"推倉ましゅ"との想い出
【はじめに】
企画「Love ましゅ カレンダー」
今日はkenkenが書かせていただくのですが、実は2回目です。
1回目の記事はコチラ。
あらためて。
この企画は、2024年12月30日に卒業を迎えるヒロイックニューシネマの推倉ましゅさんとの思い出や、伝えたいメッセージをファンの皆さんで紡いでいく企画です。
最初にお伝えします。
この企画の立案者であるミノさんにお願いをして、僕は本日このnoteを含む、2回更新させていただきました。
みんなが1回にすべてを込めている中、わがままを言わせてもらってごめんなさい。
あらためてお付き合いいただけると幸いです。
【ましゅとの出会い】
ヒロイックニューシネマ_____推倉ましゅを推し始めたのが2024年2月1日。
出会いとしては、仕事関係の繋がりでたまたまヒロシネのライブを観たのがキッカケでした。
この時は、実は人生の中で1,2を争うぐらいどん底に居たタイミング。
パフォーマンスを初見で見た瞬間から「すごい」と感じたし、グループコンセプトである『誰かのヒーローになる』というものを音楽と表現で体現していて圧倒された記憶がある。
そのヒロイックニューシネマという5人のヒーローの赤色担当が、推倉ましゅでした。
そんな彼女に救われる物語を書きつつ、ましゅへの想いも合わせて綴っていこうかなと思います。
【回想】
今までアイドルライブを観たのって、実は10年以上前のAKB全盛期の時ぐらいで、それもまだ地元に住んでいるときのお話。
当時は『遠方枠』という数席しかない枠を使い、ライブに当選したら劇場に足を運ぶ…といった、3ヶ月に1回ぐらいのペースで緩くアイドルを楽しんでいました。
この世界でよく言う『在宅』ってやつです。
別に推しが卒業したわけでもないけど、当時の仕事は接客業。
さらには夢を追いかけていた時期だったので仕事で本当にドタバタしていたし、給料は全部自己投資に回していくうちに、AKB自体の体制も変わっていき、自然とフェードアウトしていました。
そこから10年。
以降、アイドルにがっつりハマることもなく、何となく付き合いや接客時のネタして乃木坂を覚えたり、「顔が好きだなぁ」ってぐらいの感覚で、友人と一緒にごくたまにイベントに行く程度の日々を過ごしていました。
そんな毎日の中、いろんな人生経験を積み、いろんな山あり谷あり地獄ありのタイミングで出会ったのが、ヒロイックニューシネマ。
その赤色担当、推倉ましゅ。これが冒頭綴った『ましゅとの出会い』につながります。
【ましゅとの思い出】
初めてヒロシネのライブを観た時の推倉ましゅの印象は、「かわいい」「勇ましい」「仲良くなれなさそう」でした。
「かわいい」のは、そりゃまぁもちろん。
「勇ましい」のも、ましゅの魅力だよね。
「仲良くなれなさそう」は、かなり色眼鏡。
“アイドル現場”というものを知らなかった当初の自分は、そりゃ特典会のルールも知らなければ、ライブを観た後にチェキを撮ってお話できる会があることも知らない。
アイドルというのは雲の上の存在だと思ってたし、話すというよりかは見るって印象が強かったから、こんなに近い距離感というのも想像をまったくしていなかった。
そんな中で、あれだけ可愛いくて、パフォーマンスも良い子を目にしたら、そりゃ「仲良くなれないだろうなぁ」って思うわけですよ。
しかも2/1に初めてチェキを撮りに行ったときも、そこまでしっかりと会話をしていない。
他の4人の方がしっかりと会話をした記憶がある。笑
2024年2月は全部で4回ヒロシネのライブを観に行った中で、ましゅとチェキを撮ったのは最初の日の1回だけでした。
(( 当時は囲みチェキだけのために最後まで残って撮るような人でした ))
今となっては信じられないよね。
ヒロシネは全員そうではあるんだけど、なぜかましゅだけは自分の中で超”高嶺の花”的な存在で、憧れの対象であるのと同時に距離を置く存在でもあったんだよね。
当時はまだ4曲しかなかった中で、途中から”MORNING GLORY”が追加され5曲に。
ライブではほぼすべての曲を披露する中、ましゅの代表的な見せ場である”ネバーエンド”の口上が毎度熱い。
さらに配信も毎度のように観ていて、、
「あれ?自分と似てるところ多くね?」
そんなことを思うようになっていった。
だから彼女が『人見知り』だとか『自分に自信がないタイプ』とか、そういったことを言われたりしていても、最初からなんとなく感じていたことだったりする。実は自分もそうだから。
次に撮りに行ったのが1ヶ月後。
なんの会話をしたのかもう忘れてしまったけど、配信でコメントをしたり、囲みチェキを撮ったり、ライブをよく観てたり…で、なんだかんだ話していなかったとしても、心の距離は少しずつ縮まっていたのかもしれない。
3月に話した時には最初から割と砕けたような感じで会話できたような気がする。
しかも、ヒロシネのCD円盤を購入した時に出たのがましゅのブロマイドで、なんか運命を感じた。(チョロい)
4月になる頃には、チェキの枚数は一番ましゅが撮っている状態だった。
僕は全員のことが推しなので、3月ぐらいからは基本的に毎ライブ全員と撮っていた。
そんな中でも、2周3周するのはましゅが多くて(チェキ列の流れ的なこともあったけど)、毎度超砕けた感じで会話したり、時には真面目な話をしたりするのが楽しくて、ついついたくさん話しに行っていたことを覚えている。
そう。全員推しっているのもあるんだけど、ヒロシネメンバーと自分って何かしら似ている部分が結構あるんだよね。
真面目なところとか、狂気な部分とか、常に全力本気なところとか。
ましゅはそういった部分も持ち合わせている中で、波長もかなり合っていた。(合わせていてくれたのかもしれない)
だからこそ、真面目で深い会話もたくさんできるましゅとはこの時期よく話していたんだけど、この頃とても悩んでいたのは『推しとは?』ってこと。
アイドルを推すなんてほぼやってこなかった自分にとって、人生で初めての悩みだった。
全部中途半端な気がしたんだよね。
“単推し”って言葉もあれば、”箱推し”って言葉もある。
“全員推し”ってことも言ってたけど、単推しの方々にはやっぱり劣るところを感じてしまう。
別に推すことに関しては勝ち負けの世界でもないのにね。
そんなとき、ましゅが言ってくれたのが「けんけんは全員が推しであると同時に、ちゃんとましゅ推しだよ。胸張って」っていう言葉。
これさ、その時には衝撃を受けすぎて、しどろもどろしていたかもしれないけど、すっごく自信をもらえた言葉だったんだよね。
ましゅの言葉って、なぜか胸にものすごく刺さることが多い。
過去のnoteで他ファン㌠が”ネバーエンド”での過去の口上について書いている人がいたけど、とにかく熱いんだよ。刺さるんだよ。
抜粋すると、この言葉。
泣いたもん。
多分さ、こういう言葉を魂込めて発信できる人って、何かを背負ってたりすると思うんだよね。
こんなことましゅに言ったら「そんなことないよー!あはは!」ってバシバシ腕を叩かれそうだけど、何にも考えてない人にはこんな言葉を発信できないと思うし、何にも抱えてない人が同じ言葉を発したところで、人の心に刺さることなんてないんだと思う。
そんなましゅ__全員魂が熱いヒロシネだからこそ、何か力になりたい__
そんな想いから、5/4の@JAM予選ではとにかくいろんな人に声をかけまくった。
初めてのワンマンライブでは、満員の大成功を願って、行ったことのないライブにもめちゃくちゃ足を運んで、その場を楽しみつつも各種現場の人たちと仲良くなりつつ、ヒロシネのことを紹介したり。
ただの言葉だけでなく『行動で表現』してくれる彼女たちだからこそ、自分もがんばりたいって思った。
結果、たくさんの人にヒロシネのことを知ってもらえたし、たくさんの繋がりができた。
ライブはあの1日だったけど、この先につながる大切なものを作ってくれたのは、ヒロシネのおかげなんだよ。
あの日「自信を持って!」って背中を押してくれた、ましゅのおかげなんだよ。
そうそう。ましゅって天然キャラとしても逸材だよね。
みんなで居場所を守った、負傷した明日菜の復帰ライブ。
下北沢シャングリラで『名言チェキ』なるものをやってもらった時のチェキがこれ。
見づらいけど、
『汗・涙・鼻水!』
って書いてありますww
しかも日付も1日間違ってるしww(正しくは7/16)
おまけだけど、猫の眼に宇宙との初の2マン”ヒロイックニューユニバース”でも名言チェキをやってもらったんだけど、
『このポニテでしばくぞ。』
なんで顔もドヤッ!!なのwwwww
天才すぎるwww
【卒業発表から】
10/8の推倉ましゅ生誕。
対バンも最高で、最初から最後までめっっっっちゃくちゃ楽しんだ日になった。
からの、突然の卒業発表。
嗚咽を上げて泣く人もいれば、
方針状態の人もいれば、
時が止まってる人もいた。
自分はといえば、、「覚悟はしていたよね?」って言葉が最初に頭に浮かんだ。
そう。
ヒロシネのライブって、過去の自分のツイートを漁ると出てくるんだけど、毎度「これが最後」って気持ちで見ていたんだよ。
だから、「ついにその日が来たか」って感じだった。
___ううん。
みんなが泣いたり情緒不安定になったりしている中、そうは言いつつも、ほんとは頭の中が混乱して、パニックになっていただけだったのかもしれない。
その日はまだ仕事が残っていたっていう理由もあったけど、珍しくチェキ1周だけして、残り30分以上も特典会の時間があるにもかかわらず、すぐに帰ってしまった。
そこから、いろんな人がましゅの最期を見にくるようになって、フロアもどんどん熱い感じになっていって、12/15の野音に向けて1つ1つライブと時間が過ぎていった。
野音は、ましゅがヒロシネとして立つ最期の超デカいステージ。
本当に、本当に、カッコよかった。熱かった。
実は卒業発表があった以降、ヒロシネのライブでは一度も泣いたことがない。
ライブ以外では泣くんだけどね。
何か言われた温かい言葉だったりとか、音源がサブスクにあがったりとかさ。
感情が変になってるんだよ。
ライブ中、頭の中はとにかく「楽しい!」が優先されつつも、やっぱりぐっちゃぐちゃなことになりすぎてライブでは一度も泣かないくせに、帰り道の電車とか家に帰ってから急に泣くことが増えた。
頭おかしいよね。
割と平然なふりをして、みんなの前ではニコニコしてたりするくせに、実は現場にいるみんなと同じぐらい泣いてたりすると思う。
配信や特典会で聞いたけど、ましゅの卒業はどうやらましゅの意思とはまた違うところで為された動きとのこと。
「リタイヤかー悔しいなぁ」
この一言だけでも、逆にものすごく救われた。
ましゅにとっては本心な一言だったと思うから、「なんでぇ!!?」ってことかもしれないけど。
やっぱ本気で上を目指している目線が一緒な中で、自分でコントロールできること以外の外部要因があるのはもう仕方がない。
そんな想いなましゅだからこそ、最期まで「楽しみたい!」っていう気持ちは変わらないし、笑って送り出したいなっていう気持ちがいっぱいなんだよね。無理かもしれないけど。
最近の話題で言えば、一番近くにいたなぁののnote記事を読んだ時なんて超泣いたよね。しかも特典会で並んでる最中。
なぁのが書いた前グループの歌詞とかも、今あらためてよく曲を聴きながら歌詞を見るんだけど、めちゃくちゃ刺さってるし、あの2人の関係性ってやっぱり長く一緒にいただけあって特別なものだったんだなって思う。
こんな気持ちになりそうすぎる。今。
だからそんな悔いが残らないように、この12月もかなり限界を超えて足を運んだけど、やっぱり足りなさすぎるよね。時間が。
最初はペンライトの概念もまったくなく、メンバーカラーを知っていたにも関わらずYouTubeの映像で観る5人がカッコ良すぎて、『全員推し』という気持ちが最初からありました。
だからなんですけど、最初は色の切り替えもできず、箱推しの意味でずっと『緑色』を振ってました。超恥ずかしい。
そこから色変えを覚えて、パートも覚えて、見どころもたくさん増えて、仲間も増えて__
これはヒロシネが、ましゅが繋いでくれた仲だと思うから、他メンバーと同じように、他ファン㌠と同じように、この魂の繋がりを、先に繋いでいこうと思います。
最期まで楽しもうな!!!!!
おわりに
またまた長い長い思い出語りでしたが、ここまで見てくれた人は本当にありがとうございます。
全然何言ってるのかわからないぐらいの内容かもしれない。
だって目に水が溢れてて画面が見えないんだもん。。。
12/30に、ましゅの卒業ライブがあります。
予定の合う方はぜひご参加いただけるととても嬉しいです。
彼女の人生で一番輝く姿を一緒に記憶に刻もう。
【推倉ましゅ卒業ライブ】
https://t.livepocket.jp/e/mashulast
kenken