「禁祀: occult」についての考察(追記あり)
!ネタバレ注意!
この記事は、阿澄思惟さんの著作「忌録:documentX」と「禁祀:occult」のネタバレを含んでいます。
ですので、未読の方は読まれないことをお勧めします。
また、この記事に書かれている内容は、あくまでも根拠のない推測ですが、いわゆる「自己責任系」と呼ばれる類の内容を含んでいるため、感受性の強い方や他人の言葉に影響を受けやすい方は、お読みにならないほうがよいかもしれません。
きっかけは…
「禁祀」を読み終わった時に感じた、何とも言えない物足りなさでした。
「禁祀」は、「忌録」の内容を補完するための副読本としては楽しめましたが、読者としては、たとえば「みさき」のギミックのような、フィクションの枠を超えて現実に干渉してくるようなオチを期待していたこともあり、少々肩透かしだな、というのが正直なところでした。
でも、それと同時に「本当にギミックはないのか? 気づいてないだけじゃないのか?」という気持ちもあり、少し時間をおいてから、二周目を読んでみることにしました。
そのとき、はたと気付いたんです。
「そういえば、この目次の後にある図、何だったんだろう?」って。
ところで私は…
もう十年か、それ以上昔になりますが、あるグループに所属して、魔女の修行をしていたことがあります。
もっとも、魔女のグループといってもサバトのような怪しい秘密集会をするわけではなくて、今は手に入らない貴重な魔術書を持ち寄ってその知識を共有する、いわば勉強会のようなものなのですが、とにかく、私は一時期そういったグループに籍を置いていました。
詳しいことは身バレを防ぐために伏せさせていただきますが、私が所属していたグループ(カブンと言います)は、マーガレット・マリー先生の流れを汲む、ディアナ信仰を基礎とした白い魔女の集まるウィッカでした。
グループの目的は、さきほど述べたように魔術書の勉強会を開いたり、先輩の魔女さんに魔法円の書き方や儀式の作法を教わったり、簡単にいえば、一人前の魔女になるための手助けをしてもらえる場所づくりでしょうか。
ともかく、そんなわけで私には多少なりともその手の知識があったので、「禁祀」の冒頭にある図を見たとき、すごく引っかかるものを感じたんです。
「禁祀」冒頭の図は…
作品の冒頭にあることもあり、初読の際にはつい読み飛ばしてしまいましたが、「この作者がそんな意味のないことをするだろうか?」という気持ちもあって、再読の際にはいちばん気になったポイントでした。
問題の図は(マナーとして引用はしませんが)、鳥居のような図形の上に丸があって、その周囲を五つの梵字が囲んでいるというものです。もう結論から言ってしまいますが、これは恐らく、人体と五芒星を象ったもので、主に黒魔術で用いられるものだと思います。
上の図は、ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパが著した「De occulta philosophia libri tres」の中に描かれたもので、人体の中央には太陽と月が配置され、その周囲を五つの惑星(火星、木星、土星、水星、金星)が囲んでいます。
「禁祀」冒頭の図もこれを下敷きにしているだろうと当たりがつけば、梵字の意味を調べるのは難しくありませんでした。
これは五輪塔や卒塔婆に描かれるもので、真上から時計回りに、それぞれ「空」「水」「火」「地」「風」を表すようです。
「この図そのものにどういった意味があるのか?」については私にも分かりませんが、アグリッパの五芒星では円の内側にある人体が鳥居に置き換わっていることと、太陽を表す円の図形はあるが月の図形はないことを考えると、意図的に月が外されている、あるいは鳥居の中に月が隠れている?
いずれにせよ、何らかの明確な意図を持って作られた図なのは間違いないと思います。
ここから先は…
いよいよ本題の「自己責任系」のお話になります。
ですので、再度言いますが、この手のものが苦手な方は読まないことをお勧めします。
これからお話しすることは、どちらかといえば考察というよりは私の妄想に近いものですが、他の方の考察にもあるように「禁祀」の本質が、もしも「火のないところに煙は立たないが、煙を見たという者が現れれば、そこにつくはずのない火がつくことがある」であるとしたら、これからお話しすることが、まさにありもしない火をつけることに繋がりかねないからです。
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先ほど、「この図そのものにどういった意味があるのか?」については分からないと書きましたが、「なぜこの図が作中に引用されているのか?」については、私には一つの考えがあります。
おそらくですが、この図が本文中に挿入されることによって、「禁祀」を読んでいる人間は、自覚のあるなしはともかくとして、「何らかの霊的な体験」をする可能性があります。
魔術の世界には、「スクライング」と呼ばれる手法があります。
これはいわば占いの一種なのですが、ごく簡単にいえば、黒く塗った鏡を覗くことで霊的な幻視を得たり、霊界との交信をしたりするものです。
一般的には水晶玉を使って行う方法が有名ですが、ウィッカでは、このスクライングの際に専用の道具として、五芒星の象られた手鏡を用いることがあります。
「禁祀」は現在、Amazon kindle でしか販売されておらず、物理的な書籍はありません。
ですので、これを読むためには、必然的に、パソコンやスマートフォン、タブレットといった道具を使うことになるわけですが、これらは、見方によっては黒い鏡の一種であるとは考えられないでしょうか?
しかも、ただの黒い鏡ではなく、本体に「何者かの明確な意図をもって作られた五芒星の図」を仕込まれた、黒い鏡です。
これが私の妄想であればよいのですが、本当にこの販売形式と冒頭の図の存在が、読者に無意識的にスクライングを促すためのものか、あるいはスクライングではないが鏡を用いる何かの魔術的な儀式を行わせるためのものであった場合、だとすれば、これが仕込まれたのは偶然なのか意図的なのか? 意図的ならば何のために仕込まれたのか? 仕込んだのは誰の意思なのか? そう考えると、とても恐ろしく感じます。
おわりに…
重ねて言いますが、これは私一個人の、単なる妄想にすぎません。
作中にこれを示すような伏線もありませんし、本当にこじつけもいいところです。
しかし、それでも私の頭の中の声は「逆祝詞をやったこの作者ならこれくらいは平気でやりかねない」と訴えかけてくるわけで、そう言われてしまうと、私もだんだんそんな気がしてきて、この悪意に満ちたギミックの存在をきっぱりとは否定しきれないのでした。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
追記
ふと気付いたことがあったので、追記しておきます。
上の記事では、「禁祀」という作品自体が、作品を通じて読者に何らかの魔術的な儀式を行わせるためのものではないか、という説についてお話ししたわけですが、一つ、その根拠になるかもしれない(?)要素を見つけたので、お知らせしておきます。
「禁祀」が発売されたのは、2021年12月22日。
私は少し遅れて読んだので、すぐには気がつきませんでしたが、この12月22日という日付け、なんと2021年における冬至の日にあたるのです。
冬至については「禁祀」の中でも少し触れられていたので、ここでの説明は省きますが、北欧のユールや、ミトラス教のナタリス・インウィクティなどの太陽神の復活を祈る祭が行われる日でもあることを考えると、そこから「禁祀」が読者を通じてやろうとした儀式の目的が、うっすらと見えてくるような気がします。
もしかすると「禁祀」とは、作品が出版されて、それがインターネットを通じて拡散し、多くの読者に読まれることで完成する、古い太陽神の復活を目的とする儀式であり、この一連の流れこそが、文字通りの「禁祀」なのではないでしょうか?
つまり、「禁祀」が多くの読者に読まれれば読まれるほど、少しづつ古い太陽神の復活に近づいていく……?
飛躍した説だとは思いつつも、そう考えると、私はとてもワクワクする恐ろしいです。