろん、名前は明かせないけれど」
「作家たちにとって、記憶は生命線でしょうからね」壺井は頷いて、手元のナッツを一つ齧る。
「ひとつ、興味深いというか、おかしいことがあるんですよ。後から見直すためにアーカイヴするはずなんでが、そういう方は実はあまりおられなくて。クライアントの多くは女性なのですが、彼女たちは、ただ僕に記憶を抜き取られるためだけに足しげく通っているように見えるんです」
「女性が伸びた髪を切ってもらいに、毎月ヘアサロンへ行くようにして?」
「そうです。もしくは、増えた服をクローゼット・サーヴィスへ預けるのに似ているかもしれません。僕のところは容量は無限なわけですから・・・」壺井は笑う。両の涙袋がむくりと隆起している。
「そういうのも、誰かの〈ニード〉を灯しているのかもね」
「僕は、自分の組成が不安定になることを望みません。もちろん、仕事に障るからです」壺井はそこで言葉を切り、もう一つナッツを齧るが、べつだん深刻そうなふうではない。
「だから、申し訳ないけれど、あなたの企みに加担することはできません」
「ううう。そうなの」わたしは顔をゆがめる。
「あなたは文芸エージェントだけれど・・・、自分でも書いておられますね?」壺井が急に話を転じる。
わたしは驚く。そのことを誰にも言ったことがない。
「closet writer. お互い、クローゼット仲間ですね」壺井はうれしそうに笑う。「書けばいいですよ。執念深く。僕らは執念にかけては人には負けないはずだから」
「そうねぇ」
「もうちょっと、召し上がります?」壺井がたずねる。
「ええ。ありがと」
新しい飲み物がとどく。
「じゃあ、わたしが首尾よく本を書いたなら、壺井さんが表紙のデザインやってくださる?」
「おぉ、いいですね!描きますよ。なんだったら、もう先にアートワークを届けたいくらいです」
「そしたら、筆がすすむわねぇ」
「あなたには、入り江に潮が満ちて、海水が回り込んでくるようなイメージがあります。あくまで、外からの印象ですが」
「そうよね。抜き取りのお金は払ってないもの」わたしはやっとにっこりできる。
「ひたひたと、決して逆戻りはしない満ち潮の執拗さ。そういう機序でしか掬い上げれないものがあると思います」
「なんかこわいわね、その性質」
「いいですよ、こわくて。こわくていいじゃないですか」壺井はグラスをかちんと合わせてくる。
「僕もこわいやつを描いてきますよ」
「シダが絡み合って樹液が滴って、機械に穴を開けて煙を吹かせているようなやつね」
「うーん、いいけど。詳細は僕が考えます」
今度は壺井が顔をしかめた。