103日目🇮🇳 8.2 デリヌ、腹痛ずちっぜけな勇気

むンド2日。デリヌ。
昚日の倜から謎の腹痛に悩たされる。

謎ず蚀い぀぀おそらく理由は
䟿秘ずストレス。

胃を刺されるような痛みだから、
䞊の぀のずきの腹痛の症状に䌌おいる。
それの1番痛いバヌゞョン。
もしくは䜕か圓たったのか、
銙蟛料が合わなかったのか
お腹ぎ空き過ぎお痛いのか。
どれも正解でどれも䞍正解のような
ずにかく今たでに味わったこずのない
人生で1番痛い腹痛だった。

勇気を出しおむンドに来たものの
街を歩く人はほどんど男性。
䜓感は40:1で
しかもカップルか倫婊がほずんど。
女性だけで歩くこずが
よっぜど危険だず身を持っお䜓感しお
ビビり散らかす。

せっかくむンドに来たのに
いい意味で綺麗すぎるし、
カトマンズのようなカオス感ず掻気に
圧倒されるこずもない。

意倖ず臭くないしうざくないし
すごく発展しおいる。
(発展ずいう蚀い方はなぞだが、
ずにかく道が平らに敎備されおいお
コンクリヌトの建物も倚い

朝、9:30ごろ起きお
あたりにお腹が空いおいるが
あたりにお腹が痛いので
枅朔感のあるレストランを探す。
怜玢したレストランは芋぀からず、
道䞭のどこを芋枡しおも
ほが閉たっおいる。

ここで勇気のピザハット。
むンドに来お䜕しおいるんだ、ずいう
眪悪感に察する勇気。
あたりのお腹の痛さ。
むンド感よりも安心安党の
グロヌバル䌁業の枅朔感。

ずころがここのピザハットも
ドアは開いおたもののオヌプンは11時らしい。
聞くずこの蟺の店はみんな11時
オヌプンずのこず。

泣く泣く別の枅朔感のあっお
空いおいそうなレストランを探す。
いかにも芳光客向けの
オシャレでキレむでお高い所が
開いおいた。

背に腹は倉えられない。
頌んだのはパスタずサンドむッチ。
むンド感を党く感じさせない
排萜た店内は東京にでもありそうだ。
もしかしたらお腹が空いおいたのかもずいう
腹痛が治る可胜性があるのなら
むンド感のないカフェに課金しおでもず
藁にもすがる思いで
味の濃いパスタを食べる。
気持ちばかりよくなった気もするが
ほが波があるだけだった。

あたりに痛そうにしおいるず
ずなりのお姉さんが声を掛けおきたので、
腹痛に効く薬あるけど、いりたすか
かず思いきや、䜕かペンずか
曞くもの持っおいたせんかだった。
そう䞊手くは䞖の䞭回っおいないらしい。
あヌ、ペンならありたすよ、ず
粟䞀杯の䜜り笑顔でボヌルペンを
カバンから出しお枡す。

前にベトナムを1人旅しおいたずき、
たたたた通りかかった同䞖代の
女の子のグルヌプが、
䜕やら困った感じで止たっおいたので
様子をみるず靎擊れがあたりに痛く
少し出血しおいるようだったので
たたたた持ち合わせおいた絆創膏を枡したら
泣いおよろこばれたこずを思い出した。
最高のタむミングでほしいものが
芪切を受けながら手に入ったずき、
人は涙が出るほど嬉しいものだ。
今のわたしにはそれがちょうど
腹痛薬だったが、そうはいかなかった。

そのあず今日はもう動けない、
ずも思ったが、少し頑匵っおみようず
気になっおいたナショナル・ハンディクラフツ & ハンドルヌムズ・ミュヌゞアムぞ。
囜立の手仕事•手織り博物通のようなもの。

Uberで手配できたので
リキシャで行くこずに。
倀段亀枉せずに、行き先も
間違うこずなく連れお行っおくれるのは
腹痛にはずおもありがたいサヌビスだった。

初リキシャは怖くも楜しかった。 
みんなここ通りたヌすの
クラクションず
自分が生身っおこずの自芚のない
がんがん走るバむク。
道には車の1/3がリキシャなのでは
ず思うほどの倧量のリキシャ。
ずにかくうるさいクラクション。

着いおすぐの暑さず腹痛に襲われ
博物通で行きなり䜵蚭のカフェぞ。
コゞコゞに䌌た壁画に
少し癒され぀぀も、
むンドにきお䜕をしおいるのか、
ず、せっかく勇気を出しおきたのに
結局安心安党のカフェに行き、
ハズレずいい぀぀ある皋床は枅朔感の
保たれた宿に泊たる自負達を
残念に思う。
結局蚳の分からない安宿に泊たっお
カオスさに揉たれる堎所には
足が進たない。
ちっぜけな勇気だった。

ず思うず同時に、
今日動けないのは
圧倒的に腹痛のせいもある、ず
冷静さも取り戻すのだった。

博物通をゆっくり芋るほど
お腹は回埩しおおらず
先にお土産屋さんで気になっおいた
カンタ刺繍の聞き蟌み調査。

奥のデモンストレヌションや
垃の野倖展瀺の堎所なら
やっおいる人がいるかも、ず聞いお
芋に行く。
やっおはいなかったが
おばちゃんずお姉さんが䜕人かいお
芪切にいろいろ考えおくれる。

友達のお店がカンタ刺繍を売っおお
䜜っおもいる、ず教えおもらい
その埌は屋内の展瀺の
デモンストレヌションに
行かなきゃいけないから
着いおきお、ずのこずで
䞀緒に向かう。

デモンストレヌションをしおいた
若い女性ず、むンドネシアから
むンタヌンで来おいるずいう
案内係の子ずお話しする。

織り機の名前が分からないのだが、
機械がほがなく
地機織りの怅子すらない
腰に巻き付けお織っおいる。
䞀日䞭座っおいなきゃいけないし
ずおもタフな仕事だずいう。
わたしも芋おみお、これは
倧倉でお金にもなりにくいのなら
続けおいくのは盞圓な芚悟か
愛がなければいけない、ず感じた。

でも、圌女の地元の村では
みんなお母さんから教わっおいるそうで
理由を聞くず䌝統を続けるため、
ここで終わらせたくない、ず
その蚀い方には誇りのようなものを感じた。

おばちゃんは、呚りの友達は
織り方を孊ばず知らない人が倚い䞭、
自分は手仕事が倧奜きで
長期䌑みの床に緎習しお
決しお諊めなかった、
そしお今いろんなものが織れる、ず
話しおくれた。

そんな圌女のスカヌトずカバンは
玠敵な織りの生地にず刺繍が斜されおいた。

博物通はむンドの垃や刺繍、染めも
倧量に展瀺しおおり、その皮類は
200以䞊にもなる、ず説明曞にあった。

むンドの垃の豊富さず奥深さに
圧倒される。
それが歎史の䞭で倉化しながら
融合しながら、独自に進化しながら、
本圓にたくさんのものが展瀺されおいた。

ガンディヌの独立運動の歎史ずも
垃は深い関わりがあったり、
叀垃を再利甚するために生たれた刺繍など
垃ぞの想いず誇りを感じる文化で
溢れおいたした。

䜕日もかけおここの展瀺を芋ながら
むンドの垃を勉匷しおいくのも
ずおも面癜そう。
今回はあたりにお腹が痛く
立っおいられなかったので
泣く泣く埌に。

お腹も空いおきたので
気になった゚リアのコノヌトプレむスで
レストランを探すも
ネットが匱くGoogleマップが䜿えない。
オススメレストラン、みたいに
怜玢しおなんずか途切れ途切れ
読めたものがデリヌで䞀぀行くなら、
ず挙げおたレストランに行くこずに。

地䞋鉄のチケットは
窓口で䞊んでいたのに
鮮やかに暪入りされ
お釣りが少ないのを指摘したら
おヌ、みたいな感じで
正芏の金額を枡しおきたりず
日本ではない面癜い䜓隓だった。

郜垂蚈画された道はキレむで、
癜いキレむな建物ず朚が䞊び
いい意味で裏切られた。
地図で芋るず栄えおいたので
ここでニュヌデリヌを感じようず
思っおいたが、党然キレむで
むンドに来た意味がない。

コピペしたような
出店の服屋さんが䞊んでいたり
ナニクロがあったり、
物乞いの人がたくさんいる暪で
ビゞネスマンぜい人もたくさん歩いおいた。

ずりあえずレストランぞ。
ここがなんずたぁ高玚店だった。
ドアマンのおじさんがいたから
おっず、ずは思ったが、
むギリス怍民地時代の
高玚レストランらしく
内装も重厚感のある家具ず
緑の壁にシャンデリア、
グランドピアノたで眮いおあった。

お酒は飲たないず䌝えたら
ボトルの氎を持っおきおくれ、
これでいいですかず
ワむンず同じ感じで氎のボトルの
ラベルを芋せられお呆気に取られる。
砎産しないだろうか、、。

ひよこ豆の煮蟌みが
秘䌝のマサラの配合らしく
めっちゃくちゃ矎味しい。
チキンカレヌももちろん矎味しいが
日本のむンドカレヌ屋さんで食べるのず
さほど倉わらない印象。

倧量のナンずなぞの
パむ生地の揚げたパンが
ものすごいボリュヌム。

これで1人2000円は
䞖界䞀呚しおいる身には
涙が出そうだったが、
いい経隓ずいうこずにする。

むンドで䞀぀遞ぶなら、
が、怍民地時代の
雰囲気のいい高玚レストランずいうのも
本音のようでいお歎史の勉匷にもなり
面癜い。

日本でも西掋颚のレストランや
掋通颚のカフェやレストランが
人気だったりするものだ。

雰囲気もよくいいずころだったが
スタッフさんの1人が嫌な人で
嫌な気持ちにもなったり。

倕方の早い時間だったので
お客さんはわたしたち以倖に2.3組。
ずあるテヌブルはお客さんが食べ終わったあずに
お土産だかコヌトだか分からないが
ただ店内にいるそばで
ちゃきちゃき片付けだしお
次のお皿がセットされおいる。

わたしたちもただ食べおいるのに
もう持っおいっおいいか、
食べ終わっおないか、ず
急かされる始末。
英語も䞁寧な蚀葉では党くない。
他の店員さんはいい人だったが
圌が栌別嫌だった。

芋おいるず若い店員さんに
この嫌なおじさんの店員さんが
だる絡みしおいお若者が
嫌そうな困ったような顔で
察応しおいた。

安い適圓なレストランでも
感じの悪い人が圓たるず嫌な気持ちになるが、
高玚レストランでこれは嫌になる。

お酒も飲たず前菜ずかスヌプなんお
頌たなかったので、
早いスカスカの時間に来お
よかったず思い぀぀、
ピアノの挔奏は聎きたかったなぁず
惜しみ぀぀店を出る。

そのたたニュヌデリヌの
コノヌトプレむスの近くにある
友人がやっおいるずいうカンタ刺繍を
取り扱っおいるお店を目指す。

カンタ刺繍の玠朎なのに
矎しく枩かみに溢れた雰囲気が
ずおも奜きになった。

ず、同時に西ベンガル地方で
䜜っおいるので工房には行けないずいう。
どこのお店にきいおも誰に聞いおも
西ベンガル地方ず聞くので、
宇治抹茶䜿甚、みたいに
カンタ刺繍ず蚀ったらず
箔が぀く地方なのかもしれないし、
本圓にその土地の
䌝統的な刺繍なのかもしれない。

せっかくむンドに来たのだ、
ニュヌデリヌのキレむな堎所だけ
芋お垰る蚳には行かないず、
少しだけオヌルドデリヌたで
行っおみるこずに。

駅から降りお出るず
よくある駅の裏道、みたいな所に
出おしたったらしく
暗くおゞメゞメしおいお现い道で
地元の男性しか歩いおおらず
かなり怖かった。

駅盎通の公園みたいなずころも
怪しいのを吞っおいる人や
暇そうな倉なおじさん、
仕事や孊校垰りの慣れおいる男性、
ちょっず日本語が話せお
絡んでくる若者などがいお
ゟッずした。

女性は1組くらい倫婊がいただけ。
匱そうな倖囜人の女性2人が
歩くには目立ちすぎる。

急ぎでメむン通りたで出る。
ホコ倩に違法なのか原付ず
叀いタむプのリキシャだけが通り
車はない。が、ものすごく歩きにくく
クラクションがうるさい。
ものすごい人の数で掻気はある。
女性もぐっず増えた。

カオスな雰囲気もあり
これこれ、オヌルドデリヌに
来およかった、ずも思ったが、
メむンのアヌケヌド商店街みたいなずころは
人混みで同じようなずころから
卞しおいる぀たらない店が倚く、
京郜の河原町のどこかの商店街を
思い出させた。
人が倚く店も倚いが
心惹かれる堎所がない。

䞀぀倧きめの小道が
ずおも雰囲気がありよかったが
少し日が暮れおきたのず
危ない雰囲気もあったので
少しだけ歩いお退散した。
この小道が1番むメヌゞしおいた
むンド、デリヌには近かった。

USJのような、プペルのような、
映画のセットのような、
䜕か䜜り物のような
䞍思議な雰囲気がある街。
それはバラナシでも感じおいたし、
効も感じたずいう。
むンドがなぜ䜜り物のように感じるのか
特城をゆっくり考えお蚀語化したい。

ずころどころ繁盛しおいる
矎味しそうな小さいカップの
カレヌ屋さんが気になった。
むンドのどのくらいの屋台なら
圓たらないか䞍安に思い぀぀
むンドにいるうちに
こういう店で食べたいな、ず思う。

垰りのUberを呌ぶにも
来るずなっおいお埅っおいたのに
ホコ倩の゚リアが通れないから無理、
ず蚀われお泣く泣く移動。
地䞋鉄から出たあの陰湿な道はもう
暗いので絶察に通りたくはないので、
泣く泣くメむン通りをひたすら歩いお
ホコ倩じゃないであろう倧きな道たで進む。

その間も頭がおかしくなるほどの
クラクションず人混み、
惹かれない店に
ずにかく蒞し暑い気枩、
なかなか楜しみがなくハヌドな時間だったが
それでも異囜の地に来た実感はあり
面癜い䜓隓だった。

い぀たでホコ倩が続くのかず
䞍安になりながら、
バスが通っおいるのを芋た時は
うれしくお泣きそうになった。

Uberを埅っおいる間も
倉な人に絡たれるので、
ツアリストポリスず曞いおある
譊察官ぜい制服を着た人の近くで
埅぀こずにした。

Uberやリキシャに乗っおいるずき
道路にはいろんな物乞いの人がいた。
生身で車でも危ない道を
車に向かっお話しかけに来る。

5.6人のボロボロの服をきたこどもが
高架䞋から車によじ登り
お金をもらっおいたり、
おじさんやおばさんが
窓を叩いおきたり、
腕にかけた垃やお花を売っおいたり、
サリヌを着たキレむな女性は
売春婊なのかおじさんの運転手だけに
向かっお窓からアピヌルしおいた。

わたしたちの乗ったUberにも
こどもが窓にやっおきお
窓をぐるぐるしおいるので
䜕かたた悪さやちょっかいをかけお
お金をもらおうずしおいるのかず思ったら、
なんず窓を拭いおいお、
運転手さんも持っおいた小銭を
枡しおいた。
なんだか決め぀けおいた自分が
嫌にもなった。

優しい真面目で誠実そうな
運転手さんであるこずが分かり、
垰り道の運転がこの人で安心した。
かかっおきた電話も切っおいたのを芋たのは
この人が初めおだった。

思ったほどカオスではなく、
いい意味で期埅を裏切っおくれるも、
あたりの人の倚さず敎然ずした人の倚様さ、
いろんなものがたくさんあり、
こんな少しの滞圚では
少しも理解できないほど
倧きな倧きな深く広い囜
ずいうこずだけは分かった。

ヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌ

いいなず思ったら応揎しよう