音楽と大学生活⑥
『東京へ行きたい・・・』
あの日以来、気付けばいつもこんなことばかりを考えていた。
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私が入学した音楽大学は、地方の小さな大学ではあるものの、
周りの学生は幼少期から一流講師のもと戦ってきた音楽エリートばかりだった。
母『親の金をなんだと思ってんの?音楽はもう大学までにしてちょうだいよ!ウチにはこれ以上アンタに払い続けれる金なんかないから!!怒』
いつの日か、木村拓哉と山口智子のロングバケーションという恋愛ドラマが流行った。あれが将来の音大ライフだと思っていた。
が、しかし・・・。
現実は、経済的な問題、更には、音楽への情熱の欠如、、、明らかに怠けた学生生活を送っている私と母の激しいバトルは毎日繰り広げられた。
周りの同級生たちが、卒業後の就職・大学院進学と将来を決め始めたある日。
私の師であるジャズ講師が、最初で最後の個人メールを携帯電話へ送ってきた。
『 【才能とは、悩み続けるも】
このゲーテの言葉を今のあなたへ送りたいと思います。』
進路相談もなく、突然単位を落としまくる私があまりにも苦悩しているように見えたのだろうか。師からの「音楽を簡単に諦めないでほしい」という愛情のようにも感じた。
(後に、ゲーテのこの言葉を調べるたのだが、結局見当たらなかった・・・)
このジャズ講師は、変わり者が集まる音大講師陣の中でも上位に君臨する中年男だ。
奇しくも私は彼の門下生となった。
クラッシック勢が明らかに強いウチの大学は、
仕立ての良いスーツ姿の男性講師や、サテンワンピースに香水がほんのり香る女性講師・・・99%がこの様な風貌の中年講師で形成されていた。
そんな中、私の師匠はヨレヨレのポロシャツ2.3枚のルーティン。
朝9時開始の講義に当たれば、二日酔いの臭いを教室中に放つ。
アウトロー臭までもが含まれる事一目瞭然。
言わずと知れたアンダーグランド育ちの音楽家だ。
先生は、周りの講師人に加え生徒からも好奇な目で見られ、笑い者になっている事を私は知っていた。
しかし、私は先生を一度も笑った事がない。
当時はまだ、音楽×アーティストというビジネス感覚の欠如した世界を選ぶ私たちに、先生のピアノレッスンは、音楽のみならず、人生について、遠回しに教えてくれているかのようだったのだ。
特に、私は先生の小話が好きだった。
先生が鍵盤を学んだのは、もちろん、すべて耳からだった。
レコードで、繰り返し音の世界のルールやリズムの種類を覚える。
カセットテープはもっと後に出来たと教えてくれた。
先生はまだ十代のころ、まだ地方にも多く存在したキャバレーやジャズバーでこっそりバイトのピアト二スト君として働いたそうだ。
先生『生活費と学費を充分稼いだもんだよ・・・
キャバレーではね、ビックバンドがいたんだよ。奴らはベテランばかりでねぇ、俺はヘタクソで生意気なガキだったから、ピアノの俺には一言も合図せずに意地悪にバンドは演奏始めだすの。
そうすると、俺は慌てて弾くんだけど、たまについてけなくて音を外すの。
それがバレると、奴らは客に見えないように俺に蹴り入れてくるんだよ。
『ちげぇーぞ!ヘタクソッ!』って。
何度も後ろから蹴られて鍛えられたもんだ。
そうやって鍛えられたお陰で腕は上がったし、ジャズの名曲は嫌でも覚えた。リクエストされて弾けなきゃクビだからね。
アンタ達、学校の数年程度でジャズを物にしようなんて始めから思うのはやめなさい。もっと気長にやんなさいよ。まだ俺の半分も人生生きてないんだから。』
講義中に何度も聞かされるこのエピソードに、私はいつも心打たれた。
そして、こうも思った。
私もその時代に生まれたかったなぁ・・・
他にもこんな事があった。
先生はオスカー・ピーターソンの大ファンだった。
先生の講義は、何かとつけてオスカー・ピーターソンの超絶テクニックを真似しながら、私たち学生ジャズ初心者へ向けて解説をするのだが、このテクニックが凄すぎるが故に、素人には逆に理解を難しくする。
なぜなら、音楽理論を越えてしまうからだ。
更に、先生は演奏に夢中になり、即興演奏はいつも数十分と暴走するのがお決まりのパターンだ。先生が没頭し始めると、若い学生達は、クスクス笑いだすのがお決まりだった。
もしも、先生が一途にビル・エヴァンスファンだったら、違う講義になっていたのは間違えない。
人生の大半がジャズピアノを占める先生にとって、
追求し続けた集大成モデルが、きっとオスカー・ピーターソンなのだろう。先生が解説するジャズの偉人の中でも、オスカー・ピーターソンだけはそれだけ特別感が否めなかった。
私はそれはそれで良かった。時代や経験というのは、欲しくてもお金では買えない物だ。それを見せてくれる先生と出会えた事は、とても幸せだった。
しかし、足の小指にも及ばぬ技術に感動しながらも、心は冷静に思ってしまった。
私が今から努力したところで、将来何になるのだろうか・・・
私、このままでいいのだろうか。
先生は真のアーティストだ。
今、目の前でピアノに夢中になる先生は、残念ながら決してダンディーさなどは漂ってない。
しかし、先生の音からは、昭和のキャバレーの喧騒やジャズバーの照明、女性の華やかな笑い声まで・・・そんな数々のストーリーが映像としてキラキラと見えてくるのだ。
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私は、自分が音楽に向いていない理由を探す達人となっていった。
ハイレベルな技術がある訳じゃない。
作曲は出来ない。
音楽教室の可愛い先生になるか・・・?、
うーん、残念ながら全く興味が湧かない。
音楽大学の練習室は、毎日が争奪戦だった。
学生達は早朝から日が沈むまで練習室に籠り、フラフラになるまで楽器と向き合う。
唇を腫れ上がらせながらも吹き続ける
手に湿布を貼りながらも弾き続ける
何のためにやるのか
どこへ向かっているのか
みんな、自分とひたすら向き合い
みんな、音楽を愛していた
私は、次第に学校の仲間からは離れいき、自分からも逃げ続けた。
『音楽を愛している』という自負はあっても、未完成の自分を直視する事はとても恐ろしいことなのだ。
そんな感情に蓋をするように、気になるライブやイベントを見つけては、夜な夜な小さなネオン街を彷徨う。
自分以外の誰かが、
私の行き先を代わりに見つけてはくれないだろうか。
あの晩の出来事を境に、私は私の内側ではなく、私から遠く離れる外側へ、勝手な夢と期待を持つようになっていった。
目的を持たない大学生活は、あっという間に終わりを迎える。
さて、私は何をするのか。
音楽しかやっていない私は何者になれば、
社会という世界で生きてゆけるのか。
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『・・・そうだ、私、音楽ライターになろう!!』
卒業してからすでに数か月経った梅雨の季節のことだった。