キオク・・・①
小さな頃、家の中が私の世界そのものだった。
少し成長すると、近所の公園や学校が私の世界になった。
思春期になると、30分先にあるショッピングセンターやバスで1時間ほど離れたところにあるPARCO、
これがこの街に生まれ育った私にとっての、大きな世界だった。
学校を卒業したら、PARCOの近くに住んで、
お洒落な人達と毎晩お洒落な音楽が流れるカフェバーで、誰かの歌詞に出てきたカルアミルクという甘いお酒を飲んで語らいたい。
まだ幼いながら『お洒落』という情報を、
自分なりにフル活用して眩しい幻想を抱いた。
しかし、ここは世に言う『地方』という場所だと、
20歳になる私は程なくして知る事となった。
2005年6月…
携帯電話はまだガラケーしかなかった。
[携帯は持たない主義]みたいなタイプの人は必ず周りにいた。
私たちは、インターネットがない事の方が慣れていた。
当時、私は大学で音楽を勉強していた。
学校の中では、クラッシックやジャズを学んでいたものの、
楽器の練習はそっちのけ、私はある男性DJに夢中になっていた。
私より一回り年上のその男性DJは、同郷出身でありながら、
若くして東京で大成功していた。
その頃、若者の間でクラブジャズが流行り初めていた。
飛びぬけたジャズ知識のあったその彼は、DJのみならず、音楽批評本での執筆・カフェ経営など、すでに大活躍していた。
ウブだった私は、好きなROCKバンドのライブしかまだ参加経験がなかったが、大学にもなると次第に『夜×音楽×お酒』といった大人の匂い漂う魅惑の世界に興味が一直線に向かった。
音楽好きなら誰もが一度は足を踏み入れたいと思う世界ではないだろうか。
私が目にした光景は、薄暗く照明が照らず箱の中、
大人達はアルコール片手にJazzyなリズムへ身を任せていた。
彼を初めて見たのは、まだ行き慣れないクラブジャズイベントだった。
DJブースで彼の流す音楽に釘付けになった。
私には、スポットライトが彼だけに当たっているように見えた。
あの幸福の中で音楽を楽しむ彼の動きや選曲を、私は終始見つめた。
瞬きすら惜しかった。
今でも、記憶の中であの光景が蘇る。
こんなにも音楽が素晴らしいと思えたDJパフォーマンスは、人生でこの人が初めで最後だ。
イベントの翌日、私は熱意冷めやらぬ間にファンレターを書いた。
選曲の素晴らしさや彼が作り出した空間について、ただ黙々と感想を書き綴り、気付けば5枚になっていた。
『あなたの選曲とレコードを回す様、本当に最高でした』
その時の私は、まだ二十歳になったばかりだった。