1人のためにできることを
心境の変化……と、言えるほど大それたことでもないのですが。
少し前の自分の考え方と、変わってきたような気がする点を記録しておきたいと思う。
どういう人が、信用・信頼でき、応援したい・付いていきたいと思える人間か。
小さな子どもが作文に
「将来の夢は、誰かのために何かをできる人になりたいです。」
と、目標を書いていたら、それは全力で応援したいし、そういう人になれると良いねと願うかもしれない。
自己肯定感の成長過程にある子どもたちの目標なのだから、「いい考えだね」と応援してあげたくなるのは当然である。
一転。
これを、いい大人が言うと受け止め方がやや変わる。
前後の流れ次第では「この人、大丈夫かな」くらいまで思うこともあって。
何十年も生きてきて、「誰かのために何かをできる人になりたい……? 今までどうやって生きてきたん?」
もう、これまでの人生、好き勝手わがまま放題生きてきましたと自白してるように聞こえてしまうし、あるいは、子どものころに培っておくべき自己肯定感を置き去りにして、今もなお人から「いいね、頑張ってね」と認めてもらいたい可哀想な大人こどもなのだろうなと思う。
誰かのためどころか、たった1人のためにも何もできていない人ではないかとさえ思う。
【誰かのために何かをできる】って、子どもの夢を壊すようなことを言えば神の領域で、神にしか成せない業のような気がしていて、これって本来、人間如きが軽々しく言える言葉じゃないのでは……? って最近考えるようになった。
思想とは別で。胸の内に秘めて日々生きていることは素晴らしいこと。
だけども、言葉にしてしまった時点で失われる何かがあるように思う。
noteを始めた当初、似たようなことを言葉にして書いている自分もいるので、今、「ひーさんてどんな人だろう。」と、過去の文章を読まれると、「言ってること違うじゃん」と思われそうだけれど。
誰かのために何かをできる・できているということは、自分が思うことではなく他者からの評価あってこそではないかなと思っている。
誰かのために何かをやってますよ! ってアピールはどこにも感じないのに、「アナタのやっていらっしゃることって、人を笑顔にさせますよね〜! 凄く魅力を感じます!」って伝えたくなる人、存在に出会ったことはありますか?
もし、そういう人に、その気持ちを伝えたとき、「たった1人でもそう感じてくれる人がいて嬉しい、やってきてよかった!」と返ってきたら、その人「本物」だ! って思います(笑)。
私なんかはまだまだだなぁ。
これを読んでくれた人みんなに「いいね」貰いたいと思ってしまうから(笑)。
だから、考えが変わってきている私に対して「変わってしまって好きじゃない」と思う人がいれば「さよなら」と思ってしまうし(笑)、逆に「へぇ、面白いこと考える人だな」と思ってフォローしてくれる人がいればありがたいと思う。
今は、この状況どちらもが楽しくて仕方ない。
人間のココロって面白いなって思ってる。
そうか。自分に言い聞かせよう。
誰かのためなんかじゃなく
アナタ1人を笑顔にさせることができたら
その何倍もの人が笑顔になってるんだと思う。