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「性上納」という言葉に、27年のフリーランス人生で負った心の古傷が刺激されて。
「なんで、こんなにエネルギーが枯渇していんだろう」
仕事始めの頃から、心に違和感を覚えていた。たっぷり寝ているし、食べてもいる。昨年末に大きなストレス要因から解放されたので、精神的に疲弊するような出来事も起きていない。風邪もひいていないし、肉体的にはいたって元気だ。なのに、とにかく気持ちが晴れない。「やらなくてはいけない仕事」をこなすだけで、ぐったりと心が疲れてしまう。
新年早々「旧交を温める会へのお呼ばれ」「気兼ねない会食」といった、元気になる機会も何度かあった。それらの会は楽しみだったしその後、2~3日は比較的元気だった。でも「何もしてないのに、急に充電が激減するスマートフォン」のごとく、エネルギーが枯渇する。そんな日々が続いていた。
「2025年はnoteの投稿をするぞ!」と張り切っていたのに、それもままならない。自分が空っぽで何も出てこないような気がするし、書きたいことも浮かばない。
1月17日を過ぎると会う人が必ずといっていいほど、お台場のテレビ局のことを話題にするようになった。元アイドルが芸能界を引退する、と表明するとその話題も増えた。
そのたびに心が沈むくせに、ネットニュースで関連記事に目を通してしまう自分がいた。ちなみに、テレビを持っていないのでニュースはだいたいネット経由である。
「そうやって、成功した女性もいるからね」という知人の言葉に、「あっ」と思わず声が出た。
どんなニュースもそうだけれど、全ての人が自分なりの「意見」を持っている。ある程度、年齢を重ねた人たちは「性上納」について「そうやってチャンスをつかんで、成功した女性もいる」ということを口にした。「いるだろうね」と相槌を打ちながら、私の心の中にはグレーがかったモヤが広がった。
その「モヤ」の出どころを突き止めようと、しばし思考を巡らせていたら「あっ」と思わず声が出た。
もう普段は気にもならなくなっていた、心の古傷が今回の一件で刺激されて痛んでいるのだとやっと気づいたのだ。
私が古傷を作った原因の出来事は、幸いなことにすべて「未遂」である。しかし、未遂とはいえ遭遇してきた期間も長く、回数もそれなりに多かった。
「チャンス」というニンジンをぶら下げられて、それをつかもうとすると「分かっているよね」と腰に手を回される。
「〇〇さんを紹介する」とか「本を出版しないか」「あなたの仕事になれば」という言葉から始まり、顔合わせや打ち合わせが行われた後で会食がセッティングされるというのは、もはやテンプレートである。
「分かっていない」私は、「そういうつもりではないので」と、腰に回された手からスルりと逃げてきた。仕事柄、いつでもテープレコーダーを持っていることを匂わせて、けん制したことも一度や二度ではなかった。
諸悪の根源は「チャンスを与える見返り」が「性」という、歪んだ認知。
日本はジェンダーギャップ指数が146ヵ国中、118位(2024年)である。分野別では経済123位、政治138位、教育47位、健康59位。ビリから数えたほうが早い、経済と政治が総合順位を押し下げている。
そして、その原因には「チャンスを与える見返りとして、女性は性を献上するもの」という、歪んだ認知があると思う。
どんなに優秀であっても「性」を納めない限り、そこで見限る。それどころか「あいつはダメだ」「何も分かってない」という評価を一方的に下される。「ダメ」「分かってない」のはその「性を献上するというしきたり」に対してのみだというのに。
実際に性を搾取されてしまい、深い傷を負った女性もたくさんいることだろう。致命傷に達するようなケースが存在することも、想像に難くない。
私の古傷は数多の「擦り傷」「かすり傷」である。皮膚に擦り傷やかすり傷ができても、1度や2度なら皮膚は再生する。けれど、同じところを繰り返し傷つけたら、明らかに健康な皮膚とは違う見た目になってしまう。それと同じような傷が、私の心にはついているのだ。
今回の一件は、その古傷をぶつけてしまったようなものだ。健康な皮膚ではない場所だったから、ちょっとぶつけただけで血がにじんだ。
「性を献上するというしきたり」の歴史を紐解けば、何時代にたどりつくのだろうか。源氏物語を読む限り、平安時代にはもう確立されていたのだろう。紫式部の創作の源泉に「男女の性愛は、女性に不利だ」ということへの、問題意識や憤りがあったのではないか、ということは数多の研究者や有識者も指摘している。
こうした「しきたり」を逆手にとって、女性がチャンスをモノにすることも可能である。チャンスをつかむために払ってきた犠牲が、活躍の原動力になっている人もいるかも知れない。
そういう手段を自分で選んだのならば、いい。
問題なのは、力関係を利用して女性に強制したり、逃げ場のない状況を作って女性が防衛本能から従わざるを得なかった、という結果にもっていくことだ。
紳士的な態度で「仕事につながる」と思わせて「打ち合わせ」「顔合わせ」と称して呼び出し、「ここから先は性を献上しろ」と迫ることである。
刺激されている古傷を消毒して、絆創膏を貼ったらおかげさまで充電モードに。
さて。私のエネルギー枯渇問題はスマートフォンでいえば機種本体の経年劣化ではなく、「やたらとバッテリーを食うアプリが入っていた」ような状態だった。スマホだったらそのアプリを特定し、アンインストールすれば問題は解決する。
とはいえ、心の古傷はそう簡単にアンインストールできない。私のこの古傷は一生モノだ。「腰に爆弾、抱えているから」というヘルニア持ちのオッサンと同じだ。でも、心の古傷の場所を特定して絆創膏を貼ったのでこれ以上、悪化することはないだろう。そして、エネルギーの枯渇も改善するはずだ。その証拠に、この記事を書くことができた。
今、私は静かに怒っている状態だが、怒りのエネルギーを変換して原動力にする「装置」は持っている。
恐らく平安時代にすでにあっただろう「性を献上するというしきたり」。令和の世で壊滅させて、あの世で紫式部と「打ち上げ」をすることを目標にしたい。