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エロ漫画みたいな恋をした

毎年この時期になると思い出すお姉さんのお話。

社会人1年目の冬、僕は初めての出張に参加することになった。この出張は、うちの会社のうちの部署の新入社員が必ず経験されられる通過儀礼。会社の上司に連れられて、よくお世話になっている協力会社の方々と一緒に仕事をする。出張先は地方都市で、行程は1泊2日。スケジュールは、初日の昼間に仕事、夜には親睦を深めるための会食も設けられている。次の日は出張先での仕事は何も入っていなかったため、昼頃には出張先を出て、夕方には帰社して通常通り働く予定だった。

旅行好きの僕は初の出張でテンションが上がっていたかと思いきや、実は全くそうではなかった。というのも、会食や接待などというものが極めて苦手だからだ。会社の金で美味しいご飯を食べられる貴重な機会だとはいえ、人のグラスに気を使いながらの食事は味がしない。美味しい食材が台無しだ。

そんなこんなで出張当日、僕は乗り気ではないテンション感で出張先へ向かう。出張先に到着後、さらに僕のモチベを下げることがあった。僕らの出張同じタイミングでその協力会社に尋ねてきていた別の会社(ここでは「会社A」としておこう)の方々もいたのだ。少し若めの営業の女性2人。当時の僕より少しだけ年上のように見えた。話を聞くと、2人とも夜の会食に参加するという。いつの間にか僕の会社、協力会社、会社Aの3社合同で会食をすることになっていた。全く知らなかった。協力会社の人、事前に教えておいてくれ。というかそもそも、僕の会社と会社Aは何の関連もないから、一緒に会食をしても何の意義もない。気を使う相手の数が増えるだけで、全く嬉しくないイベントだ。僕のテンションはますます下がっていた。

モチベが低くても仕事は仕事。とりあえず日中は淡々と働いて仕事を終える。オフィスでの作業は慣れたもので特に問題なく進んだが、仕事を終える頃には会食への憂鬱な気持ちが少しずつ高まっていた。仕事を終えて、駅近の宿にチェックイン。荷物を置いて一息ついてから会食のお店に向かった。

お店に到着。落ち着いた雰囲気の和食店だ。店員さんに「〜〜〜で予約しています」と声をかけると、10人が座れる長いテーブルのある席に通された。なるほど、今日の会食には10人参加するのか。そう思いつつ、とりあえず下座の方に着座。席に座って待っていると徐々にメンバーが集まり始める。下座側には比較的若めの「偉くはない人」たちが集まっていたため、気を使いすぎる必要なさそうだった。

全員が揃ってから会食がスタート。お店は落ち着いた雰囲気の和食店。地元で有名なところらしい。出てくる料理はどれも上品で美味しそうだった。しかし、新入社員としての役割を果たすべく周囲に気を配る時間の方が長かったため、案の定、料理をゆっくり味わう余裕はなかった。上司や取引先の偉い人たちが話す内容に相槌を打ちつつ、空いたグラスがないかを確認する。周囲に気を使うことに脳みそのリソースを割いていたため、料理の味も話した内容もほとんど覚えていない。

唯一覚えているのは、会社Aの女性2人とほんの少し話した内容。2人とも社会人4,5年目とかで、大学院を出てから就職した社会人1年目の僕より数個だけ年上らしい。見た目的に年が近いだろうと思ってはいたけど、実際に年齢が近いことがわかり、少しだけ親近感を覚えた。

席時間が終わりに近づき、ほろ酔いになった偉い人たちが「2次会、行く人〜!」と言い始めた。みんな良い具合に酔っていて、次の日の朝に急ぎの仕事がなかったため、全員で2次会に行くことに。僕としてはさっさと会食を終えて気遣いの時間から解放されかったけど、新入社員の通過儀礼だからしょうがない。もう1軒だけ頑張ることにした。

2次会は、協力会社の人たちがよく利用するというスナックにて。バーカウンターみたいな席の奥に、少し広めの部屋が1つあるお店だ。その部屋はカラオケのパーティールームみたいな大きさで、実際にカラオケもついていた。この日は普通に平日の夜だったからか、客は僕らだけ。貸し切り状態で、僕らは広い部屋を使うことになった。

今思うとこのお店は、お酒のおかわりのシステムが良くなかった。席の近くに常に店員さんが待機していて、グラスの残りが2cmくらいになると勝手に同じ酒が追加されるのだ。僕みたいな下っぱが偉い人のグラスに気を使う必要がなかったことは良かったと言えるけど、無意識のうちに大量に飲酒してしまうからいつの間にかどんどん酔いが回ってしまう。そんな店員さんのおかげで、参加していた全員ができ上がってしまった。

酔っぱらったおじさんで満たされた空間にカラオケがあるこの状況。当然のごとく、酔っ払いおじさんのうちの1人が曲を入れ始めた。そこから自然とカラオケをする流れに。みんなで順番に曲を入れ、各々歌っていく。もちろん、僕の番も回ってきて、とりあえず無難に誰もが知っている曲を歌ってターンを凌いだ。

このカラオケがきっかけで、「僕の夜」が始まる。元々2次会で僕は適当に下座に着座していて、周りにいる人とただただ当たり障りのない会話をしていただけだった。だけど、人々がカラオケで歌うために席を立ったり座ったりして自然と席がシャッフルされた結果、いつの間にか僕の隣には会社Aの1人の女性が座っていた。ここではカラオケにちなんで、その人を奏さんと呼ぶことにしよう。

カラオケの流れもあってか、僕らは自然と音楽の話を始めた。どのアーティストが好きかとか、カラオケではどんな曲を歌うのかとか。話を聞いていると、奏さんと僕の音楽の趣味が割と似ているようだ。

そんな話をしていると、カラオケの2巡目が回ってくる。そこで奏さんが僕に1つの提案をした。「みんなが知ってそうな曲を一緒に歌いませんか?その方が気楽ですし」と。確かにそれなら多少うろ覚えでも誤魔化せそうだから、この場を乗り切るには非常に良い。僕は奏さんの提案に同意をし、一緒に歌うことにした。

こうしてさらに2,3巡くらい奏さんと一緒に歌っているうちに、おじさんたちはグデングデンになっていた。店員さんが無限にお酒を追加してくれるシステムのせいだ。歌う元気がないながらも音楽を楽しみ続けたいおじさんたちは、僕ら若手にカラオケを歌わせようとしてきた。カラオケの曲が止まると「そこの若いやつ!次は何を歌うんだ!」「その次は!」「何でも良いからとにかく曲を入れて!」と僕らを煽ってきた。

おじさんたちの煽りに困りながらも、奏さんと僕は一緒にデンモクを覗いて「次は何にしましょうかね〜」「昔やってた〇〇ってアニメ知ってます?その主題歌ならみんな知ってそうなので、これに歌いましょ!」などと話して、盛り上がりそうな曲を入れることに尽力する。こうして奏さんとのデュエットを繰り返すうちに、僕らの距離が徐々に縮まっていった。気を使うだけのはずで面白くない会社の飲み会なのに、楽しんでいる自分がいる。酔いが回って少しぼんやりしている頭で、そんなことを少しだけ考えていた。

楽しかった2次会も終わり、そろそろお開き。疲れ果てたおじさんたち4人が2次会終了後すぐに帰宅していった。もうすぐ解散の時間。奏さんとの時間、楽しかったから連絡先を聞くくらいはアリかな。でも仕事で知り合った人だしな… とか考えていると、いつの間にか残りの6人で3次会に行くとこになっていた。もう少し奏さんと話せる。僕は3次会を提案してくれた誰かに心の中で感謝していた。

3次会はさらに小さいスナックで。僕らが通された席はちょうど6人くらいが座れるL字型のソファだ。ここでも下座を選んだ僕は「L」の「短い方の線の席」に奏さんと並んで座っていた。2次会の勢いを次いで、3次会もすぐさまカラオケの流れに。曲が流れている間は遠くの人と会話をすることは難しいため、僕は終始、隣に座る奏さんと話していた。

酔った勢いもあったのだろう。いつの間にか机の下で僕らの膝と膝が触れ合っていた。酔いの狭間で僕は「会社の飲み会で知り合った女性と膝をくっつけてる。これ、良くないな」と一瞬思いはしたものの、この心地良い距離を手放したくなくて、あえてそのままにする。ちょうど角度的に周りからは見えないだろうと思うことにし、気にすることをやめた。

周りから見えていなかったにしても、近い距離で楽しそうに若い男女が話していると、おじさんたちは何か言いたくなるものだ。「イチャイチャすんな!」「2人とも恋人はいるの?いないなら付き合っちゃえよ!」とかいうしょうもないガヤを入れてくる。そんなおじさんのおじさんらしい茶化しに対して「やめてくださいよ〜!」「そういうのじゃないです!」とか言って適当に流していた。心のどこかで「まんざらでもない」と感じていたけど。きっと奏さんも同じことを感じていたと思う。

そんな僕ら2人の心の中が大盛り上がりした3次会もやがてお開きとなる。6人のうち1人だけが地元の人で、その人のみタクシーで帰宅。出張で来ていた残り5人は同じ宿に泊まることになっていたため、全員で駅の近くにある宿の方向に歩いて行った。ところが、ひどく酔っ払っていた僕と奏さんは、いつの間にか一緒に歩く他3人を見失っていた。

まぁ別にはぐれたとしても宿はそんなに遠くないから気にせず適当に帰れば良いでしょ。そう思って僕ら2人は適当に歩いていた。だけど歩けど歩けど、一向に宿に着かない。歩いている途中に大きな公園が見えてきた。そこで僕らは気づく。「絶対に道、間違えたよね」「うん。こんな場所、ホテルの近くにはなかったよね」。1月の冬、深夜2時頃。さすがに寒くなってきた僕らは「Googleマップを見て帰ろう」と話し、ちゃんと宿に向かうことにした。

Googleマップで道を調べようとスマホを手に取ろうとしたタイミングで、ようやく僕は気づく。ーー奏さんと手を繋いでいる。いつ繋いだんだろう。どっちから繋いだんだろう。普段どんなにお酒を飲んでも記憶を飛ばすことはない僕でも、この部分だけはどうしても思い出せなかった。多分どうせ僕の方から繋いだんだろうけど。マッチングアプリで初対面の女の子と手を繋ぐことを常習的にやっていた当時の僕の癖が出てしまったんだと思う。

奏さんと繋いでない方の手でスマホを操作し、Googleマップで道を調べ終えた後。「今来た道を結構戻らないといけないみたい」と僕は奏さんに言う。奏さんは「そうなんだ〜」とか言いつつ、少し間を空けてから続けた。

「チューしちゃう?」

何年経っても一言一句鮮明に覚えているフレーズ。「チューしちゃう?」年上のお姉さんからの衝撃的な誘惑。その一言で理性が破壊された僕は、気づけば奏さんを力強く抱き寄せ、思い切りキスをしていた。冬の冷たい空気の中、僕らは夢中で熱いキスを交わす。その時の僕は、今が出張中だとかは全部忘れて、目の前の奏さんのこと以外何も考えていなかった。

しばらく唇を求めあった後、奏さんが「明日ちゃんと帰らないといけないから、そろそろ宿に戻らないとね」と言った。夜も更けて外は凍えるように寒いから宿に戻るのが賢明だ。だけど僕は帰りたくなかった。宿に着いたらこの時間が終わってしまうから。この瞬間が永遠に続いてほしかった。それでも部屋に戻らないといけない。僕らは手を繋ぎながら、宿の方に歩いて行った。

同じ宿に泊まっていた僕らは各々の部屋に戻るためにエレベーターの方に向かう。エレベーターに乗り、奏さんは7階、僕は10階、各々の部屋がある階のボタンを押した。あっという間に7階に到着。エレベーターのドアが開く。奏さんが「楽しかったね」と言い、僕の手を離そうとした。僕はまだこの時間が続いてほしい。

「もっと一緒にいたい」

奏さんを強く抱きしめていた。エレベーターのドアが閉まり、10階に着く。そのまま僕は奏さんを自分の部屋に連れ込んだ。

ーーここから先は大方読む人の想像通り。僕らは一夜を共にした。面白い話はないから詳しくは書かないけど。翌朝、チェックアウトの30分くらい前に僕らは目覚めた。奏さんは「やば、もうこんな時間!シャワー浴びて早く宿を出なきゃ…!」と言いながら、足早に僕の部屋を出て行った。

奏さんと過ごした時間はここまでだ。熱い夜を過ごした割に、お別れは案外あっさりしていた。連絡先を聞きたかったけど、妙に冷静だった寝起きの僕の頭が「出張中に知り合った女性とイケないことしちゃったな」とか考えているうちに、奏さんを帰してしまった。

ーーこの時期になると毎年思い出すお姉さんの話。あの日の夜を、「チューしちゃう?」なんていう魅惑的なセリフを、いつまでも僕は忘れられずにいる。やっぱり連絡先、聞いておけば良かったな。今でも時々、奏さんからもらった名刺を眺めてはこの思い出に耽っている。

出張中に知り合った女性と素敵な夜を過ごすという、まるでエロ漫画みたいな恋の話。また会いたいけど、思い出は思い出のままだから美しいのかもしれない。


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