私たちはなぜ、推しのライブの記憶をなくすのだろう。
人生初ライブの記憶は儚くこぼれ落ちた
私が初めて推しのライブに参戦したのは
2023年5月。
Snow Manを好きになってちょうど一年。
当たるはずがないと思っていた、彼らにとっても初のドームツアーである
Snow Manドームツアー2024 iDOME
その初日だった。
当選したとわかった瞬間のことは忘れない。
自宅のリビングでスマホを手に、まさに小躍りした。
立ち上がり、座り込み、床に突っ伏し、
ぐるぐると部屋を歩き回り、震える手で入金を済ませ、
行ける、会える、ラウールの姿をこの目で見られると考えただけで心臓が飛び出そうになった。
新しいアルバムが出たらすぐに聴き込み
うちわを自作し
持ち物のチェックリストを作り
参戦服を縫い
参戦バッグも縫い
ラウールのぬいまで自作し
防振双眼鏡をレンタルした。
京セラドームだから遠征するわけでもないのに
ライブ当日の3日前から休みを取った。
緊張と興奮で体調を崩した。
熱はないのに身体がほてってだるくて、食べ物が喉を通らない。
当日、やはり熱はないが体調は最悪。
それでも行かない選択などなく
ぼうっとした頭のまま電車に乗った。
グッズを買い、友達に会い、トイレ待ちの長い行列に並ぶ。
ライブが始まると時間はあっという間に過ぎた。
席はステージから遠かったけれど、ものすごい満足感だった。
ラウールはたしかにそこにいた。
長い手足で踊っていた。
Snow Manも実在した。
50,000人の観衆の一員として
彼らに全力で愛を届けた。
最高の気分だった。
そうやって私の人生初のライブ体験は終わった。
帰りは大阪環状線の大正駅からJRに乗った。
ものすごく混雑していた。
会社帰りのサラリーマンが、大勢の女性が電車に乗り込むのを見て驚いている。
「うわっ、今日めちゃくちゃ乗ってくるやん」
「誰かのライブなんちゃう?」
「あ、あれや、Snow Manや!」
「わー、それでかー」
スノ担たちは若い子もマダムも
他のお客さんの邪魔にならないように
体の前で参戦バッグを抱きしめ小さくなって
じっと混雑に耐えていた。
その時だった。
妙な感覚があった。
ギュッと抱き抱えた参戦バッグの模様をじっと見つめていたら
自分の頭から大切な何かが溢れていく気がした。
苦労して完成させたジグソーパズルのピースがランダムに剥がれて落ちていくような、
両手で掬った砂が指の間からサラサラサラサラと溢れていくような。
それを自分の意思で止めることができない。
剥がれ、こぼれていく何かが「ライブの記憶」だと直感的に悟った。
あ、わたし今、忘れていってる。
なんで?
あんなに一生懸命、全身全霊で彼らの姿をこの目に焼き付けてきたのに。
なんでこんなにすぐに忘れようとするの?
なんで?なんで?
電車を大阪駅で乗り換え、自宅の最寄駅に着いた頃には記憶の大半はこぼれてなくなっていた。
集団記憶喪失???
ライブの直後から、SNSには
セトリやMCのレポを上げる人がいた。
日々、次々と上がるこういった情報のおかげで
私の記憶はなんとなく補強されて
2時間半のライブ全体の流れも頭の中で再構築されたような気がしていた。
ところが、ライブから5ヶ月ほど経って
このライブ映像がYouTubeに上がった時
びっくりした。
タペストリー。
たしかに聴いた。
パフォーマンスも見た。
でも、背景に全く見覚えがない。
なに?馬?柱?
こんなの写ってたっけ?
私だけが覚えてないの?
と思ったら
全く同じことを呟いている人がわんさかいた。
私が見た限り、
「そうそう!こんな映像だったよね!」
て人は一人もいなかった。
みんな同様に
「こんな映像が流れてたなんて知らなかった」
と言い、
「あとからはめ込んだ映像なのでは?」
て説まで出るくらい
私の周りの参戦組は全員が記憶喪失に陥っていた。
この、前だったか後だったかは覚えていないけれど、
佐久間くんも同じようなことをラジオで話していた気がする。
大好きな推しのライブに行ってきたんだけど、終わった直後に記憶をなくした
最高に楽しかったライブほど、記憶が飛ぶ
と。
なるほどこれは
私だけじゃないんだ。
むしろあるあるなのか。
少し安心すると同時に
「なんで?」
て気持ちがさらに大きくなった。
どこかに答えがないかと知恵袋を見ると、
同じような質問がたくさん並んでいる。
「あんなに集中して見ていたはずなのに、ライブが終わった瞬間にすべて忘れている。なぜ?」
わかる。
「ライブのことが思い出せないだけじゃなく、推しの顔そのものがぼんやりと霞んだようにしか思い出せない。私だけですか?」
私もだよ。
「大好きな推しの握手会に参加して、目の前で好きな人の顔を見たのに
終わった瞬間にどんな顔で何を話していたのか忘れてしまった。悲しすぎる🥺」
握手会いいな〜🥹
でもそれを思い出せないのはたしかに悲しすぎる💔
質問はたくさん並んでいるのに、それに明確に答えられる人は誰もいないみたいだった。
何年か前に有吉とマツコの「かりそめ天国」でもこの話題が出たらしく、
「"'好き"という高ぶった感情を抑えながら見た情報は記憶に残りにくい」という研究結果がある
と紹介されたみたいなのだけど
その詳しい内容は見つけることができなかった。
ほんとに忘れちゃった?
さて、私の初参戦のおぼろげな記憶。
じゃあ、なんだったら覚えているんだろう。
何を覚えていないから、「忘れた」と感じちゃうんだろう。
この記事を書くにあたり、
整理して書き出すことにしてみた。
もうすでにiDOMEのライブレポも円盤も出ているけど、
それに頼らず、わたしの頭の中に残っていることを並べるとこんな感じになった。
⬇️
①オープニング映像がかっこよくて
初っ端から後ろの席のお姉さんが
「ぎゃー!!ひーくんかっこいいいい!!!」
て叫ぶので、
「そっか、声出していいんだ!」
とハッとして(その前のツアーで声出しが途中から徐々に解禁になった)
私も心置きなく叫ぶことにした。
Snow Man全員がドームの天井近くからゴンドラで降りてきたけど一瞬どこに登場したのかわからず探してしまった。
舘様が金髪だったのでびっくりした。
ラウールは白いファーのついたコートを着ていて、
ゴンドラの中でクルクルと回っていた。
翻った白く長いファーが、白キツネのしっぽみたいだと思った。
②ムビステに乗ったメンバーがスタンド席近くまで来てくれた時
スタンド席の上の方にいた私が必死で白いペンライトを振っていたら、遥か遠くからだったけどたしかにラウールはこっちを向いて両腕を高く上げて、少し飛び跳ねながら手を振ってくれていた。
(ファンサは思いこんだ者の勝ち🏅)
③外周を歩くラウールがスタンド席のお客さんのうちわを見たのか、マイケルジャクソンみたいなポーズをとっていた。
いいなーって思った。
④佐久間くんとのユニット曲、Bass Bonのとき
双眼鏡を通してではなく肉眼で見届けたいと思って、
棒人間みたいに小さくしか見えないラウールの姿を凝視した。
爪楊枝サイズのラウールが長い手足を折り曲げて踊っていた。
メインステージからセンターステージまで、曲に合わせて大股で歩いてくる二人がかっこよかった。
⑤MCのとき
初のドームツアーの初日ということでSnow Man全員とお客さんとで記念撮影をした。
(当然私はその画角には入ってない)
⑥バズーカでサインボールを飛ばすとき
ラウールはスタンドとアリーナのどちらに飛ばそうか迷ってお客さんを弄んだ挙句、スタンド席に飛ばしてアリーナのお客さんにごめんなさいしていた。
⑦フロートからさらに上に伸びるリフターに乗ったしょっぴーが、自分の歌割りの時に歌わず「こんなに高いの⁉️」と言って怖がっていた
⑧Snow Worldのとき
舘様がペンラを振る所作が美しかった
⑨佐久間くんのピンク髪をはじめて生で見て、光を反射してキラキラ透けてしまいそうで綺麗だなぁと思った。(ほんとにピンクなんだ〜🩷と思った)
⑩slow…
の背景は揺れるシャンデリアだった。
⑪オレンジkissのとき
長いカラフルな風船みたいなのが空気を孕んで立ち上がったので、なんじゃこれー、どこかの国のお祭りみたいだなと思った。
⑫クライマックスのCry outで
ラウールがステージから前に飛び出して暴れ回り、床を転がり回っていた。
最後の挨拶で
「記憶がない、すみませんでした」
と汗だくで謝るラウールに思わずニコニコした。
⑬「あいことば」のとき
観客がキャーっていうので何かと思ったら、しょっぴーが感極まって涙ぐんで歌えなくなっているのがスクリーンに写っていて、私もジーンとしてしまった。
私は当日までに頑張って覚えてきた手の振りをするのに忙しかった。
⑭アンコールのLock onで
もうすぐ二十歳になるラウールが
「ロックオンしてる?」と少し恥ずかしそうに言う姿が可愛らしかった。
⑮アンコールも終わって捌けていくとき
階段を降りながらラウールが「また会うよ〜♡」て言ってくれた。嬉しかった。
……どうでしょうか。
書き出してみて驚いた。
結構覚えてるのよ😳
え?覚えてるよね?
じゃあ、私はなんでこんなに「忘れてしまった」と感じてるんだろう。
求めるものは?
私は少し前まで
小学生の子たちが書いた作文を読んで
添削したりアドバイスしたりする仕事をしてた。
その中で、たとえば
「夏休みの思い出を書きましょう」とか
「遠足に行って感じたことを書きましょう」
なんていうテーマで書かせると、決まって出てくる作文の「型」があった。
「何月何日、〇〇動物園に遠足に行きました。
何時ごろに学校を出発しました。みんなでバスに乗りました。隣の席は△△ちゃんでした。バスの中で⬜︎⬜︎をしました。動物園に着きました。最初にキリンを見ました。大きかったです。次にレッサーパンダを見ました。可愛かったです。次に孔雀を見ました。羽根が綺麗でした。お昼にお弁当を食べました。いちごが酸っぱかったですetc.」
こんなふうに、
朝出発してから家に帰るまでの出来事を、順を追って細かく書いてくる子がいる。
遠足のしおりを側において、間違えないように気をつけながらその日一日のスケジュールを書き記したような。
作文というより報告書だ。
私はこの手の文章を見るたびに
「またか…」と思いつつ、
こういう子たちはきっと頭が良くて真面目なんだろうな、
自分が見たり感じたりしたことよりも、その日一日何をしたかを大人に正確に伝えることが大事だと感じてしまってるのかもしれないな
と思っていた。
そしてアドバイス欄に
「一日のできごとをわかりやすく書くことができましたね。この中であなたが一番楽しかったことや、特に心に残っていることを詳しく教えてくれたら、もっと良い作文になりますよ!」
と書いた。
推しのライブを見たあと、私たちがやりたかったのももしかしたらこれなのかもしれないな
と、
意外と鮮明だった自分の記憶を書き出しながら
ふと思った。
ずっとずっと好きでたまらなかった人たちの、
行きたくてたまらなかったライブである。
もしかしたら一生に一度かもしれない。
これが終わったら二度と見れないかもしれない。
大袈裟なことを抜きにしても、次はいつ会えるかわからない。
それくらいの気合いで参戦したライブ。
始まりから終わりまで、すべてを頭の中に入れておきたい。
いつでも好きなときに記憶を取り出して、あの曲のときはあんなだった、こんなだったと余韻に浸りたい。
円盤も出るとは思うけれど、あの日あの角度から見た推しの姿は自分にしか覚えていられないのだから、正確に記憶したい。
ライブはどうだった?と感想を求められれば、あの曲の時のパフォーマンスはああだったよ、背景にはこんな映像が流れていたよと詳しく教えてあげたい。
それが正しいことだと信じて疑わない。
だからライブ直後の興奮した頭では、すべて覚えている、覚えているはず、覚えているべきと思っている。
でも、少しでも現実の世界に触れてしまうとふと我にかえり
あれ?覚えてない?
と気づいてしまう。
そして悲しくなる。
覚えていることよりも、覚えられなかったことの大きさに愕然としてしまうのだ。
これと似たようなことが動画で解説されていた。
興味深いなと思ったのでよかったら見てみてください
⬇️
それほど関心のない人の顔ははっきりと思い出せるのに、好きな人の顔はぼんやりとしか思い出せない。
それは本当に「ぼんやりとしか思い出せていない」のではなくて
自分が思い出したいと思う程度まで思い出せないから、「全然思い出せない」と感じてしまう
ていうことらしい。
好きな人のことはその顔も声も服装も、仕草も何もかもをいつでも思い出したい。
だから、ほんの一部を思い出せないだけでも、
「忘れてしまった😢」と悲しくなる。
2時間半以上あるライブなら、
その中の特に印象深かったシーンをいくつか覚えているだけでも十分なはずなのに
全部を覚えていたいと願ってしまう。
そして覚えていられなかったことを悲しく思ってしまう。それは、
自分の中のハードルが上がりすぎてるのかもしれない。
眩しくて直視できないの✨あるいは衝撃に耐えられないの💓
好きな人の顔が覚えられない現象について、
原因を色々調べていたときにおもしろいなと思った説がいくつかあったのでついでに紹介しておくね。
ひとつめは、興奮すると瞳孔が開いてしまうので
好きな人の顔にピントが合わない
という説。
瞳孔が開いていると光がたくさん目の中に入ってくるので、眩しく感じる。
そうするとうまく対象物にピントが合わせられなくて、ぼやけて見えてしまうらしい。
たしかにライブ中、私たちはずーっと興奮しっぱなしだし
好きな人が近くを通るもんなら、うちわを握りしめペンラを必死に振って我を忘れてしまう。
きっと瞳孔も、カッ!!!て開きまくってるんだろうな。
瞳孔が開いて黒目が大きくなった目は
可愛いんだろうか。
向こうから可愛く見えてるならいいけど…
もう一つは心理学的な観点から。
これは、Yahoo知恵袋の次の質問に対する回答。
私たちがよく言う、「衝撃に備えよ」
ていうやつだ。
実際には備えられるわけないんだけど。
好きな人たちのライブは感動と同時に衝撃も与えてくれる。
心を撃ち抜かれて放心状態になることもしばしば。
いつまでもそんなライブの余韻に浸っていたら日常生活に支障をきたすから、脳が現実に戻るように働いてるのかもしれないな。
一年半の時を経て
ライブ初参戦の2023年5月から、およそ一年半。
ありがたいことに、私は人生2度目のライブに参戦できることになった。
2024年11月から始まった
Snow Manドームツアー2025 RAYS。
しかも、さらにありがたいことに
1回目の参戦時に
私はおそらくもう一度見に来れることがわかっていた。
その精神状態で1回目を見終わったらどうなるのか。
そして、1回目の記憶があるまま、2回目を見たらどうなるんだろう。
ものすごくよく覚えていられるんだろうか。
こんなことは二度とないかもしれないから、
ぜひ検証してみたいと思った。
結論から言ってしまうと、
何回見てもライブのすべてを覚えていることなどできなかったし
あんなに集中して全身全霊で彼の姿を見つめた割に、記憶が曖昧なのは前回と同じだった。
ラウールがステージのはるか上から吊られた状態で登場したときはあまりのかっこよさに倒れそうになったし
ただ花道を歩いてくるだけの姿を見たときも、全身から放出される圧倒的なオーラに眩暈がした。
ライトが当たっていないとき
衣装の袖を片方ずつ引っ張り上げながら歩く姿。
自分の歌割りじゃないときも曲のリズムに合わせて軽くステップを踏む姿。
双眼鏡で追いかけるように見つめ続けて
彼の姿は今も脳裏に残っている。
でも、紹介ラップも、キミカレのときも、
ラウールのセリフがなんだったのかさっぱり覚えていない。
ほんの一瞬、前を通り過ぎた他のメンバーの顔は鮮明に思い出せるのに、
ラウールがどんな顔をしていたのかはぼんやりとしか思い出せない。
ただ、初参戦のときと違うのは、
そうやって「忘れてしまった」ことを
必要以上に悲しまずに済んでいることだ。
ライブが終わり、冷たい夜風に吹かれて会場を後にしながら、
熱狂の記憶が少しずつ薄れていくのを感じて
私は妙な達成感を感じていた。
「ああ、また薄れていく。」
記憶のかけらは心の中で少しずつ輪郭を失っていく。
薄くて柔らかい花びらとか、
日に透けてしまいそうな貝殻みたいだ。
そんな繊細な宝物を、大事に大事に心にしまう。
ああそういえば
あんなこともあったなぁ
て思い出して
なんとなく呟いてみたりもする。
もとの形のまま取り出せなくても構わない。
それはたしかに私が彼らから受け取ったもので
誰にも邪魔されることなく、
これから永遠に心の中にあり続けるものなんだという確信があった。
あたたかくて
ぼんやりとしていて
少し心がキュッとなる
友達と感想を語り合いながら
思い出のかけらが私の中に
一枚ずつ重なっていく気がしていた。
記憶喪失、その意味と理由
私たちが推しのライブの記憶をなくす理由。
いや、なくしてしまったと感じてしまう理由。
それは、「推しのことが大好きだから」だ。
同じ時代を生きて、同じ空間で、
感動を共有できる
その体験を心から大切に思っているからだ。
「忘れてしまった」と思ったとしても、
大丈夫。
私たちの脳はその大切な体験を忘れてなどいない。
どこにしまい込んだのかわからなくなったとしても、それは必ず自分の中にあって
何かの拍子にふと顔を覗かせる。
そしてものすごい力をくれる。
もし本当に思い出せないとしても
それは次に会えたとき、
初めて会えたような喜びを感じるためだ。
私たちにはそのチャンスが必ずまた、めぐってくる。
何度会ってもそのたびに恋に落ちる。
そのための忘却に違いない。
いつか私たちが推しに会って、
ライブの感想を直接伝えられる機会があったとしよう。
その時、何をどう伝えたいと思うだろうか。
「ドームツアー、行きました!」
「そうなんですか、ありがとうございます😊
どうでしたか?」
「楽しすぎて2時間半があっという間でした!
ラウールくんがステージから捌けていくとき、
また会うよ!て言ってくれて嬉しかったです🥲
その日のためにまた明日から頑張ろう!て思いました」
私にとってはきっとそれで十分だ。
事細かな説明などいらない。
心が一番動いた瞬間のことを伝えたいと思うだろう。
それを伝えれば彼はきっと
ニコニコ笑って
喜んでくれるに違いない。