ボロボロの長屋に住んでいた幼少期
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プロフィールの続きです。
昭和の50年代、ボロボロの長屋に住んでいました。
玄関のガラスはいつも割れていて段ボールをガムテープで止めていました。
小汚い家でまぁまぁのゴミ屋敷。
せめて団地に住みたかったけど親が当選しなかったらしいです。
しかし団地はジサツが多く、何度も「ど〜んっ」という音を聞いた。
「飛び降りやー!」と誰かが叫んで大勢で団地のほうに走っていく。ついて行ったはことはない。
私はそんな町で自死を身近に感じて育ちました。
私は30代は主に社会保障法の国家資格の勉強をしました。
きっと子供時代の一家心中の事件がトラウマすぎたからです。
犯人は公共の場で 、、、
現場をみていないのに、もう何十年もその場面が脳裏に見えます。
強烈すぎて社会保障法を人に伝えたならば、こんなことは防げると考え、
いっそ資格学校の講師になるのが夢でした。
しかし試験には受かりませんでした。
惜しかったけどチャンスを逃し
何年か挑戦してから挫折しました。
それでも今はFPは持っているから、身近な人には「あなたの地域はこんな助成金等があるよ」と社会保障系の知識を地味に伝えています。
しかし、知識を伝えたら突如怒る人もいます。
そりゃ「もっと早く知りたかった!」『期間が終わってた!』となることもあります。
私も20代の時、バイト帰りに車に跳ねられて労災隠しをされた経験があるのですが・・今となれば「隠した」のではなくバイト先の会社が無知だったと考えたい限りです。
事故から20年後、首の頸椎が2箇所ダメになってたことが判明しました。
アクセルを間違えて踏んで突っ込んできた加害者はたまたま父と同じ年齢で、加害者にも娘さんがいて、人生は紙一重だと思えたから赦す事が出来ました。
作品"さよならの10年間"歌詞
人生なんてね紙一重だから生きたことに悔いはないけど
シンガーソングライターネリエ
作品はこちら ↓