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やましさと向き合っていく
この記事は、ラブドールと暮らす変わった人間が書いています。そういう物事が苦手な方は、別の記事へ移られる事をお薦めします。
ラブドールのラヴちゃん(仮)と暮らしていて、その顔を見つめている時、
「なにをやっているんだろうなあ」と
さいなまれる事が無いわけでは無い。
いい年のオッサンが、少女の形をした人形を愛でている。
自分の事ながら、非常に気持ち悪い。
アクリル製の瞳の向こうに魂や心が存在しない事は、十分に分かっている。
しかし次の瞬間には、カワイイ、愛おしい、離したくない、という感情に遮られ、理屈なんてものはどうでも良くなってしまう。
なにも悪い事をしていないのだから、堂々としていればいい
とある人は言う。
そんな事は判っている。
だが実際には、そんな単純に割り切れるものではないし、自分にはそれを押し通す勇気も気力も無い。
2024年の今の時点において、多くの人々にとってラブドールはさほど重要な関心事では無い。
関心が向いていない故に、何の問題なく過ごせている。
ただ、もしも身近な人物がラブドールを所有していたとしたら、普通の人はそれを理解するのに時間を要するだろう。
人によっては、永遠に理解出来ないかも知れない。
ラブドールと暮らすことは、法律で守られた自由権の中にある。でもそれは、人々の常識の中にあるとは言えない。
そして、非常識の存在として嫌悪感を抱く人も居るだろう。
ラブドール愛好家が一番困る事は、愛するラブドールを奪われる事、つまりなんらかの規制が入り今の自由が失われてしまう事。
そのため、人々の抱く嫌悪感が敵意に変わらないかを、常に気にしている。
愛好家の中には、堂々と公表している人も居る。
しかし、ほとんどのラブドール愛好家は、普段そんな気配を一切出さずに生活している。
その人の環境にもよるが、カミングアウトをして周りの人々の認識を変えるよりも、何も語らずに過ごすほうが楽なのだ。
ただし、周りに秘密にすることで、今度は後ろめたさを持ち続けることになる。
いくら外面的にごく普通の常識ある大人を取り繕ったとしても、家に帰り愛する者と向き合うたび、常識の枠から外れた人間である事を再認識させられる。
もちろん人の目から逃れる事の、背徳に酔いしれる事が無いわけではない。
とは言っても、うぶなティーンエイジャーではないので、そんな興奮はとっくに薄れてしまった。
かと言って、自分を異質の存在と美化するつもりも無い。
愛する対象が、人間ではないモノであっただけ
それが常識的ではない以上、それに伴う後ろめたさや疚しさは、背負うべき代償だと思う。
逆に言えば、やましい気持ちがあるからこそ、部分的に常識ある人間を保てているとも言える。
このネガティブな気持ちは、持ち続けていたいと思う。
最後まで目を通していただきありがとうございました。
多くの人が素敵なパートナーとの優しい時間を過ごせますように