金星に聞いてみた〜人間関係の悩みはなぜ起こる?〜
母です。久しぶりの「母の惑星と話してみたシリーズ」。
地球に生きていて、人と人との悩みというのは尽きないものです
家族のような身内から、社会の中の誰かなど、私たちは人と人という関係性の中で生きており、また、それが人間らしい社会でもあるかもしれません
良いと感じる時も嫌だと感じる時もあるこの他者との関わり方について、金星に話を聞いてきました
以下、金星とのやりとり↓↓↓
母:金星さーん こんにちは!!
(・・・ん?なんだかこっちの様子を伺っているわね
前回はダンスの装いで出てきてくれたけど、何か準備しているのかしら ふふふ)
金星:あらお久しぶりね
母:おおお!!金星さん!!どうしたんですか?何があったのですか?(仰天!!)
金星さんが・・・すごい体型が大きくなっている
金星:あら、どうしたの?
母:いや、なんか前にあった時と横幅のサイズ感がだいぶ違うなって思って。なんだか大きくなりましたね、横に。
私も最近、このご時世で引きこもりが多くて横に大きくなった気がするけど、金星さん・・・ケタが違うくらいのサイズ感あるんですけど・・・何があったんですか??
金星:うふふ
ところで、今日は何を聞きにきたのかしら??
母:あー、いや、人間ってさ、たくさんの人と一緒に社会を営んでいるじゃない。さっき友人と話していて、家族のこととか仕事のこととか、いろんな人間同士のすれ違いが一気に重なったってグチを聞いていたからね。人間関係、対人関係といえばやっぱりさー金星かな!!と思って。
人と人のことって悩んでいる人多いと思うのよ。悩んでいる人たちにメッセージがあればと思って!!
金星:そうだったのね
あなたがやってきた時から薄々感じていたわよ
母:薄々って(笑)そうなの。けっこう曖昧なセンサーね ははは!
金星:私が出てきた時、大きくなったって言ってくれましたね
どうしてそう感じたんでしょうか
母:え!そりゃあ前回は社交ダンス的な感じで、なんだけスリムでしなやかなのを見ていたから、今回はなんだかまたそれとはサイズ感というか、スケールが違うなって感じたのよ
金星:あなたが聞きたがっていた人間関係の話も、それと同じですよ!
母:ほお!
金星:地球には人間たちがそれぞれ出会うことで初めて「比較」という概念が生まれます
母:ああ!そういうことね、それは分かるわ!鑑定の時にもそういう話はしたことがあるわよ
ああ!だからか、わざと比較させるために大きなサイズ感で出てきてくれたのね笑 けっこう小芝居系なのね(笑)
金星:比べること、違いを感じることで、いろんなことが明確になっていくのですよ
他者という存在があって、その反応をみることで自分をいうものを推し量る、そんな作業をしているのです
他者から受けたエネルギーというのは自分らしいものとなってまたエネルギーを放つことになります
痛みという形で何かを受け取ったとするなら、それをまた自分らしい形でエネルギーの放出をすることになるんですよ
あなたはどんなエネルギーにしますか?
母:あー痛みを感じたとしたら、、そりゃあ同じように痛みを与えたらただの八つ当たりじゃない。かと言って、自分が落ち込んで寝込むことで解消しようとか、そんなの嫌よね
となると、自分らしい形でそれを放出したらいいってことかしらねえ
金星:そうです
人間は人と人という関係でいろんなことを学びます
もし他者の行動や痛みとして受け取って傷ついたとしたならば、その他者の行動から、あなたはいつもの平穏な状態は「痛くない」という状態であったのだと気づき、他者から刺激を受けて初めてそのような行動や発言は「痛い」という状態を作るのだと認識できるということです
そんな経験を繰り返しながら、人は自分の状態がどのような環境に置くとどのようなものになるのかという「変化」に目盛りをつけるように、大きさや量を認識することができるのですよ
母:自分だけの目盛りってことね!!すごい!!良い表現ね!さすが金星、素敵だわ!ほほーお!!
金星:他者から与えられた、嬉しいと思うことも、辛いと思ったことも
全ては誰かの何かのエネルギーの跳ね返りです
そうやって、誰かとエネルギーのキャッチボールをしながら、自分というものを確認しているのですよ
あなたが投げるから返してくれる
他者が投げてくれたから手に取るように状態を確認できる
そんな繰り返しなのです
母:なるほど、言葉のキャッチボールという表現があるけど、近いけど、そんな狭い世界の話ではないわね
金星:そうやって、互いに投げ合い、関わり合い、反応しあうことで、人間とはどういうものかを確認して、自己理解をしていくのよ
母:自己理解かあ。そうね。嬉しいことされて私もそんな人になりたいってやっぱり思ったことあるし、最低な人だなと思ってこんな人間にはなりたくないってまあ思うわね。
金星:そうやって人間に最低限必要なことを学び、そして、さらにそんな人間社会の中で、自分はどんなタイプの人間で、どんな力を発揮していくべきか、やりたいことややりたくないことがはっきりするのですよ
母:そうね、でもさ、逆に、人にあれこれ言われて自分が分からなくなったり、迷うとも言えるじゃない!
金星:そうですね、人間たちは他者から受けたものをうまく放出したり変換したりするのが下手な人が多いですね。
だから自分が分からないと言って迷子になる人が多いのですよ
母:ああ、うまく変換か。え、要は受け取るだけ受け取って投げずに終わって投げきれないほどボールでいっぱい?とかそんな感じ?
金星:良い例えかもしれませんね
他者から何か受け取ったらそれを自分らしい形で表現することで投げると良いでしょうね
痛みというもので受け取ったものは決してそのままではありません。
同じくらいの痛みを何か自分らしいエネルギーとして、自分が向かいたい方向へ進むためのエネルギーとすることです
痛みを痛みのまま誰かにそのまま投げることは簡単です
でも、成熟してくるにしたがって、受け取ったボールをそのまま返すのではなく、違う方向にしたり、投げ方を工夫したりできるでしょう
自分らしい形でエネルギーをパスすること、そんな過程すらも楽しむことができると良いですね
母:まあ、となると、結局は他者との関わりって、無人島に住まない限り(笑)普通、誰もがあるじゃない。
結局、他人ってさ、自己確認と、自分らしい自己放出?自己表現?の訓練のためにあるようなものね。
そうしたらさ、人に何かしてもらおうとか、、お門違いってことよね
金星:他者に何かしてもらおうというという発想は人間の特徴としてありがちです
誰もが一度は通る、通過点とも言えるでしょう
そこからもう一歩離れて、自分と他者との関係を客観的に判断できるほどになることです
母:うんうん、そうね
結局は人ではなく、自分で自分らしいエネルギーの投げ方をするということね
金星:他者というのは、自分の代わりをするものではありません
自分はあなた1人しかいないのです
そして、自分のことを理解して、自分らしく行動するのは他者ではなくあなた自身です
「自分らしさ」を自分で知り、自分らしいエネルギーの放出ができるようにするために他者が投げてくれるのですよ
自分らしく処理して自分らしい投げ方に変えて社会に放出することです!そのために人間たちは人と人という向き合いの中で生きているのですから
母:そうね、人とのことで思い悩むというスタンスよりも、何をその関係で気付くべきか考える方が建設的かもしれないわね。あとは、まあ、なんだろうなあ、
何かすべきは自分であり他者ではないということなのね、まあ分かってはいるつもりだったけれど、再確認って感じがしたわ!
人は何かしてくれるというよりも、自分への気づきの存在ということだものね。
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