「#生きがいがない」ただぼーっと生きているだけな気がする…。と悩んでいる「#30代独身男性」へ
毎日同じことの繰り返しでたのしくない、そんな毎日が辛い、生活に張り合いがない、楽しみがない、喜ぶことがない、ただぼーっと生きているだけな気がする。
生きがいがある人が輝いて見えたり、うらやましく思えたり、時には妬んでしまったり…。心の中にそういった感情が生まれると、生きることに憂鬱になってしまいますよね。どのようにして生きがいを見つけたらいいのかご紹介します。
いつもと違うことをしてみる
生きがいがないと嘆いている人に多いのが、何もする気が起きないため行動力やものごとへの好奇心がなくなってしまっているということです。今までと同じ日常を過ごし、自分が何も変わらないまま自分の周りで勝手になにかが発生し、それにより自分自身が変われるということは絶対にないということはありませんが、なかなか起こることではありません。
「めんどくさい」や「どうでもいい」という気持ちを一旦こらえて、いつもと違う行動をとってみてください。例えば、
「いつもと違う道を通ってみる」
「飲食店にいったらいつもと違うものを頼んでみる」
「自転車に乗って通勤してみる」
そんな些細なことでも良いのです。そういったいつもと違う行動をする中でいつもと違うものを目にした時にそれに対して好奇心を抱いてみてください。それが次の項目に続きます。
新たな発見をする
いつもと違う行動をとり、今までとは違う光景を目にした時にその物事に対して「興味をもつこと」が大切なことになります。興味がないと思っても無理やり興味を持ってください。
少しでもなにかに興味を持つことで視野が広がり自分の世界がひろがります。ひろがった自分の世界の中で自分の知らない自分に気づくこともあります。
どんなに小さな発見であってもその発見が次の発見につながり、じわじわとあなたは自分の世界をひろげたり、豊かにすることができるようになります。
ひとり旅をしてみる
これも自分の視野をひろげるためにおすすめする方法です。自分の知らない土地、知らない風景、その土地で生活するひとたちを目にしたりふれあったりすることは新鮮で刺激もあります。
人と接することが苦手な人は無理にふれあう必要はありません。ただ眺めているだけでも「興味」をもてばそれはあなたの世界に入りなにかしらの変化を招いてくれます。
海外に旅行すると価値観が変わるという話をよくききますし「自分探しの旅」という言葉もよく聞きますよね。もちろん旅は海外や遠い県外でなくても構いません。小一時間という近場であっても知らない土地に足を踏み入れてみてください。それもひとり旅です。
夢中になれることを探す
自分たちがまだこどもの時には「生きがい」といった言葉については全く考えていなかったはずです。単純なことを楽しめたり、夢中になれるという気持ちを成長の中で忘れてしまったり、欲望が大きくなってしまっているため「生きがい」というものが大人は欲しくなってしまうのかもしれません。
ぜひ、こどもの時の気持ちを思い出してみてください。子供の頃、あなたがなにが好きだったのか、何に夢中になっていたのか、それはどうしてなのか。思い出の中になにかヒントを見つけられるでしょう。
日々の生活の中から自分のたのしみを見つける
毎日のルーティン生活の中で、自分のたのしみを見つけることもできます。人間の最大欲求は「睡眠欲」、「食欲」、「性欲」といいますが、寝ること、寝て夢を見ること、食べること、アダルトビデオを見る、マスターベーションするなどそういったことも「たのしみ」のひとつになりますし、それを生きがいとしている人だってたくさんいます。
とても悲しいことですが、人の悪口をSNS上に書いたり、人に意地悪をするといったことをたのしみとしている人もこの世の中少なくありません。人に迷惑をかけることや嫌な思いをさせることをたのしみとしてしまうような人間にはならないでくださいね。
まとめ
生きがいという言葉の意味は、「生きることの喜びや張り合い、生きる価値」といったものです。しかし、その意味をそのまま捉えてしまうと、
「たのしいこと」
「うれしいこと」
「力を尽くすこと」
「自分が必要とされること」
などの「生きることに対する見返り」のようなものをイメージして、それがないと人生がつまらないのではないかと思ってしまう人がいます。実は決してそういった見返りばかりが生きがいではありません。
生きがいがないということに思い悩んでいて、どうしても生きがいが見つからないということであればぜひ「満足して死ぬこと」をあなたの生きがいにしてみてください。
「生きがい」を思い悩んで見つけるよりも「満足して死ぬにはどうしたらいいのか」こちらを考える方があなたの欲しかった答えが見つけやすくなります。生きることにおいて大切なことは「生きがい」よりも「生き方」ではないでしょうか。あなたもそう思いませんか?