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I do me.そしてYou do you.ラウールは救わない。 〜Induction 感想と考察。〜


ソロMV鑑賞会


2020年1月22日にデビューしたSnow Man。
デビュー5周年を迎えた2025年1月22日、
初めてのベストアルバムが発売された。

その目玉といっていいのが、
メンバー9人のソロ曲とMV。


 発売日に先立って、メンバーだけでMVを鑑賞する様子がYouTubeで配信された。

ラウールのソロ曲は
"Induction"。

公開されたほんの一分ほどの映像を見て
私は「ああこれは、TGCの代わりだ」
と感じてしまった。


例年1月は、3月に開催されるTGCに向けて準備を進めているであろう時期。
前々回の出演で彼の連続出演は11回で止まってしまったけれど、ラウールの自己表現の場がどこかで見られることを私は切に願っていた。



相変わらず厳しい表情で自分のMVを見ていたラウールは、こう話していた。

「これまで世界観を色々やってきたから、それを曲にしたかった。」
「最近思ってることを詩的につめこんで、それを画にわりとそのまま写してる。」
「ストレートというより詩的な感じなので、それぞれの捉え方で、映像もどういう意味合いなんだろって見てもらえたらいいな。」

彼がこれまでやってきた色々な世界観とは何か。

Snow Manのユニット曲として作ってきた
"Bass Bon"や
"GLITCH"も
「世界観系」と呼べるけれど
どちらももちろん「曲」になっている。

曲になっていない「世界観」は
TGCのステージのことなのでは。

これまでステージで見せてきた、パフォーマンスを通じて観客に伝えてきた彼の思い。
今回、自ら作詞してまで伝えたいと考えた彼の思い。

数日後に届くその贈り物を大切に受け取って
しっかりと観なければと、気が引き締まった。



美しき、囚われの人魚


真っ暗な部屋の中
配管が剥き出しの床
ポツンと置かれた水槽

目を凝らす。
その中に誰かいる。
ラウールが横たわっている。

ほのかに灯りがともり
ラウールが身体を起こす。
水槽の中からこちらを見つめる。
頭にはウィッグをかぶっている。



水槽の中にスモークが充満する。
二酸化炭素なのか
冷気なのか
払いのけようとしても
底に溜まるスモークから逃げられない。
水槽のガラスに両手を貼り付け、頭までスモークに埋もれる。
息をするのも苦しいはず。

やがて水槽は血のような深紅に染まり
立ち上がったラウールは
水槽から顔を出す。

水槽の映像の途中、途中に
ウィッグをつけず
長髪をなびかせるラウールの映像が挟まる。

それはまるで水槽に囚われる前の、
広い海の中で楽に呼吸していた頃の、
美しいマーマンのよう。

水面から差し込む、冷たく微かな陽の光を
うっとりと顔に浴び
柔らかく手を伸ばす。


(歌詞と意訳)
Induction your...
Induction mind
   (きみの心を誘導する)
Induction your...
Induction mind
Your mind
  (きみの心を、きみの心を誘導する)

Even if the others can't change
   (他人が変えられないとしても)
At least you're in front of me
  (少なくともきみは僕の目の前にいる)
At least you're in front of me
  (少なくともきみは僕の目の前にいる)
Never never never fail to save
  (絶対に失敗しないで、きっと助けだして)
Don't just hope, we are already in the ER

  (望むだけではだめ。僕たちはすでに蘇生が必要なレベルにいるんだから)
At least you're in front of me
  (少なくともきみは僕の目の前にいる)


ラウールは自分を見ている私たちに
なにかに気づけと促している。

他の人たちは変わらないとしても、
きみたちは変われるでしょう?
と言いたいのか。
「変わりたい」と望むだけではなく
そのために何か行動を起こせと言いたいようにも感じる。

そして「決してsaveに失敗してはいけない」
という。

saveは二つの意味にとれる。
「救う」と、「保存する」。

さらに、
誰が何をsaveするのかも色々な意味にとれる。

ラウールが私たちを「絶対に助ける」
かもしれないし
私たちが自分を「救う」
かもしれないし、
「セーブに失敗してはいけない(これまでのことを忘れちゃいけない)」
かもしれない。

ER(救急救命病棟)にいるのは
「私たち」。
危機的状況とは何を指すのだろう。
人によってさまざまな捉え方ができる。

ただ、映像の中のラウールは
何かに変わろうとしている。

自由に動けていた海を捨てて
陸に上がろうとしている人魚?
 
しかしそこには痛みが伴う。
真っ赤に染まる水槽。
呼吸が苦しい。

それでも変わりたい。変わらなくてはならないと
切望しているように見える。

ウィッグは「違う自分になりたい自分」
の象徴だろうか。


光の矢は身体を貫く


水槽から出て
「ステージ」と呼ぶには小さすぎる、
スポットライトに囲まれた円の中で激しく踊るラウール。

煌びやかなスポットライトではない。

矢のような冷たい光線が
踊るラウールの身体を四方八方から貫く。

こちらを見つめるラウールの背景が
一秒間に何回も、目まぐるしく変化していく。

深く暗い森の中
遠くに夜景が見える街の中
土砂降りの雨、街灯が光る古びた路地
古い鉄扉と、蔦が這う壁に囲まれた小さな中庭
光の軌跡が見える石畳
廃墟
壊れ、めくれた壁
煌びやかだけど遠い夜景
高い建物に囲まれた狭い空にさす朝日
鉄格子の窓がある人けのない部屋
未来的な流線を描く冷たい金属
黒、赤、白のスモーク
横切る光の玉…

ラウール自身も変わっていく。
瞬きを我慢しても見落とすくらいの一瞬に
女性や筋肉隆々の男性、
私たちが全く知らない誰かの姿が何人も挟まれている。


「変わりたい」と強く望み
その代償を払った人魚は
この陸上のどこへでも
行ける力を得たのだろうか。

しかしその行き先は
暗く、寂しく、冷たい。
本当になりたかった自分は
そこにいたのだろうか。



千鳥足の悪魔は囁く



ぼぉっと白く光るランウェイ
暗闇から黒いヒールを履いた足が現れる。
黒い服、黒いパンツ、
肩からも黒いなにかをぶら下げた悪魔。

歩みは遅く、踏み締めるように
こちらに近づいてくる。
こわいくらいに美しく鋭い視線でこちらを見つめながらこう歌う。

It's as if you've lost all sense
  (きみは正気を失ってしまったみたいだ)
Light and dark sent through mirror
  (鏡を通過して届いた光と闇)
Luster shunned for what's nearer
  (輝く何かはより身近なもののために遠ざけられた)
Envy dulls it all
  (ねたみは全てを魅力のないものにしてしまう)
Gift of honesty is more
than the cheap would ever afford
  (誠実さがもたらす成果は、手っ取り早く片付けようなんて気持ちでは絶対に手にできないんだ)
Ain't it so?
  (そうでしょ?)

I want I want you to realize whenever
  (僕はきみに気づいてほしい、いつでも)

悪魔は一体、誰に何のことを話しているんだろう。

言っていることはひとつひとつものすごくまともで
悪魔の言うことと思えない。

変わろうと望んだ人魚、
彼に対する言葉なのだろうか。だとすれば

「海の中で暮らしていれば幸せだったのに
陸に上がろうなんて正気じゃないね。
『水鏡』を通して光が差し込んでいたのに
きみは人になりたいと願って
輝くうろこを捨ててしまった。
誰かを羨ましいと思えば全てが魅力を失ってしまうんだよ。
誠実にひとつひとつ積み上げてきた成果は
悪魔に魂を売ってすぐに手に入るものなんかに敵わない。
違うかなぁ。
今からでも気づいてほしい。」

と、
自分が今いる環境を捨てて
それまでに積み上げてきたものを捨てて
新たな自分になりたいと願うことを否定しているようにも思える。


しかし彼は悪魔なのだ。
現状を打破しようともがく者に、甘い言葉を囁いて
やめさせようとしてるのかもしれない。

だとすれば。

「全ての感覚を失ってしまったきみ
手近にあるものを優先して、栄光から遠ざかってしまっている。
人を妬んでいたって退屈な日々は変わらない
誠実に努力しよう。そうすれば安っぽい日常のなかでは手に入れられない何かが得られるはず。
いつでもそのことを覚えていて。」

と解釈してもいいだろうか。

ここで難しいのが
Light and dark sent through mirror
という部分。

言うまでもなく、
鏡は光を反射する。
だから、光と闇が鏡を通過して届くというのはイメージが難しいし、
そもそも何のことを言ってるのかもよくわからない。

光を通す鏡というと
マジックミラーというのがある。
片側から見れば窓だけど、向こう側からは鏡に見えている。
取調室とかにあるイメージの鏡。

こちらからは向こうが見えていて、光が差し込んでいるように思えるけど
向こうからはこちらが見えない。

こちら側の人は向こうと同じ世界を共有している気持ちになる。
しかし向こうからこちらは、何もないのと同じ。

これってテレビと似ている。
テレビの中の世界を見て、その世界に参加している気になっても
視聴者は実際には参加できていない。
大きな災害があったとしてもこちらからは見るだけで、
どんなに悲しい気持ちになってもそれが向こうに伝わることはない。

アイドルのファンをやっていくことも同じで、
どんなに相手のことをよく見てよく知ってる気になっても、
むこうからこちらは見えないのだし
結局一方通行なのだ。

そういうものに対して
ねたむ気持ちを持つこと。
それが日々をつまらないものにしてしまう

という警告にも思える。



踊るのは人間のラウール、そして天使降臨



こちらに鋭い目線を投げながら
人魚が踊っていたのと同じステージで踊るのは
人間の姿をしたラウール。

相変わらずスポットライトは射るように四方八方から放たれるけれど、
時折り天空から眩しい光がさす。

そこに降りてきたのは
大量の白いフリルを纏い
青白い顔をした大天使ラウール。

唇は赤く塗られて
髪にも衣装にも差し色に赤が使われていて、
巫女にも見える。

この天使、
全く慈悲深く見えない。

誰のことも救う気がない。
「世界よ私をみろ」
とばかりにフリルの裾をはためかせ、

悪魔と背中合わせになってぐるぐる回る。
冷たい笑みを浮かべながら。

But I don't care
  (でも僕は気にしない)
There's no hope you'll ever change
  (君はこれからも変わらないんだろうてことを)

If you want to know why
I do me
  (理由を知りたいなら教えてあげる、
  僕は僕で)
If you want to know why
You do you uh
  (君は君だ。)

After all, you give me something for love?
  (色々あったとしても、君は僕に愛を伝えるなにかをくれるんだね?)
Off the wall, I give you something for laugh
  (いかれてるかもしれないけど、その代わりぼくは
君がクスッと笑える何かをあげるね)
You don't think anything of this, do you?
  (そんなこと、考えたこともなかったでしょう?
   ふふふ)


「変わるべき」と警告していた冒頭とは打って変わって
「きみが変わらなくてもぼくは気にしない」
と言い放つこの終盤。

まるで突き放されたような、
どうせ変わらないんでしょと呆れられたような
なんとも形容しがたい絶望感に見舞われるこの歌詞。


しかし、これこそがラウールの言いたいことなのかもしれないと思った。

I do me
 は、2023年のSnow Man初のドームツアー
IDOMEを想起させる。

「俺たちは俺たちの道をゆく。
俺たちのするべきことをする。」
という強い意志が感じられるメッセージ。

そのツアーグッズには
YOU DO YOU
と書かれた缶ミラーがあった。


Snow Manがわが道をまっすぐ歩んでいくのと同じように、ファンにもしっかりと自分の人生を歩んでほしいという、メッセージだと思った。

私はこの缶ミラーをケースに入れてバッグに付けて、毎日持ち歩いていた。

当時、事務所は性加害問題で揺れに揺れていて
ファンまで加害者のような扱いを受けて
タレントもファンも辛い思いをしていた。

そんな日々の中、
バッグに付けたYOU DO YOUの文字を見て、
私はSnow Manから力をもらっている気がしていた。

誰が何と言おうと私は私だし
好きなものを堂々と好きだと言おう、と。



変わりたいと願うのなら変わろうと努力すればいい。
変わりたくないと願う人は変わらなくていい。
人生はその人のものだし
容易く他人に左右されなくていいのだ。

そして、
なんやかんやあったとしても
私は彼のことが好きだし
愛を叫ぶ。そこは変わらない。

それに対して彼は愛をくれるとは言わない。

笑えるなにかをあげるね
としか。

アイドルとして、それでいいのかと言われるとよくわからないけど
型破りでそれもいいんじゃないかと思った。

そして彼はきっとこれからも、
その姿勢は変えないんだろう。



踊る人間、水槽から投げかけられる視線、唐突なブーゲンビリア



煌めくシャンデリアの下で踊る人間ラウールは
照明を浴びて輝く適切な場所を手に入れたように見える。

水槽の中で立ち上がりこちらを見ている人物は、
水槽ごと世界に出ていくようにも見える。

そして
頭にブーゲンビリアとグロリオサの大きな塊を乗せたラウール。

こうやって草花を纏った姿は、
Bass BonのMVでも見た。
あれはAIが人間性を欲して、色のある世界に憧れて、植物と一体化しようと試みる姿に見えた。


ブーゲンビリアの花言葉は
「情熱」「永遠の愛」「あなたは魅力に満ちている」
グロリオサの花言葉も
「情熱」「栄光」

人間になることを望んだ人魚は
いくつもの廃墟や暗い森を彷徨った。

最後に、こんな美しい花が咲き乱れる場所に
辿り着けたのだろうか。



世界観を曲にする。



これまでTGCのステージで
ラウールは強烈なメッセージを含んだパフォーマンスを見せてくれた。

2022年秋
ガラスの時代に生きる自分、
その殻を内側から蹴破り
外の世界に踏み出し、もがきながらも生きていこうとする姿を見せてくれた。

2023年春
過去の自分と今の自分。
どちらも大切な自分自身。
何かを捨てるのではなく、混ぜるのでもなく、
うまく重ね合わせることでもっと素敵な自分になれると教えてくれた。

2023年秋
退屈な日々を探していた青年が覚醒し、
エンタメの世界で生き生きと踊る姿を見せてくれた。

そして2024年春。
ひとつの価値観しか許されないDystopia。
そこを抜け出すためにAIで自分自身を生成し、
最後にはそのAIに人間性を獲得させるという荒技をやってのけた。

このパフォーマンスから私は、

「人が生きてきた過程には絶対に意味がある」
「自分の人生をより良くする権利が誰にでもある」
「望まなければなにも変わらない」

というメッセージを受け取った。

そして、少しでも良い方へと、
もがく姿も尊いと
教えてもらった気がするのだ。


常に、ラウールは自分自身のすべきことを考えて
準備を重ね、できあがったものを見せてくれる。
ひとつひとつが大切な宝物。


自分は精一杯のことをするから
「お気に召したらこれからも応援よろしく」
という姿勢でファンと向き合っている。
そこにはなんというか、
対等な関係がある。

応援するのも
しないのも
ファンが選べばいいこと。
「自分の気持ちをしっかり持って」
と言われているみたいだ。

だから、ラウールに「救ってもらおう」とは
思わない方がいい。

自分を救えるのは自分だけだし
ラウールは誰のことも救わない。

結果的に救うことになったとしても
それはラウールに誘導されて
自分が自分を救ったということなのだ。
彼がそのための
とんでもなく強力な力をくれたとしても。

変わりたいと望んだ人魚も
その前に降り立った悪魔も天使も
全部ラウール。

人のなかには色々な自分がいる。
望むのも諦めるのも全部自分。

そんな色々な自分とうまく折り合いをつけて
もがきながらでも良い方に変わっていけたらいい。

そうしたら大天使ラウールが
少し笑えて少し気持ちが楽になる
なにか素敵なものをくれるのかもしれない。


おわり

⭐︎過去のTGCの考察もしています。
読んでもらえると嬉しいです♪


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