会話のスタンスが自分と同じ友人

先日、とある友人に久しぶりに再会した。

高校の頃の友人で
彼はオーストラリアで語学留学兼音楽制作修行をしている。

今年の年始に旅立ったので
9ヶ月ぶりの再会である。

彼の見た目は
髭を蓄え、髪は長髪で昔のR-指定みたいだった。
※合法的トビカタノススメの頃

裏腹に
価値観は前と変わらず一致していた。

留学先で出来た友人の育ちに関しての話をした。

留学先では寮のような場所で複数人の日本人も一緒に暮らしていて仲良くやっているそうだ。留学先の友人は行動力があって、優秀な人が多いらしい、

その人たちは有名大を卒業していて優秀なのに、運が良いからここまで来れたと思っているらしい、

その人達は実力があることを周りに見せびらかす事はせず、あまり恵まれない出自の彼の能力や人柄を素直に認めてくれるらしい、

色眼鏡をかけず人を素直に評価し、自らをひけらかす事はしない。

また、彼曰く
理解に知識が必要なボケをしても
ロジックを分かって笑ってくれるから
話しててとても気持ちが良いらしい、 

彼自身は人を笑わせたいという気持ちが強く、会話の中で毎回楽しませてくれる

彼曰く
その友人たちは
地肩が強い➕知識があって対応力が高く、会話が弾んでとにかく楽しいらしい

その話を聞いて
絶対伝わらないと分かってるボケを
女の子にして苦笑いされることが多い私は
その環境が羨ましいと思った

伝わりにくいけど
分かる人は絶対に爆笑してくれると期待し
博打を打ちたくなるのだ。

そのようなボケの成功率は半々くらいだが、
ボケを止めると私のアイデンティティが無くなってしまう。私の言う事が少しでも耳に残ってくれるなら嬉しいし本望だ。

会話とは
自分はどういう風に生きてきて
こういうふうに考えているという事を
お互いに伝えあう発表会だと思っている。

ぶつけた上で自分の価値観を認めてくれたら
マイメンだ。
当たり障りのない会話をして薄く関係を構築するより、価値観を全力でぶつけて、その上で次があるかないかの二択でいい。

私の好きなラッパーGADOROも
GO ONという楽曲で
「偽りの自分認められるくらいならありのままの自分を罵られた方が良い」と言っていた。

一丁前に語ったが
正直私には「こういう人には全く刺さんねぇ、、」という人も多い。
※主にギャルだ

ただ、そういう人に気に入られるためにこっちが寄せることはない。
所詮は付け焼き刃でギャルを楽しませるのが上手い人に勝てる訳がない。

真似をすることは出来るが
ニセモノがホンモノには勝てる訳がない。
勝てない土俵に出向く必要はない。
負けないことより勝てる場を落とさないことの方が大事だ。

自分のやり方で刺さる人を最大限楽しませようと思う今日この頃

ノーマルタイプの技で
かくとうタイプを倒してえ、、

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