一人で頑張るのは終わらせる
本当の「自立」とは、依存先をたくさんつくること
私が子どもの頃は、周りの子どもが頑張って勉強して組織に適応した人が社会でうまくやっていけました。努力すればうまくいく、我慢すればうまくいく、という時代でした。
今は、少し時代が変わって創意工夫が必要になってきました。
私がピアノを弾いていたきた中で身に着けたものは、「一人でがんばる」でした。ピアノは孤独でしたし、自分が頑張らなきゃいけなかったのです。
私が小学生・中学生・高校と、ピアノに関して誰にも相談することができないでいました。自分の中でとにかく試行錯誤していました。そして、それが自立だとずっと信じてきたのです。
ところが、自立というのは「自分ですべてをやること」ではないんですね。
人間というのは、何かを自分一人でするのは無理で、いつも誰かと協力して生きています。人は協力し合うから社会を築くことができる。本当の自立というのは、自分ですべてを行うのではなく、人や人から生まれた知識やものを活用して、自分の環境をつくりだすことなんです。
自立とは、自分の依存できる(頼れる)先をつくること。
これを知った時、目からうろこが落ちました。
大人になると、社会生活を送っていくには、頼る先が親だけではないほうが生きやすい、とも言えます。
思春期は「自分なりの楽しみ方」を模索する段階
思春期の生徒さんを見ていて、私はこの大人になろうとしているお子さんに、大人の一人として何のヒントを与えてあげられるのだろうか?とよく思います。
思春期は、親とは違う新たな価値観を取得する時期で、この時期に、どんな大人と出会うかで変わってくると思います。
自分の選択は、自分で行ったものであり、その選択に責任をもつ。私自身、今、とても大切にしている考え方です。
ピアノは練習していないと、なんにもできません。ピアノ指導者をしている私だって、やってないものはできないわけです。ピアノの練習ができていない自分はとてもみじめでしたし、悲しかったのです。
どんなに時間がなくても、やっつけ仕事でも、間に合わせる。つじつまを合わせる。30分も弾いていると、どんどん楽しくなるのがわかっているから、最初の30分はどんなにやる気がなくても練習を続けます。
なぜ自分がピアノの練習をするか?といえば、練習した先に、とってもいいことがあるのがわかっているからです。
こつこつ積み重ねたものが弾けるようになる喜び。出来ることにフォーカスして、少しでも指が動き、体がついていき、頭の中で音楽が鳴り出す時の嬉しさ、人前で披露する時の緊張と表現する喜びは、なにものにも代えがたいものです。
反面、とくに中学生は忙しいですから「ピアノが練習できなかった」といえば、済むわけですが。
小さな言い訳ですが、自分の人生を他者に預けて、うまくいかない現状を他者や自分の社会(学校・塾)のせいにする。事実かもしれないけれど・・・
言い訳を続けていくと、自分が何かを変える・生み出すことは出来ないという思い込みをつくってしまいます。
どこかで何かの折り合いをつけていく「葛藤」も成長には大切
私も過去にそうした思春期の生徒さんをうまく導くことができませんでした。
私はついつい、だれにも頼らず「練習」したり「解決してきた」ので、つい、生徒さんに「練習時間が足りない」とか「自分でよく考えて」と言いそうになります。
それはもう時代が違うんですね。
今は、相談ができる時代。相談者がいないことによる知識不足は、自分自身を追い詰めて、何もいいことはありません。
ピアノは続けてほしい。ピアノをずっと続けていくためには、どこかで何かの折り合いをつけていく。でも、我慢はしない。心が折れそうになったら、そういう気持ちを吐き出せる場になるように、私は生徒によりそっていきたい。そうやって続けていった先に、きっといいことがあるから。
自立とは、いろんな人や知識から協力を得て、自己解決できる能力のこと。主体性を獲得する取り組みを、私なりに、生徒さんに、生徒さんへの関わりを通して伝えていきたいです。