ミノ的怪文書(推倉ましゅ編)
企画「Love ましゅ カレンダー」
20日目に2回目投稿、ミノが書かせていただきます。
この企画は、2024年12月30日に卒業を迎えるヒロイックニューシネマの推倉ましゅさんとの思い出や、伝えたいメッセージをファンの皆さんで紡いでいく企画です。
本日もお読みいただきありがとうございます。
さて、20日目を選んだのは偶然ですが、ここを選んでよかったなと思ったのは、
・明日からのカウントダウン日数が1桁に突入してしまう
・企画のラストスパートにも切りのいい位置
だからです。
これから書く方たちにプレッシャーを与えるつもりはなく、以降も思い思いのままに、と願っております。
僕の思い出やメッセージを書く前に書いておきたいこと
ちょっとだけ本企画の趣旨とは違いますが是非お付き合いください。
伝えたいのはたくさんの感謝です。
この企画にはたくさんの方がご参加いただき、ひとえに「推倉ましゅ」というアイドル・人間性・歩んできた時間があってこそだと思います。
始める前は「万が一にも、カレンダーが埋まらなかったら全部書いていこう」なんてこっそり思っていたものです。
それがあれよあれよと埋まり、目に見える形として、これだけましゅとの思い出や伝えたいことを持つ人たちの12月カレンダーができました。
本当にありがとうございます。
またこれまでの内容も怪文書(誉め言葉)、チェキ、動画、イラスト、写真とバラエティに富み、ファン歴も最近から数年と、ここまででも幅広い人たちの記事がそろいました。
特に感じているのが、たくさんの歴史を教えてくださった人たちの存在。
最長だと6年、ですか。
ヒロイックニューシネマ以前からましゅと一緒に歩んできた人たちの記事を見ると、いま僕はその土台の上に同じファンとして居させてもらえているのだなあと。
ありがとうございます、という気持ちと共に、温かく見守ってもらえていた感謝の気持ちが湧いてきました。
こうしてたくさんファン同士での思い出をシェアできることはめったにないので、僕自身毎日の投稿が楽しみだったりします。
そしてもう一つ伝えたいこと。
そんなことはないとは思いますが、言葉にすることは重要なので一つだけ予防というか喚起?的な何かを。
この企画に参加した/しなかったということで何か差を生むことは無いことを、企画の発案者として、願いを言葉にしておきたいと思います。
見送る4人のメンバーがいるということ
見送るという言葉が正しいとは思いません。
それぞれの秘めた思いがあるので、適した言葉があると思いますがすぐには出てこなかったのでこのような書き方ですいません。
芹香ナノさん
桜子カフさん
叶田明日菜さん
華希リンさん
この方たちにも感謝を伝えたいと思います。
ましゅさんの卒業報告以降、これまでの活動と外の動き方に変化があったと思います。例えばこの企画のようにファンの目や意識、動きは推倉ましゅさん寄りになったりと、これまで通りのライブや物販と違う瞬間も多々あったと思います。
ましゅさんの意志と時間を背負って、未来を見せていくと決めた皆様のことなので、新体制や未来のこと目の前のこと、言いたいこと伝えなければいけないことなど、たくさん頭の中で抱えていた(いる)ことだと思います。
それでもいつもと変わらず、会場に居る人たちにパワフルなヒロイックニューシネマのライブと上質な音楽を届けている全員が、本当にプロフェッショナルな人たちだと思っています。
あらためて、4人への感謝も言葉にしたいのでここに書かせてください。
僕はそんな皆さんが大好きです。
(時々ウルっと来ていたのは、実はこの感情もあったのです)
その上で、脆い部分も零してしまうところもあっての”上り詰めていくヒロイックニューシネマのストーリー”を観ていきたいと思っているので、至らないファンではありますが、これからもよろしくお願いいたします。
……と、まあここまで書いてようやくましゅさんの話を書き始めようと思いますw
イメージしていたアイドルというものがそこに居た。
僕はヒロイックニューシネマのファンになるまで、アイドルと言われる人やグループのライブに行ったことがなく、正確にはラブライブのさいたまスーパーアリーナで開催されたライブに行ったことくらい。
つまり持っている3次元のアイドル像は「かわいい」けれど「芸能人」
物理的にも心理的にも遠い存在、でした。
かたや2次元のアイドル像は「かわいい」そして「ひとりの人間」でも「キャラが濃い」でした。(アニメやゲームだし、多少はね)
だから、ましゅさんの存在は、
2.5次元やんけ。。。
と思ったものです。
僕の中の、ヒロイックニューシネマの音楽と推倉ましゅ
ヒロシネの音楽がとても好きで、早く世界に知られろ、と毎日思っているのですが、その中でましゅさんの声は要(かなめ)だなとずっと思っていたし、ましゅさんにも何度も話したことがあります。
持ち前の声質は力強く出しても喉に引っかかる感じはなく、会場の奥まで濁りなく通り、それでいて密度のある響きがいつも胸を熱くしてくれます。
去年の段階で、2024年は推倉ましゅの歌声に注目しよう、ましゅさんがキーマンだ、なんて勝手に思っていたものです。
実際に、ましゅさんはライブで色々と歌い方を試すことが多く、それは回りに最高のお手本たちがいること、試して自分のバランスが狂ったとしても戻してもらえる軸があることがあったからなのかなと。
(他の人たちが書いていたましゅさんの成長や変化の思い出を、僕もちょっとだけ知っていたんだ、と、いまこうやって書いて気付けましたw)
ヒロシネというえぐいタレントたちの中で、推倉ましゅを歌姫という人は少ないかもですが、僕の中では歌姫の椅子を用意していて、その未来の絵はけっこう鮮明に描いてたりしてたのです。
ヒロイックニューシネマの音楽において、推倉ましゅの存在は偉大、なのです。
締めという名の、エゴの殴り書き
一番卒業という文字をイメージしていなかった、です。
言い換えるとそれだけアイドルそのものだったのがましゅさんでした。
そして僕は卒業というものを”1回目”の、と勝手につけてしまおうと思ってたりします。義務教育の中でも卒業は2回はあるので、そのあとにまた入学があってもおかしくないし、「やっぱりやめるのやめた」とか「やめてるの飽きた」でもいいと思っています。
つまり、待ってるからね。と。
人間的にまた一つ大きくなって戻ってくる未来もあるでしょ? と。
こうやってイメージしていなかった未来がやってきたということは、同じように、想定通りの未来ばかりじゃないということ。
懐かしの某ソシャゲイベント時、「意志と行動で未来が変わる」という分岐点に立ち会ったことがあります。(つまり逆転優勝に現実味が見えた瞬間のこと)。
その時、僕はずっと『ネバーエンド』を聴いていました。
あの時こそそれはかなわなかったけど、いまなら可能だと思えるし、少し経ち、別のイベントでは大勝利を収めた。
第二章で違うルートになったとしても、願いを持って歩んだときに、第三章でまた交わることもできるのではないかと。
やっぱりヒロイックニューシネマを観ていると諦めることはできなかったりします。
なので、いま贈る言葉は
「あなたがこれからも笑顔でありますように」と「またいつか!」の2つを。
あなたがいた時間は僕にとって大事な時間でもあります。
胸にしまい続けます。
大事なことなのでもう一回。
あなたがこれからも笑顔でありますように
そして、
またいつか!
諦め悪く、待つと決めたひとりのファンより。