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コンピューター依存の弊害

現代を生きる上でコンピューターは必要不可欠のものになってしまった。
子供でさえも使うスマートフォンだって中身はまるっきりコンピューターである。

銀行のシステム、
バスや電車に使う交通系プリペイドカード、
コンビニやファミレスでの電子決済、
職場ではパソコンで仕事をし、
業者や客先とは電子メールで連絡を取り合い、
会議は相手が世界のどこにいようとパソコンの画面で相手の顔や資料を見ながら行うことができる。
男女の出会いもスマホのアプリで簡単にできる、
欲しい物があれば外出しなくてもオンラインショップで買える。
AIに至っては、「思考する」という基本的な概念さえも奪いかねない次元で使われているのである。

言うまでもないが、これらの毎日触れている仕組みの中にコンピューターが使われていないものなど皆無であり、これが現代社会であり日常なのである。

世の中の多くの人がこのような世界を 「便利だ」 と言っているが、私はまったく逆だと思っている。
限りなく不便であり弊害の方が大きいからだ。
表面的な事にしか目を向けず、裏側を見聞きしなければそう思うのは無理のないことではある。
しかし、便利の裏側であらゆるものが果てしなく消費され続け、
どこまでも消耗されていること、
そして人間の能力が削ぎ落されていることを考えると、
私はとても便利だなどとは言えないのである。

携帯電話やスマートフォンをどこで使えるようになるまでに、どれだけの人が働いたのかを正確に答えられる人はいるだろうか?
スマートフォンや電話機それ自体の開発や設計、製造をする人だけで、恐らく延べ人数は数千万人になるのだろうと思う。
そして、携帯電話がスマートフォンが使えるような社会インフラを構築する人達も延べ人数にしたらおそらく億単位なのだと思う。
プラットフォームの開発、ソフトウェア(アプリ)の開発、ハードウェアや半導体の開発、一体何万人のエンジニアがうつ病になっただろうか?
一週間、一か月、家に帰ることもできずに過労死寸前の状態で働き続けた人はがどれだけいただろうか?

携帯電話もスマートフォンも、社会インフラの中で安定して使えている現在、どれだけの人がシステム管理に時間を費やしているんだろうか?
日本中でスマホが使える状態を維持するためには、数えきれないほどの数の光ケーブルや基地、基地内の通信機器、それらを維持管理、監視、メンテナンスしている人達がどれだけいるのだろうか?

学生や社会人、主婦もサラリーマンも24時間いつでも好きなだけインターネットを使える便利さのレベルを10とするなら、その裏には12の不便があるのである。
それが開発者、設計者、維持管理にかかる人達のご苦労である。

そして、このような表面的な便利さの生み出したものは、情報量の不必要な増大と無秩序な情報の利用だけではない。
考える事を放棄し、考えることさえできない人々を養成しているのである。
一番わかりやすい例が漢字だと言えばわかってもらえるだろうか?
画面を指先一つでタップすれば、入力すべき漢字だけでなく文章が出てくる。
そのおかげで漢字が書けないだけでなく文章すら自分で考える事のできない人が増殖しているのだ。

AIやコンピューターを否定する気はさらさらない。
だが、まるっきり依存してしまうのは悲劇以外の何者でもない。

そろそろアナログ回帰しても良いのではないだろうか?

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