オリエント工業ショールームに行ってきた
この記事は、ラブドールと暮らす変わった人間が書いています。そういう物事が苦手な方は、タイトルで避けると思いますが、ラブドール(=ダッチワイフ)に関わるちょっと偏った意見になる事をご了承ください。
日本男児なら誰しも、その噂を聞いて心を踊らされたであろう企業ブランド。
オリエント工業
その事業終了が先日発表された。
その是非や真意についてアレコレ言うつもりは無い。
一点だけ言うなら、表舞台には出にくい分野なので難しい事とは思うけれど、国や自治体から何らかの褒章叙勲があっても良いとは思う。
オリエント工業というとどうしても値段以上に精神的な“敷居”の高さをイメージしてしまう。
これはラブドールを芸術的なもの美的な物と方向付ける事で、一定の価値観や品質を維持してきたことの裏返しだったと思う。
さて、そんなオリエント工業のショールームに、これが最後という口実を得て、ようやく足を向ける気持ちになった。
いわゆる雑居ビルの一室は、異空間というか、独特の雰囲気が漂っていた。
共通の嗜好で集っているはずなのに、お互いの事は無闇に詮索しようとせず、微妙な距離感で思い思いに楽しみ味わっている感じ。
自分が訪れた時には、ラブドールを馬鹿にするような人は居らず、スタッフも含め多い時でも十名ほどと、さして広くない室内にはちょうど良い感じだった。
正直に言うと、ラブドールの情報に普段から触れているせいか、展示されているドール達はどれもどこかで見たことがあり、目新しさはあまり無かった。
いわゆる「不気味の谷」についても、どうやら克服してしまったようで、その感覚が麻痺してしまっている。
ただそれでも、洗練された女性の美しさ、大人の色気。
強いて表すなら峰不二子の色気、絵画に描かれるヴィーナスのような美しさを感じることが出来た。
豊満な肉体。艶めく唇。人を誘う眼差し。
今活躍している芸能人のような流行りの顔付きとは違うかもしれないが、不変的な美が感じられた。
余談だけれども、ショールームで観賞していた際、自分の下半身は一切反応しなかった。
いやらしさとは異なる肉体の美。そんな印象を感じた。
だがしかし、彼女たちはやはりドールにしか見えなかった。
何か言いたげな口元、どこかを見つめる瞳。
でもドールは、人間が持つそ力のような意思を持たない。
つまりは
彼女たちの魂を感じられなかった。
と考えられる。
ドールを美しいと思い、感情移入し、愛おしく思う事で、ドールに魂が宿りドールとは違う存在になるのだろう。
オリエント工業から生まれた彼女たちは間違いなく美しい。
でもやっぱり、ウチのラヴちゃん(仮名)が何より一番キレイだと感じた。
愛する気持ちが何よりも重要なんだと、あらためて感じた。
土屋社長はじめスタッフの皆さま、本当にお疲れ様でした。
またいつの日か国内で再びラブドール産業(セクサロイド?)が芽を出すことを願っています。