♬魂年齢15歳。
中高生女子のパンツスタイルの制服をよく見かけるようになりました。
その光景から、自分の人生の中での全く関わりのない断片が、なんとなく今の自分に教えてくれるものがあるように感じ、記録しておこうと思います。
全く関連のない長編オムニバス自分語りとなってます(笑)。
音楽でもかけながらお読みください。
耳にうるさい方は最後に歌詞付きサイトを貼り付けておきますね☺️。
1. 義務教育を留年した彼(彼女)
中学2年生のときの話。
LGBTはもとより、性同一性障害という言葉すら馴染みがなかったころです。
同じクラスになった彼は、ガタイだけガッチリとした170cm以上ある男の子でしたが、心は女の子でした。
いつも女子と一緒、動きもナヨナヨしてスポーツも出来ない。
男子生徒からは気持ち悪いと言われ馴染めず。
名字が「〇〇間(〇〇マ)」という発音もあり、「オカマ」といじられていました。
姿を見たのは年に数回。不登校でした。
学ランが着られなくて、いつもジャージ。
そんな彼(彼女)はときどき、モデル体型の背の高い、女子の中でも大きな子のお下がりのスカートをはいてウキウキしてました。
一年のうち数回しか登校しなかった彼(彼女)。
なんと自分の意思でもう一度2年生をやって学校に通うと決めたのです。
同じ学年の生徒と馴染めなかったけど、一つ下の学年の子とならうまくやれると思ったのかな?
真相は分かりません。
でも、自分から今のままじゃダメだと思ったのでしょうね。
翌年から、別の色のジャージを来て登校していた覚えがあります。
現在、彼(彼女)がどう生きているか分かりません。
2. 1人にしないでくれた、くんちゃん。
これも中学2年のときの話です。
中学2年のころ、私は友達が1人もいないと思っていました。
最初に仲良くなった子の1人が、お父さんの仕事の都合でイギリスに行ってしまったのです。
もう1人仲良くなった子も、不登校になってしまって、ときどき保健室に登校していました。
私は毎日通っていましたが、とてもつまらなかった。
友達が保健室に来てるときだけ、休み時間に保健室で先生と3人でお喋りしていました。
昼休みなどみんなが校庭に出たり他の教室でお喋りしに行ったりする中、私は1人だけで教室にいました。
その様子に気が付いたのが、くんちゃん。
「具合でも悪いの?」「別に」「最近元気ないね」「別にそんなことないし」そんなやり取り。
やってきた先生に「2人とも遊びに出ないの?」と聞かれたくんちゃんは「ひとちゃんが最近ずっと1人で元気ないように見える」と話している。
「そんなことない! 好きでここにいる!」
くんちゃんは皆のところに遊びに行きました。
今思えば、くんちゃんは手を差し伸べていてくれたのに、その手を掴まなかったのは私だったんだと思います。
3. 高校3年間同じクラスだったcova氏
24歳のとき。
高校時代の同級生を亡くしました。
先天性の脳血管の奇形を本人も家族も知らないまま抱え、長年溜まった静脈瘤が破裂し、意識が戻ることなく……。
訃報を知ったのは当時やっていたmixi。
亡くなった同級生の彼女さんが、あれこれ検索して私に辿り着いたという経緯。
のちに勘違いだということが分かるのだけれど、同級生が高校時代に好きだった人が私だというのです。
住んでいる場所を聞いたことがあると。
私には全く身に覚えがないことではあったものの、とにかく周りの知り合いに伝えて欲しい、皆さんに最後のお別れに来てほしいという願いを聞き入れ、登録されている限りの友人に声を掛けて、また広めてもらいました。
聞けば、2人は数日後に結婚式を控えていたのだというのです。
楽しいことが好きだったから、なるべく多くの人に来て欲しいというのが彼女の願いでした。
言い方は良くないかもしれないけれど、とても彼らしい華やかな葬儀でした。
結婚式のために準備した花が散りばめられ、思い出の品々の中にウェルカムボードが並べられ。
24歳にして晩年というのも馴染めないですが、彼はファッションモデルをやっており、大手デパートの広告で駅前に貼り出されたこともあるような、そんな華のある友人でした。
高校の同級生だけでなく、卒業後の友人知人、業界関係者が本当にたくさん集まって、彼の人柄がよく分かる葬儀でした。
葬儀のあと、ものすごい喪失感に包まれ、数日間ずっと同級生らと悲しみに暮れてました。
ふと、「私が死んでもあんなに皆んな来てくれるかな」と発言した私に、いつもは穏やかなcova氏が「何言ってんだ! そんなこと言うもんじゃないし、そんなことあったら行くに決まってるだろ」と言ってくれました。
友達って、いつのまにか友達になっていくんだなって思います。
初めて会って挨拶を交わしたときから友達だよってないじゃないですか。
その後、あえて友達契約を結んだ覚えもない。
それでもcova氏は私の友達なんだと思います。
オムニバスはここまでです。
人って、少なからず誰もがみんな辛い経験や苦しい経験、悲しい経験をしながら、乗り越え、前を向きながら生きていくんだと思います。
その上で、誰かに話を聞いてもらうことで気持ちが軽くなることはあるかもしれないです。
だけど、聞いてもらうだけでは根本的な解決はなんにもしない。
エピソード1の彼(彼女)と、エピソード2の私。
自分を変えるために動いたのは?
分かりますよね😊。
周りにいる人はきっかけは与えてくれるかもしれないけど、助けてくれるわけじゃない。
助けることと、手助けすることは、似ているようで全然違うんだなって思います。
エピソード2のくんちゃん、エピソード3のcova氏。
私の根本は救えないけど、そばにいてくれた人。
いつでも手を取っていいよと差し伸べてくれる存在。
そういう人に私はこれまで感謝の気持ちを伝えてこれただろうかと思う。
今だってそう。現状の不満を汚い言葉で吐き出して、聞いてもらってスッキリ。
エゴでしかなかったと。
そばで話を聞いて、手を差し伸べてくれている人に気が付けているだろうか。
中学を留年した彼(彼女)は少なくともあの段階で、自分の中の問題点を自分で解決し大人への一歩を歩んだと言える。
私は……。「好きでここにいる!」のままなんだ。
私はまだ14, 15歳の魂のまま。
これじゃダメじゃんって、思います。
くんちゃんはね、今、超イケメンシンガーソングライターやってるし、cova氏もビッグバンドで演奏したり楽器指導したりしてる。
2人とも、人の心を動かす手助けしてる仕事についてる。
これも不思議だと思う。10代のころから、こういう目に見えないレールって敷かれてるんだね。
決してみんな順風満帆ではなかったけど、きちんと向かうべきところに向かってるんだ。
向かう方向、レールの位置を合わせていく軌道修正。
それは、自分で自分を変えていくということだ。
私は今、どっちの方向を向いているんだろう。