
自分や夫を責めなくてもいい理由とは
「夫は仕事、妻は家庭」という性別役割分担の意識はいつからか
まもなく私は44歳です。
思い返せば「永久就職」「寿退社」など、女性にとって専業主婦になることはステータスというか、夫の収入が十分にある象徴であり、そういう男性と結婚したいなと願う「三高」なんていう言葉も、思春期を迎える頃に聞いた話でした(1980年代末バブル景気全盛期)。
思春期の価値観は結構根強く定着しているもので、「妻が働く=夫の収入では満足できない生活をさせてしまっている状態」を夫がイメージして、プライドが傷つくというのも何となく理解が出来るのではないでしょうか。
そうそう「企業戦士」もありましたね。
「24時間戦えますか」とか、働ける訳ないのにね。
「血反吐を吐いて仕事する」なんてのも、聞いたことあります。
もしも夫が企業戦士を支えるのが、妻の愛情表現だと思っていて、愛情表現とは「愛妻弁当」だったり、出張でドサッと持って帰ってきた荷物を荷ほどきしてあげたり、子どもを抱っこして「いってらっしゃーい」という事だったりするなら・・・
妻が仕事をする・家事育児の分担が「俺、愛されてないの?」と不安にさせてしまうのかもしれませんね。
(もちろん、そんなことないのだけど)
こうした時代や社会背景があったからこそ、性別役割分担の意識が自分にある訳で、自分が悪い、相手が悪い、親が悪いと誰かを責める必要ってないのではないでしょうか?
何かをやってもらうことが愛情なのか
愛情って何かをやってもらうこと?
家事育児を一緒にするのが愛されてる証?
愛情を行動で示すには、目に見える形のが良いのかもしれないけれど、「やってもらっている=愛されてる」のは違うのかもしれませんね。
この図式、恥ずかしながら私の中にありました。
「私のことを愛しているなら、このくらいやってよ」
実際に言う訳ではないのですが、醸し出していたでしょうね 笑
軽く夫をタッチしたり、笑顔で接したり、「おつかれさま」と労ったり
愛情表現ってこういうことかなと思うけれど、夫が思っている愛情表現は「家族ために稼ぐ」だったから、ここら辺は夫婦会議(夫婦の対話)が必要ですね。
そもそも愛情ってもらうものではなく、かけるもの。
相手が何を欲しているのか、かけているものは何なのか。
お互いが知っておくのも、愛を深めることにつながると、私は思います。
夫婦会議(夫婦の対話)はゴングを鳴らすのではなく
スケジュール調整をして、夫婦会議(夫婦の対話)をしようとすると、「これまで溜まっていたモヤモヤ・鬱憤を爆発させるぞ」と意気込むことがありました 汗
夫婦会議とは「人生を共に創ると決めたパートナーと、よりよい未来に向けて対話を重ね、行動を決める場」のことです。
自分ひとりの意見を通すため・相手を変えるために行うものではなかったですね。
「わたしたち」で答えを創るには、自分や相手を責めるのではなく、お互いを尊重し、お互いが相手のために何が出来るのかを考えるステップが必要です。
自分を責めたり、相手を責めたりしても、求めているものが求めている形で手に入ることはありません(経験済)。
これからは一緒に愛情をかけたり、受け取ったりしていきましょう!