北陸道総鎮守・越前国一宮〜氣比(けひ)神宮〜
おはようございます。
ミュルアです。
東京は、今日も晴れそうです。
夕方、話題の彗星を見れたら良いなと思っています。
この間まで、越前に行っていたので、越前国一宮である氣比神宮について書きます。
ちょうど夏祭りの最中に参拝に行ったのですが、御祈祷をお願いすると神官さんが私が東京からの参拝と知り、大層喜んでくださいました。
20年ぐらい前に、福井県に主人と赴任していた時は、伺えなかったので、長年にわたり、ずっとお参りしたいと思っていました。
なぜかと言うと、神功皇后ゆかりの神社だからです。
全国あちこち転勤するごとに各地の神社をお参りしてきましたが、神功皇后や応神天皇(八幡神)にゆかりのある神社をよく参拝しています。
これまで、香椎宮、警固神社、住吉大社(長門、摂津)、廣田神社、石清水八幡宮、鹿島神宮などお参りしましたが、神功皇后がお祀りされたり、創建に関わったりした神社が多いです。
神功皇后は、ミステリアスな伝承も多く、実在しなかったのではと言われたりしていますが、神功皇后こと気長足姫(おきながたらしひめ)様は、実在していたと私は考えています。
ところで、氣比神宮の御祭神は、有名な神様が七柱お祀りされています。
誰かが、『神セブン』と書いておられましたが、錚々たるメンバーです。
〇伊奢沙別命(いざさわけのみこと)
〇仲哀天皇
〇神功皇后
〇応神天皇
〇日本武尊(やまとたけるのみこと)
〇玉姫命(たまひめのみこと)
〇武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)
神功皇后ファミリー中心ですが、特筆すべきは、伊奢沙別命(いざさわけのみこと)様です。
神社のパンフレットには、衣食住全般、海上安全、農漁業、交通安全が御神徳とされています。
ですが、もう一つ私は、【再スタートの神】であると思っています。
三韓征伐や内乱を終え、神功皇后の太子(のちの応神天皇)がなぜ武内宿禰に付き添われて角鹿(のちの敦賀)の笥飯大神(けひのおおかみ)のところに来なければならなかったか理由があります。
神功皇后が香坂王と忍熊王の反乱に先立ち、太子(のちの応神天皇)を喪船に載せて亡くなったかのたように見せかけていたことから、角鹿で禊によってその死の穢れを祓い、伊奢沙別命(いざさわけのみこと)との名を交換し、誉田別尊(ほむたわけのみこと)になることで再生をはかったのではないかと思われます。
(ここらへんのエピソードは、ややこしいのでご興味のある方は、Wikipediaなどでご覧ください。)
そうなると、伊奢沙別命(いざさわけのみこと)こと笥飯大神(けひのおおかみ)様は、何者なのかが気になるところです。
実は、氣比大神(けひのおおかみ)様は、天筒山の方角、神宮北東部に残る「土公」に降臨された神様です。
エネルギー的には、冥王星の再生のエネルギーをお持ちだと思われます。
なので、お参りして、【宣り直し】(祈り直すこと)を行うと良い再スタートが切れます。
参拝が終わった後、気比の松原に向かいました。
ここは、記紀にも記されていない秘密があるので、こっそりエネルギーワークをさせていただきました。
早速、大きなエネルギーが動き出しました。
越前と敦賀の旅の報告は、これにて終了です。
越前は、冬のカニの時期にまた訪れたいと思います。
拙い文章でしたが、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。