『ジョー•ブラックをよろしく』とトーマス•ニューマンの音楽
あっという間に、時期外れの話なりますが、
私の大晦日のスケジュールの一部になりつつある映画鑑賞について。
(コーヒーショップを出てからのシーン、大好き♡)
映画「MEET JOE BLACK」ジョー・ブラックをよろしく
繰返し観ているので、映画のストーリーは分かりきっているし、小難しい映画じゃないのに、一昨年みた時と去年とでは、一年の時間が感動の度合いを変えてしまう。(2回目以降の方が号泣)
この先、歳を重ねる事に観る感動は、きっとまた違った深みを味あわせてくれる映画なのじゃないかと思わされる内容。
私のお気に入りの鑑賞方法は、大晦日12月31日の24時前終了に合わせて、内容を味わって味わって味わい尽くして観ること。
私的に、これが本当に良きなのです。
若かれしブラッド・ピットとヒロインのクレア・フォーラニの美しさにも、もちろんウットリしながら、物語をじっくり噛み締める。
1年を終えるこの日(大晦日)だけは、その年の全てから解放される様で、ホッとする。だけど、1年を終える事は自分も歳を重ねる事になる。
これまで崩れなかった目尻のアイラインが崩れやすくなったり、滅多に生えてこなかった白髪を定期的に見つけ、大ショック。
目に見える小さな変化に、感情をゆさぶられる事もあるけれど、1年を生きるというルーティンの様でいて実はそうじゃない日々の積み重ねが、この映画を観ていると、前の年には気付けなかった「あの人の気持ち」や「自分の気持ち」、時間を重ねて生きるからこそ新しく知る感情に、ふと気付けたりして、また次の1年を大切にしようと改めて感じながら眠りにつく。
そして、映画を引き立てるトーマス•ニューマンの音楽について。
こんなに物語へ感情を引き込ませる事のできる音楽、どうやったら生み出せるのだろう。
「喜び」「怒り」「幸せ」とか、パンチの効いた力強い感覚って、表現に表す側も受け取り側も、シンプル・ストレートで分かりやすい事が多い。
だけど、「切なさ」とか「哀愁」「物悲しさ」「やり切れなさ」「(単純ではない)恋や愛」、淡い色で目に見えにくいもの。他にも体験しないと掴めない様な分かりづらいもの。
同じ環境下や時間軸で共同生活してたら、多少は共有しやすいのかもしれないけど、年齢や経験値によっても捉え方や感じ方は変わってくる。相手に感じて分かってほしくても「要点とメリットだけ教えてよ」みたいな姿勢の相手との会話では、全然伝わってない事はよくあるし、国が変われば、更に日本語にある感情を表す言葉自体がなく、戸惑った経験が多々ある。
「言葉にし難い感情の美しさ」といった部分を音楽で表す事が出来る素敵な人だと思う。
映像がなくても、彼の音楽を聴くと、まるで私が映画の主人公だったかのような錯覚になれるし、現実に目をやっても、自分が自分の人生の主人公だったことを思い出させてくれる。
特に私が好きなのは、オーケストラの優しい音色が使われている楽曲。
オーケストラ経験はないもので、どう表現していいのやら分からないけど、届いてほしい欲しい心の「そこ」の部分に、欲しい楽器の優しい音色とストリングスのハーモニーがタッチしてくる。
私は言葉から離れたい時、「ジョー・ブラックをよろしく」「若草物語」「アメリカン・ビューティー」の音楽に、浸らせてもらう事しばしば。
映画を映像で堪能したのち、目に視えない音楽をしっかり堪能する事もとても幸せな気持ちにさせてくれる。
タイトルに戻りますが
内容、音楽ともに、とても愛おしい映画。
追記 ルイ•アーストロングの「What a Wonderful World」が入る場面もとても良きです。