【開催報告】「世界は贈与でできている」読書会第7回・第8回
2024年4月11日、
「世界は贈与でできている」の読書会をしました!
開催報告が、2回まとめてになってしまいすみません💦
5月14日(第7回)イベントページ
6月11日(第8回)イベントページ
第7回から、新しいかたが参加してくださいました。
ありがとうございます!
ファシリテーターの本田さんも
いつも本当にありがとうございます!
読書会はいつものように、
輪読⇨ジャムボード⇨対話、という流れで行いました。
第7回のジャムボードはこちら
これまで、著者の方の言語ゲーム、
いわばまわりくどい言い回しに翻弄されまくってきた私たちですが、
第7章はわかりやすくてよかったですー!!笑
最初に、「贈与」をこの本でどう定義しているのか、
復習から始めました。
この本での「贈与」は、
「僕らが必要としているにもかかわらず、
お金で買うことのできないものおよびその移動」
あくまで「贈与」をこう定義することを前提にしているのですが、
読んでいるうちにだんだんそれを忘れて、
自分の思う「贈与」に引き寄せて考えてしまうんですよね。
ここに立ち戻らせてくれた本田さん、さすがー!
対話では、こんな発言がありました。
なぜこの章はわかりやすいんだろう?わかりにくいのがデフォルトになっているから、わかるっていうアノマリー!?
わからないながらも読み進めてきたのが、下地になって、わかりやすく感じるのかな?
いいこと言ってやったぞ、のしたり顔イメージw
映画「ペイフォワード」の話は納得いかない・・・
7章まできても、プレヒストリーうんぬんの話は納得できない。
相手を思ってやる行動が必ずしも相手にとってよいとは限らず、わからないまま、はじめる場合もある。トレバーくんもそういう感じで始めている。
なにかを始めるが、うまくいかなかったらやめる、という場合に、「あなたがはじめたことでしょ、責任とりなさい」と言われることがある。つまり、最初の人になることにはリスクがある。疲弊する。そう考えるとわかるような気もする。
あなたが「ある」と気づいたことは?⇨逸脱的思考ができているか
昭和生まれで、競争が当たり前だと思って生きていたが、ここ10年以上は競争には意味がないと気がつき、競争心もなくなったと思っていたが、最近、それが強烈に残っていると気づいた。ないと思っていたけどあった。
週に1回、子どもたちに、自分のやったことを観察するジャーナリングを書かせている。ある子が、「中身のあることを書きたいなぁ」と言った。そこに、「中身があることを書いた方がいい」という無自覚な思い込みの存在があることに気づいた。「中身がある」ってそもそもなんだろう。
自分の「欲」の存在に毎日のように気づいている。
軽い脳梗塞のあと、階段を意識しないと足が動かないという経験をした。これまで無意識でも足が動いていたんだという気づき。
「老い」って、あったものがなくなっていくことに気づく過程
今回の対話では、引用されている映画「ペイフォワード」の
映画自体の内容や、
ここでの引用の仕方にいろいろと疑問が飛びかった回だったので、
次回までに、本田さんが映画「ペイフォワード」を観てきてくださるという
セルフ宿題宣言をして、第7回を終えました^^
第8回のジャムボードはこちら
というわけで、第8回。
まずは、映画「ペイフォワード」について意見交換。
本田さんのほかに、もうひとりの参加者のかたも観てきてくれて、
でも参加者のなかには観ていない人もいるので
ネタバレに気を遣いつつ、、、、という感じで。
結局、映画自体はどうなの?オススメなの?という質問に対しては、
「映画自体はオススメ。ラスト以外は。
ラストはちょっともやっとする。」
という意見が多かったようです。
そして、
「この本へのとりあげかたはちょっと微妙。」
「違うところを取り上げたほうが良かったんじゃないか」という意見もありました。
(私は観ていませんがw)
気になるかたは、映画、観てみてくださいね〜
第8章に関する対話のほうは、こんな感じでした。
・ちょうど今日、大規模停電があって、信号がとまっていた。交差点に警察が来る前でも、意外にいい感じに交互に通っていて、事故おきていないのがおもしろいなぁと思った。信号がないと、運転手の人柄・人間性が出てくる。
・みんながアンサングヒーローだと書いてあった。東日本大震災のとき、生活インフラの工事を終えると、住民から感謝が伝えられることがあった。あの瞬間に、この仕事をしていてよかったなと思った。当たり前なことをありがとうと言われる瞬間。一瞬ヒーローになったような感覚だった。
・たくさんのアンサングヒーローが生活を支えている。
・読んでいるとき、アンサングヒーローって、自分自身で思うものなのだろうか、自分で思った瞬間に打算的で、アンサングになれていないのではないかという気がしていた。でも、ここでの対話を通して、やはり行為者が思うんじゃなくて、受取手が思うものだと思った。
・(本に出てくる)アリの穴を埋めたひとと、インフラを支えてくれている人は違うような気がする。アリの穴を埋めた人は、それが誰かのためになると思ってやっていないが、インフラを支えている人は、人の生活を支えている意識はあるのではないか。
・見返りを求めた時点で、アンサングヒーローではないように思う。
・想像力や観察力をはたらかせて、受取手が気づけば、ヒーローがいるということに気づける。
・誰もがアンサングヒーローになろう!ではなくて、気づいたらそうなっているかもしれないもの。自分がヒーローであることに気づかなくていいということでもなく、気づかれないことが美徳ということでもなさそう。できれば受取手も、ヒーロー側も、気づけたほうがいい。
・本では、いくつかのレイヤーの話がいっしょくたになってしまっているように思う。
・無数のアンサングヒーローがいたといっているので、定義もいろいろでいいんじゃないか。
・本のサブタイトルに「資本主義のすきまを埋める」という言葉がある。資本主義は、基本が交換でお金のやりとりが発生する。そのすきまには、報酬がない。報酬どころか、感謝さえもらえない。だけど大事なもの。資本主義がとりこぼしちゃうもの。それが贈与?
・受け取った人がその贈り手をアンサングヒーローだと思う、という感じ。受取手が贈与を成立させる。
・アンサングヒーローがいるから気づけよ、って著者は言いたいのか?
・家事をする立場から言うと、なんで洗濯物が勝手にタンスに戻ってきてると思うの?なんで、ごはんが自動で出てくると思うの?見てたらわかるでしょって思いがち笑。
・見ただけでは気づけない。想像力を働かせないといけない。
・「復活の日」のスミルノフ教授は、なぜ「もっと早く気づけよ」って言えるのだろうか⇨これは明らかに小松左京が読者に向けて言ってるんだろうね
・シーシュポスの「すべてよし」ってどういう感覚だろう?
・定常ではなくなったときに、いらだってしまう。そのとき、怒りはなにから生まれるのか。その怒りとどのようにつきあうか。確かに自分から生まれているけど、トリガーは自分じゃないが、怒りも贈与のようなものかも。怒っている自分を受け取る。自分で折り合いをつける。
・安定つりあい、不安定つりあいについて説明されているが、実は社会には、不安定つりあいが多い。それを支えている人が多いことが意識されていない。自分はそれを気づきたいと思った。実績のない人とか、明確に言語化できないことをやってきた人が、もっと注目されていいと思っている
いや〜、しみじみと考えさせられますね〜。
いつも時刻通りに来てくれる電車が遅れたり、
突然停電したりすると、つい苛立ったりもしてしまいがちですが、
逆に普段は気にもしないくらいに恩恵を享受できているってことに、
思いを馳せて感謝できる人になりたいものですね。
ところで、
第7章、第8章で出てくる「夜が明けたら」という小松左京さんのSF小説を読みましたが、本当に怖かった・・・。
ある日突然、地球の自転が止まるっていう話です。
短編ということもあって、なんの救いもなく終わってました・・・
それがめっちゃ怖い!
でも、いろいろ調べてみたところ、
もし地球の自転が突然止まったら、
夜が明けないとか、それでだんだん寒くなるとか以前に、
止まった瞬間に時速数百キロでみんな東に飛ばされて死ぬそうですw
なので安心してください(?)笑
さて、とうとう次回は最終章!
「贈与のメッセンジャー」
7月9日(火)19:30-21:30です!
完走できそうなのも参加してくださったみなさんのおかげです!
本当にありがとうございます^^
第9回の詳細・お申し込みはこちら↓
https://torus-donation09.peatix.com/