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恋川こみちという病③

もう私は寿命である、と認識している。

身体の寿命がどうだかは知らないが、
精神の寿命はもう擦り切れてボロボロである。

20歳で死ぬと、
いや大学を卒業したら死ぬと、
何回も死期を決め終わらせようとしてきた。

自分は親のおもちゃであり、自慢材料であり、勉強しかできなかったものだから、最高学府を卒業したら用済みでしかなかった。
南条あやリスペクトのインターネットに毒されたメンヘラだった故。

色々あって、その後も数回死期を止められ、
現在、終わらない延命治療中である。

というわけで、
節目節目で、良いタイミングで
それはもう大安吉日に宝くじを買うノリで
私は無理をしてこの世に留まるのである。

しにたいは常に私の根底に在る。
根深く強く心を縛っているので、それは定期的に顕在するし、もう取り外さない。
私の抱える希死念慮という名の悪性腫瘍は既に末期なのだ。

だから、こんなのいつものこと。
ただの日常、いつもの見慣れた光景。
生きづらいのではなく、生き終えているのに終わってない矛盾が恋川こみちという病のはしっこ。

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