映画「オスカー•ピーターソン」
華の金曜日、仕事終わりいそいそと
都内から大好きな横浜へ電車移動。
伊勢佐木町の「横浜シネマリン」へ、レイトショーにて鑑賞してきました。
オスカー•ピーターソン
生誕100周年
オスカー•ピーターソンを知らない人も、知ってる人も、誰もがオスカー•ピーターソンの魅力を知れるドキュメンタリー映画。
私は残念ながらオスカー•ピーターソンよりうんと後に生まれたため、彼の存在を知ったのは彼が亡くなる数年か前のこと。
当時、私のジャズピアノ門下の先生が彼の大ファンで、毎日講義中出てくる名前が《オスカー•ピーターソン》だった。
(今思えば、講義で出すには次元が高過ぎて辛かったが、先生が敬愛していた事はよく分かる)
映画の内容は、オスカー•ピーターソンが、カナダでどんな風に生まれ育ち、鍵盤と出会い、独自の天才的テクニックについてはもちろん、アメリカでスターになっていく過程など。
そして、差別問題や家族愛。
当時の映像も多く盛り込んであり、ここまで臨場感とともに、オスカー•ピーターソンを色んな角度から総体的に知れたのは初めてだった。
映画を観る前は、テクニックの凄さに圧倒され、ジャズピアノを超越した神様みたいな人!という人物像だったのが、映画を観終わって新たに感じたのは、彼はきっと周りを魅了する人柄でもあったんだろうな、ということ。
映画とは別の話だが、ジャズピアニスト秋吉敏子さんの記事で知ることになったこんなエピソードがある。
〜彼は10代から病気のため、手の痛さを我慢して演奏することが度々だったが、その事実は1975年まで人に漏らさなかった。それほど、芸術家としてプライドが高く、プロに徹していたことがわかる〜(秋松宮殿下記念世界文化賞記事より)
劇中では、このエピソードに触れていないのだけど、別の出来事で、68歳の時脳梗塞を発症し周りからの指摘で、やっと病院へ行き療養する事になった出来事が出てくる。(オスカーは一線を退くつもりだった様だが、後に復活)
誰が見ても、生まれ持った才能に恵まれている印象が強いが、彼の中では幼い頃から、絶対にピアノでやり抜くと決め、プロとして弾き続けるプライド、そして、人生の最後までその姿勢を崩さなかった事が強く伝わってきた。
それが、人間の並大抵レベルではなく、もう生まれる前から、魂レベルで決意してたんじゃないかとさえ感じてしまった。
起きたらピアノ
寝てもピアノ
昼もピアノ
わざわざ他人へ論するのではなく、武器を持ち戦うのでもない、静かに柔軟に、そして優しく、表現し続ける意思と強さに、感銘を受けてしまう。
そんなオスカー•ピーターソンの一面も初めて知れる事となり、心が温まる時間となった。
オスカー•ピーターソンは「ジャズピアノ」で、世界中のどれだけの人々を笑顔に変えてきたんだろう。
最高の金曜日。
温かい幸福感や高揚感みたいな、そんな感覚に包まれて、結局朝方まで眠れなかった。