「みにくいあひるの子」って、好意を受け取れない自己チューだったりした?
アンデルセンの有名作品「みにくいあひるの子」。誰もが小さいころ絵本で読んだのではないでしょうか。最近ときどき思い出すのです。親切な農家の人に助けてもらったのに、めちゃめちゃにして逃げ出すところとか。「みにくいあひるの子」は白鳥になって幸せになったのだろうか。。。気になって改めて読んでみました。
そんなに劣った存在だったのか
「みにくいあひるの子」(以下長いのでMちゃん)は他の兄弟あひると違って色が灰色だったので、いじめられていました。
あひるのひな黄色くてかわいい。でも、白鳥のひなだってふわふわしていてかわいいのにな。
とくにあひるの子が醜くて、劣っていたというわけではなく、他と違っていることが差別されたのでしょう。子どもはそういうところに敏感で、目ざとく見つけて情け容赦なくいじめるからね。
農家の家での大暴れが悲劇的
農家の人に沼で凍え死にそうになっているところを助けてもらったのに、いつもいじめられていたから、またいじめられると思って、ミルクつぼをひっくり返したり、大騒ぎしてしまうんですよね。
みにくいあひるの子が農家の人の好意をちゃんと受け取れなかったところが悲劇的だなあと思いました。
自己チューで自意識過剰な劣等感。いじめられたり、寒さや飢えで仕方なかったかもしれないけど。
もしも「みにくいあひるの子」がいじめを苦にして自殺して現代に転生したら
多様性が尊重される現代にMちゃんが生まれたなら、少し大きかろうが、毛色が灰色だろうが、「みんな違っていてそれぞれにすてきだね」と認められ、あひるのお母さんや兄弟と仲良く暮らせたでしょう。
農家でミルクつぼをひっくり返したりしたときも、「無理もないよね、心のケアが必要だよね」と温かく見守ってもらえたことでしょう。
でもそんなふうに優しい世の中だったら、、、Mちゃんは白鳥としての喜びに目覚めることもなく、あひると一緒に一生を終えるのかな。
白鳥になって幸せになったのかな
「みにくいあひるの子」という話は、醜いからっていじめられたMちゃんが、美しい白鳥へと成長を遂げ外から認められる存在になった、というサクセスストーリーです(多分)。
美しい白鳥になった。
同じ仲間と出会えた。
大空を飛び、遠くにも行ける。(あひるは飛べない)
「白鳥だ」「きれいだな」と称賛の声を聞いて、ずっといじけていた心もほぐれ、幸せを感じたことでしょう。
みにくいあひるの子のように、つらいことがあっても、大きくなったら(美しくなったら、勉強して頭がよくなったら、仕事で成功したら)幸せになれる、と思えることは、子どもにとって、希望なのではないでしょうか。
大人にとってのみにくいアヒルの子は?
いい大人になって今回、改めて読んでみましたが、前述の自己チューが気になっていただけなのかあ。
他にも核心に触れるようなことがあったような気がするんです。でも、読み方が足りなかったのか、分かりませんでした。
思い出したら、追記したいと思います。
昔読んだ本を改めて読むのって面白いです。昔の記憶と食い違ってることが発見できてアーハ体験ができます。自分の成長も確認できる気がします。童話は短くてすぐ読み終わるからおすすめです。
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「醜いアヒルの子」から「美しい白鳥」に変貌を遂げたけど、きれいともてはやされたMちゃんだって老いてしまうよねえ、そのとき大丈夫だったのかなあ。
ショックで自殺?
それとも「俺も年とったなあ、はっはっは」と笑い飛ばす?