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駅ピアノ・空港ピアノ・街角ピアノ

NHKでやっている番組、「駅ピアノ・空港ピアノ・街角ピアノ」が好きである。

世界各地の駅や空港や街角に置かれた、誰でも自由に弾いていいピアノ。

そこには実に様々な人がピアノを弾きに来る。

旅行に訪れた人、結婚式を終えたばかりの人、留学に来た人、恋人と出かける予定の人、里帰りしてきた人、仕事で来た人、夢を叶えに来た人、ただ買い物にいく途中の人・・・

この番組の好きな所は、人々が奏でるピアノの音色だけでなく、その人たちそれぞれの事情、ここに来た背景、ピアノとの関わりなどの紹介がある所だ。

勿論、国籍も様々。

音楽を学びに来ているとか、既にピアニストとして活動しているとかの人が多いが、私のようにプロも視野に入れて大学までやってきたが、今は普通に会社員をしている、なんて人も割といる。

ジュリアード音楽院を卒業し、数々の国際コンクールで入賞を果たした輝かしい実績を持ちながら、今や銀行員になっている男性もいた。
その男性の奏でるピアノの美しかったことー

「まさか自分が金融の世界に行くなんて、想像もしなかったよ。なんで音楽家にならなかったかって?親友に(コンクールで)勝てなかったからさ。」なんてことを話していた。

またある女性は自身の病気、離婚、両親を早くに亡くすなど波瀾万丈な人生を送ってきたが、いつもピアノだけが心の支えになっていたと話し、世にも美しく優しいトロイメライを奏でていた。

音楽は国籍や文化を越えるー

もっと言うと、美しい、切ない、楽しい、悲しい、懐かしい・・・などといった感情や、何かに思いを馳せたり、大切な人を想ったり、その美しさや世界に陶酔したり・・・といったことも、バックボーンが違えど人間皆一緒なのである。

そういえば、以前シンガポールを旅行した際、かの有名な観光地、ガーデン・バイ・ザ・ベイにポンと一台ピアノが置いてあったことがあった。
私も一応音楽をやってきた身だし、この番組も大好きだし、ということもあり、弾いてみようかと思ったものの、結局弾かなかった。

現役から離れて長いし、もう昔のようには弾けない。上手く弾けなかったら恥ずかしいーといった無駄な完璧主義と、日本人らしき恥じらいの文化が発動した。

きっと駅にピアノが置いてあっても、「上手く弾けるか?間違わないか?何を弾けばそれなりに見えるか?」などをまず先に考えてしまう。
日本人にありがちな性質、と一括りにするつもりはないが、テレビで気軽にピアノに向かう欧米人などを見ると、やはり私も典型的な日本人なのだと痛感する。

一時期はそんな自分は元々プロのピアニストになんてなれたもんじゃなかったのだ、とか、そんなことで世界の人と対等に仕事ができる訳がない、とか思って落胆したこともあったが、今では「そんな自分も自分なのだ」と少し受け入れられている。

むしろ完璧に、それはそれは素晴らしい演奏をしたらすごいけれども、
完璧な演奏はコンサートで聞けば良い。

駅や空港や街角で弾くピアノは、その人のありのまま、人となりや人生が見えるから面白いのだと今では心底思える。

ガーデン・バイ・ザ・ベイのピアノは今でも置かれているだろうか。
今なら少し、自由気ままに弾いてみようかなという気になっている。

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